『観測外―警視庁A種事案:シュレディンガーの叛逆―』 第三章 ◆迫りくる選択 能力開花の代償と均衡 【1】
第三章 迫りくる選択 能力開花の代償と均衡 【1】
それは突然の出来事だった。爆発音と共に火柱が空へ噴き上がった。
その炎は爆ぜるというより、唸りに似た音だった。
生き物のように身をくねらせると、旋回しながら周囲の空気を焼き裂く。
熱波がアスファルトを歪ませ、ガラス片が弾け飛ぶ。
恐怖の悲鳴が交差する。
そのような中、煙の向こうで一つの影が灰瀬の方向へと近づいてくる。
「灰瀬 !! 」
「佐伯 !!? 」
炎の旋風に煽られながら、佐伯が叫ぶ。センターベントが激しくはためく。
「これはA対絡みだ! 通常域で接触。できなければ状況次第で拡張しろとの指示が参事官からきている! 」
「拡張?! どうやって――」
言葉を遮るように、別の衝撃音。
数十メートル先にあるビルの外壁が崩れ落ちる。コンクリート片が雨のように降り注いでいく。
同時に灰瀬の視界の奥で、何かが“動く”感覚。炎だけではない“何か”が揺れている。
三方向。
微かな、痕跡の残響。
「現在、能力登録のあるターゲットは三地点に拡散……している。それを全て補足……しろ……の命令だ!」
佐伯の声が炎の風に阻まれ途切れ途切れに届く。
三地点、そして炎と崩落。
その時、灰瀬が何かに気付く。
「泣き声……!! 」
だが ――“それ”は遠い。
灰瀬は声が聴こえた崩れたビルの方向へと走る。内部はコンクリートによる粉塵と煙に満ちていた。
鉄骨がむき出しになり、床が傾いている。
「誰かいるのか! 」
返事はない。だが、微かな泣き声が僅かに聴きとれる―― 。
―― 奥だ !!
瓦礫の隙間に、小さな手が見えた。
灰瀬はしゃがみ込み、その手に触れたその瞬間、視界が歪む。
炎の中心で嗤う“何者か”の影と崩落直後の恐怖、悲鳴、涙、痛み ――。
そして、それを遠くで観察し息を潜める“別の鼓動”。
全てが同時に脳内に流れ占領する。
頭に強い痛みが走る。
「ぐ……っ」
咄嗟に頭を抑える灰瀬。通常域では、一つしか追えない。
どれか一つを選べば、残りは霧散する。
佐伯が支える。
「灰瀬!! 」
瓦礫が軋む音が響く。天井が不安定に揺れ始める。
(悩んでいる時間はない……)
子供の声が微かに聴こえる。
「……たすけて」
灰瀬の喉が小さく鳴る。
観察者の残響が薄れていく。ターゲットが、逃げる。
炎は囮だ。崩落も、子供も全て誘導。
(クソっ――! )
このまま通常域で子供を優先すれば、C地点の能力者は消える。
国家規模の被害が広がる可能性もある。
「拡張しろ! 」
佐伯の声が鋭く刺さる。
(拡張……。本当にできるのかこの俺に? )
それは触れなくても“視る”領域。
だが負荷は跳ね上がる。過去に一度、境界が崩れかけた。
あの時の、蒼い世界。母の背中、父の目。そして……流れ出る血。
だが、結局視えるだけで救える力ではなかった。
瓦礫が落ちる。
子供の泣き声が震える。
「灰瀬、判断しろ!今の俺達には何もできない。後は消防に任せるんだ! 」
そう、これは命令ではない。
委ねられている。この子供の運命を…そして多くの人々の命を―― 。
灰瀬は目を閉じる。
瓦礫の隙間から差し出された小さな手が、小刻みに震えている。
(この小さな手を離したら……)
――また、救えないのか?
“何者か”の逃げる鼓動が遠のいていく。
国家の被害。
未知の連鎖。
参事官の声が脳裏をよぎる。
《状況次第で拡張を許可する》
(……許可――! )
命令ではない。
選べ!
灰瀬は息を深く吸う。
そして、踏み込んだ。究極の領域に――!
視界が弾ける。
空間全体がひび割れ、広範囲の思念が線となって浮かび上がる。それはまるで拡張空間が眼前に展開され広がっていく感覚だった。
炎の核。崩落の起点。遠く、地下を移動する能力者の軌跡。
三つが一枚の地図として重なる。
痛みが突き抜ける。
鼓膜が破れたような錯覚。
膝の力が抜けていく。
だが――視える!
(奴らの移動ルート――)
「C地点、地下鉄構内……移動中……! 」
佐伯が灰瀬の言葉を即座に無線に飛ばす。
その瞬間、天井が崩れ落ちてきた。
鈍い衝撃音と共に視界が黒く染まる。不気味な静寂と共に、灰瀬の手からは小さな子供の温もりが消えていた。
瓦礫が積み重なった子供の鼓動は――止まっていた。
灰瀬の中の時間が、わずかに止まる。
灰瀬はその時を“視てしまう”。
止まった心臓。そして潰れた空間。途切れた小さな未来。
選んだ結果、能力は広がった。犠牲の上に成り立った能力の開花。
しかし、同時に小さな命は救えなかった。
佐伯が何かを言っている。何を言っているのかうまく聴きとれない。何も考えられない……。
灰瀬はただ、瓦礫の向こうを見つめる。
遠くで、C地点の思念がまだ動いている。
追える……追えるが―― 。
ここには、もう―― 。
涙が零れ落ちていく……。
灰瀬の唇がわずかに動く。
「……ごめんな……ごめん」
炎の勢いは収まることなく、まだ燃え続けている。
だが、灰瀬の視界は今までより広い。三地点は、まだ同時に存在している。
灰瀬は立ち上がる。
この痛みは消えることはない。
だからこそ消えないまま、進むしかなかった。
その選択を後悔しないためにも。
「佐伯。まだだ……、奴らを追うぞ―― 」
次回:
『何が正しくて何が間違っているのか判らない。でも、もう後悔はしたくないんだ』
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