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『観測外―警視庁A種事案:シュレディンガーの叛逆―』 第四章 ◆観測対象の真意 桜花の鎖 【1】

第四章 観測対象の真意 桜花の鎖 【1】


  警視庁本部庁舎から少し離れた場所に、外部からは存在が見えない会議室があった。
地下ではない。だが窓もない場所。
国家機関には、光の届かない場所が必ず用意されていた。
薄い照明の下、数枚の資料が机に広げられていた。

崩落現場の俯瞰図。
地下鉄構内の監視映像。
炎の発生源解析。
その中央に、ひとつの名前が書かれていた。

『 灰瀬 』

公安課の管理官は資料を閉じ、密かに笑った。

「我々公安が灰瀬の両親に関わっていたとは――彼も思わんだろうな」

向かいに座る男は何も言わない。

一ノ瀬参事官――。
警察庁とは別の系統の人間。
だがこの部屋では、互いの立場は対等だった。
幹部はそのまま続けて話し続ける。

「彼は『拡張』の言葉に反応した」

指先で机を軽く叩く。

「だが口を滑らすことはなかった」

野太い腕を組み感心するように何度も小さく頷いた。

「中々の忠誠心だ」

 参事官は無表情のまま渡された端末のデータを見る。
地下鉄構内の監視映像。
画面には、炎の旋風の中を進む灰瀬の姿。

 そして迷うことなく救助していく。
最後まで、誰にも命令されていない行動を取る。

(犯人を追う役目のある刑事としてはあるまじき行為ではあるが……)

「忠誠心というより――」

一瞬、本音が口を突いて出そうになったが、幹部の手前慎重に言葉を選ぶ。

「罪悪感でしょう……」
 
(勿論、その時までは……だ。そこまで私が説明してやる義理はないがな…)

 一ノ瀬の言葉に幹部の眼光が僅かに鋭くなる。疑り深いこの男は、表面上の言葉ではなく、その奥にある真意を抉りだそうと画策していることを一ノ瀬は知らない。

「両親の件か?」
「ええ」

参事官は視線を落とす。

「人は、罪を背負ったままの方が扱いやすい」

空気が静かに沈む。
公安幹部は背もたれに体を預け、大きな溜息をつく。

「だが問題もある」

 一ノ瀬は資料の別ページをめくる。そこには、追跡対象のデータが書き込まれていた。公安でも追跡できなかった人物たち。能力犯罪の中核だった。

「少なからず警察庁内部には――」

声が一段低くなる。

「一介の刑事風情が“あの犯人”たちを追えたことに疑いを向ける者がいる」

 犯人の写真……。
炎、崩落、そして混乱の中で、どうやって犯人をみつけたのかという疑問。

「我々警備局でも追えなかった連中だ。まあしかし、元々事情を知らない普通警察庁の人間が追えるはずもないのだがな」

幹部は参事官を静かに見据える。

「さて……」

 そう言うと、目に見えない鎖でゆっくりと手繰り寄せるように一ノ瀬の出方を窺う幹部。

「どうする?」

 部屋の古びた時計が一度だけ音を鳴らす。
参事官は視線を外さなかった。そして、静かに答える。
ここで答え方を間違ってはいけない。

「今回の手柄は――」

資料を閉じる。

「警察庁に渡しましょう」

 公安幹部の眉がわずかに動く。欲しい答えをもらった時に見せる反応だ。

「ほう」
「表の功績は警察庁」

参事官は淡々と話し続ける。

「灰瀬は警視庁の人間として評価される」

少しだけ間を置くと、口元を僅かに緩めた。

「そしてここからが本題です」

机の上に新しい資料が置かれる。そこに書かれている文字。

【 観測対象:灰瀬 】

公安幹部は口元を歪める。

「交渉か?」

参事官は軽く頷く。

「ええ……、我々に協力していただきたい」

 その言葉の意味は至って単純だ。
刑事である灰瀬を、刑事●●として働かせる。
だが同時に――国家の観測対象として縛る。

幹部は豪快な声で大きく笑った。

「首輪をつけるわけだ」

参事官はそれを否定しない。

「比喩としては、正しい」

しばらくの沈黙の後、やがて、幹部は立ち上がる。

「だがな、参事官」

窓のない壁の方に歩きながら言う。

「鎖というものは……」

指で空中に線を描くと、視線を一ノ瀬に向ける。

「繋ぐだけでは意味がない」

 いつになく饒舌な口調で一通り喋り終わった後、口元を僅かに歪ませ含みのある表情を見せた。

「時々引かないと、従うかどうか分からん」

 それがどういった意味であるのかは理解している。
つまり――灰瀬を“試す”ということ。
幹部は紙の資料を一枚取り出す。
そこには、新しい報告が書かれてあった。そしてその情報はまだ警視庁に共有されていないものだった。
 書かれている内容を素早く確認する。場所は都内某所。能力者の関与が疑われる事件。そして小さな事件。
だが、全てが気を緩めた瞬間大きな「火種」になる。
幹部は言う。

