『観測外―警視庁A種事案:シュレディンガーの叛逆―』 ◆変わる因果律のノクターン 【4】
◆変わる因果律のノクターン【4】
どれもこれも佐伯からの一通の短いメールから始まったおかしな状況だった。いきなり送られてきた“海沿いの国道134号”“今夜、何かが起きる”。それはきっとこのことなのだろう、と感覚的には解っていた。
実際のところ、自分に“何をさせようとしているのか”理解できていなかったが――多分……。
「あいつを“助けろ”ということだろ?」
だが、四人相手にどう立ち回るのが最適解なのかが判らない。
それらしい糸口すらない状況下の中で、灰瀬は考えるしかなかった。
(この俺にできること……。これ以上厄介なことにならないようにするためには――どうすればいい?)
死神たちとの距離はすぐ傍まで迫ってきている。
格上の彼ら全員を相手に体術で勝つことは不可能に近い。拳銃も携帯しているだろう……。だが、証拠を残すようなことは嫌うはずだ。
(なら、今の俺にできることは、ただ一つ……)
「サイコメトリーしかないか……」
人間も同じモノでしかない。ただそれが、生きているかどうかの違いだけ。
(接近戦で、相手の思考の中まで踏み込み、戦意喪失を促すしかないか……)
先手を切ったのは灰瀬だった。
彼らまでの距離は数メートル。深呼吸をした後、ググッとアスファルトを強く踏みしめる。
極限まで圧縮された膝のバネが解放され、灰瀬の身体は低空を飛ぶ弾丸と化した。
一人目の懐に飛び込む。踏み込みの勢いを全てのせた拳が、男の溝を正確に撃ち抜く。呻き声と共に沈む男を背に、灰瀬は即座に右足を軸にして旋回させる。その反動を殺さぬまま、二人目の喉元へ向かわせる。
そして、首元を強く手で抑え込むと、サイコメトリーを発動させた。
思考を抉り、心の隙間に見えない指を差し込み壊すこともできる能力でもある。無論、実際に壊しはしないがほんの僅かだけ歪め、脅す。
「動くなっ!!」
肩で呼吸をしながら灰瀬が叫んだ時、一人の男が耳元のイヤピースを押さえた。
《――そこまでだ。撤収しろ――》
「了解――」
加勢をすることなく、ただ眺めていただけの男は短い言葉を口から漏らした。
それはまるで、この瞬間を待っていたかのようなイヤピースからの指令だった。男は小さく舌打ちをし、仲間に顎で引き上げの合図を送る。
「まてっ!俺が逃がしたあの男をどうするつもりだ?」
「……」
その問いに返すそぶりもみせず、終始無言のままの撤収だった。
去り行く男達の後ろ姿を灰瀬は睨んだ。車のヘッドライトが遠ざかっていく……。灰瀬は『顔のない男』が消えた方向を振り返り、側に横倒しのまま残されたゼファーに視線を落とした。
(このバイクも可哀相だな。鉄くず行きか……)
大きな溜息を吐くと、灰瀬はCBに跨る。
その時、ポケットに押し込んだスマホの存在を思い出した。
佐伯からのメールに再び視線を移す。
『今夜、134号線で何かが起きる』
灰瀬は数秒間その文字を見つめた後、小さく呟いた。
「……佐伯」
ヘルメットを被り、エンジンを始動する。
バラついていた音が一本の滑らかなシルキー音へと変わった瞬間、踵でスタンドを蹴り上げ、スロットルを回す。
「あとで納得のいくようないい訳でも聞かせてもらおうじゃないか――」
そう呟くと、恨めしそうな表情で夜の国道へと走り出したのだった。
――――――――――――――――
その頃、暗い路地を一人の男が歩いていた。
男の名は橘寛見。夕方の134号でのトラック事故の救助に付き合った男が、警視庁勤務の刑事だったことを知った警察庁の人物だった。
打ち付けた肩と背中の痛みで呼吸が浅くなっていた。
頭の中に、あの時にみた光景がまだ残っている。黒いバイク、黒いレザージャケット。そして公安を相手にした男。
橘はふと立ち止まった、ぽつりと呟く。
「……灰瀬」
その名前だけが、妙に頭に残っていた。
なぜかは分からない。だが、橘は思った。もう一度、あの男に会う必要がある、と。
橘は再び歩き出し闇の中へと姿を消した。
時を同じくして都内の高層ビルの一室の中で、佐伯はノートPCの画面を見つめていた。
表示されているのは通信ログの公安の撤収信号だった。そして一つの位置情報は佐伯の期待通りの「134号線」だった。
佐伯は微かに笑った。
「……やっぱり止めたか」
キーボードを軽く叩き、画面を更新する。
佐伯は椅子の背にもたれかかり静かに目を閉じた。
「灰瀬……お前ならそうすると思ってたよ……。ふふ、感心、感心」
大開口のパノラマウィンドウの外で、不夜城の光と濁流が今日も忙しなく瞬いている。
佐伯はゆっくりと目を開くと首の後ろで手を組んだ。
その視線は、どこか遠くの時間でも“観測”しているかのようだった。
「さて、ここからだ――」
口元の紫煙を燻らしながら佐伯はニヤリと笑った。
次回火曜日21時(数分誤差有)更新:
『佐伯、因果の代償を支払う』
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