「観測対象に少し仕事を与えよう」

机に一つの資料を置く。
そこに記されているのは事件名。

『桜花計画』

その下の一文にはこう書かれていた。

『観測対象の反応を確認すること』

公安幹部は低く嗤う。

「桜はな――」
 
置かれていたコーヒーをゴクリと一口飲む。

「咲く時は派手だが、散るのは一瞬だ」

 再び含みのある奇妙な微笑みをみせる幹部の表情、全てを見透かすような目つきに、何かよからぬ予感を一ノ瀬は感じた。
 そして、その微笑みの正体に気付いた頃には既に手遅れの状況に陥っていた。
 
 同じ頃、警視庁本部庁舎の廊下はいつも通りの喧騒だった。
書類を抱えた刑事と走る若手。
けたたましく鳴り響く電話の音。
 だが、その空気の奥に数日前の事件の余韻が残っている灰瀬がその廊下を歩いていた。
視線がいくつか向けられるがすぐ逸らされる。

『能力拡張』『なにかの化物か?』

その噂が庁内を巡っていた。

「灰瀬」

 背後から佐伯の声が聴こえ灰瀬は振り返った……。
その刹那、激しい爆発と共に扉と刑事たちが吹き飛ばされた。
轟音が庁舎を激しく震わせた。床がガタガタと音を立てて揺れすさぶ。
 天井の照明が右往左往と激しく揺れ、廊下の奥から煙が噴き出した。

刑事たちが声の枯れる程の大きな声で叫ぶ。

「爆発だ!!」
「庁内だぞ!!」
「避難しろっっ!」

灰瀬はその声が聞こえる前に既に走っていた。

煙の奥の瓦礫と激しい炎。
書類室の壁が崩れている。片足が下敷きになった職員がそこにいた。

「……た、たすけてくれっ……」

 灰瀬が瓦礫を掴むと鉄骨が軋む音を出す。
普通なら動かない重さだが、歯を食いしばりながら渾身の力で持ち上げ救い出す。
 その時、炎がゆらりと陽炎のように揺れる。
能力が反応している。
佐伯はおもわず息を飲む。

「灰瀬……!」

 同時に煙の向こうに人影が現れる。
黒いフードの若い男。その手の周囲に光が揺れている。
男は口端を歪め嗤った。
灰瀬は男を見据えたまま、佐伯に怪我人を託す。
 
「佐伯、この人を安全な場所まで連れて行ってくれ」
 
頷くと、即座にその場から避難した。
 
「警察か」

そして灰瀬を見る。

「……能力者……」

灰瀬が拳銃を構える。

「動くなっ――!! 」

 男は気にしない。それどころか虚ろな濁った眼で灰瀬を凝視している。
それは、まるで初めから灰瀬だけを待っていたように。

「お前は警察に飼われているのか? 」

澱んだ声で灰瀬に問う。

「能力者なのに? 」

揺れる炎の中で、男は言う。

「俺たちは違う」

 背後で窓ガラスが砕ける音が響く。
だが、男はそんな中でも意に介さず平然とそこに立っている。

「能力者を解放する……そう、そう、解放する……うん」

 独り言のようにブツブツと口ごもりながら喋る。
灰瀬は答えない。
 ただ一歩前に踏み出すと、目線を男の後ろに一瞬向けた。
背後にも倒れている警察官がいる。彼にとって守るものは明確だった。

灰瀬は静かに言う。

「ここは警視庁だ」

男は嘲笑うように答える。

「だから来た」

 能力が凄まじい勢いで膨張する。
衝撃波が窓と言う窓を全て破壊し廊下を激しく揺らしていく……。

 同時刻の別の場所では、一ノ瀬と幹部がいる暗い会議室のモニターにその光景が映っていた。
全ては公安幹部の描いたシナリオ通りに進んでいたのだった。
今回の爆発も彼が仕組んだものだった。
 
(やられた……!)
 
公安幹部が腕を組む。

「始まったな。君が望んだ通り、協力してやったぞ」

 口元を歪ませニヤリと嗤う幹部を横目に、怒りで小刻みに震える拳をポケットに押し込むと、平静を装い参事官は画面を見つめた。

(こちらの思惑を予測しての“計画”か――! )
 
 炎の中に立つ灰瀬。
公安幹部はそれを見て呟く。

「観測対象」

その冷たい目をモニターの灰瀬に向ける。

「反応を見せろ」

桜の季節。
警視庁で隠され続けた能力者と、用意された●●●●●能力者が対峙する。
だがその二人の上には見えない鎖があった。

その鎖の名は――

『国家』

そしてそれは、桜花の鎖。

次回火曜日21時(数分誤差有)更新:

『しなやかにしなるつるのように……捕えて離さない』

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