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『観測外―警視庁A種事案:シュレディンガーの叛逆―』 ◆観測者城崎の執着 【2】

◆ 観測者城崎の執着 【2】

 朝の光が、カーテンの隙間から部屋の奥へと差し込む時間になっていた。
細い光が床を横切り、ベッドの端にかかっている。
 顔色は昨夜より戻っているが、まだまだ完全ではない。

 部屋にはいつもの静かな時間が流れていた。
 灰瀬は今日もキッチンに立ち、湯を沸かしている。
 小さく鳴るケトルの音が、なぜかやけに大きく感じられた。

「……俺は、まだここにいる必要があるのか?」

 背後から目覚めた橘が灰瀬に声をかけた。

「そこは俺のベッドで、ここは俺の家だ。それにお前が出ていく理由がないだろ? 」

 灰瀬は振り返らずに答える。橘は一瞬黙る。自分から助けを求めたとはいえ、このままここに居続ければ確実に灰瀬も対象になってしまうことは明らかだ。

「あるだろ。俺は追われてる」
「なら余計ここにいた方がいい」

 しばらくの沈黙の後に、灰瀬は小さくため息をつく。何度このやり取りをするのか……と。
 一切ブレないその頑固な意志に万策尽きた表情で橘は俯く。
 灰瀬は火を止めると、たしなめるように橘に言い聞かせた。

「外の方が危険だ」

 ココアの粉を入れると、ゆっくりとかき混ぜる。
 底に当たるスプーンがだす規則的な音が部屋に溶ける。

「……あんた」
「なんだ」
「なんでそこまで関わる? 」

 伏し目がちに灰瀬はスプーンを片手に更に砂糖を追加していく。チョコレートのような甘い香りが辺りに漂う。

「気になるからだ」

 あまりにも簡潔な答えだった。
 橘は半ば呆れた顔で小さく息を吐く。

「刑事の理由じゃないな」
「俺はだいたいいつもそんな感じだ」

 灰瀬はカップを二つ持ち、机に置いた。
 その時だった。

――コツッ

 小さな靴音が、玄関の方から聞こえた。
 二人の動きが止まる。
 視線が同時に音の方へと向いた。

「……聞こえたか? 」
「ああ」

 灰瀬はゆっくりとカップを置く。次の音はない。だが確実に、何かが触れた音だった。橘はすでに立ち上がっている。

「お前は隠れろ」

 囁くほどの小さな声で言ったあと、顎で指示する。
橘は一瞬だけ迷ったが、小さく頷くと部屋の奥――死角へと身を滑り込ませた。そのことを確認した灰瀬は玄関へ向かう。
 足音を消し、ドアの前に立つ。

《ピンポーン》

 無機質な音。
 灰瀬の指がわずかに揺れる。

「……誰だ」
「……」

 しばしの間のあとに返ってきたのは、聞き覚えのある声だった。

「警視庁鑑識課の城崎です」

 灰瀬の目が細く鋭くなる。

(城崎……)

“Case-A17”。
 あの少女の件で、一ノ瀬参事官から紹介された男。
 冷静で、合理的で――そしてどこか、人間からずれている。気に入らない男だ。

「例の爆破事件について、少しお話を――」

(……このタイミングで来るか? )

 違和感が、静かに積み上がる。灰瀬は数秒考え――ドアを開けた。
廊下の光の中に、城崎は立っていた。以前と変わらない、整った身なり。穏やかな表情。だがその目だけが、やはり違う。

「突然すみませんね、灰瀬さん」

 軽く頭を下げる。
 灰瀬も最小限に応じた。

「……仕事熱心だな」
「興味深い事案には、どうしても」

 その言葉に、灰瀬の脳裏に過るあの言葉。
――“観測対象”
Case-A17で聞いた冷めた言葉だった。人を人とも思っていない男。

「少しだけなら……」

 灰瀬は一歩引き、城崎は軽い会釈をすると静かに室内へ入る。
その瞬間、ほんの僅かに――視線が動いた。部屋の死角の位置に、一秒にも満たない視線が確かに捉えていた。城崎は室内を一度だけ、静かに見渡した。まるで標本箱の中を確認するように……。
 灰瀬の神経が鋭く反応する。

(……見たな)

 しかし城崎は何も言わない。敢えて言わないのか……。どちらにせよ、機嫌は良さそうだ。
 ふと、空気を確かめるように城崎は息を吸う。

「この部屋、少し温度が高いようですね」
「……そうか?さっきまで湯を沸かしてたからな」
「ええ。外気との乖離かいりがある」

 言葉の端々にわざとわかるような単語を散りばめている。

「そうですね……例えば、人が“もう一人いる程度”の差異ですが」

 空気が一瞬張り詰める。
 だが城崎は不気味な微笑みを浮かべたまま、やはりそれ以上触れない。

「おっと、失礼しました。些細なことですね」

 何事もなかったように、資料を取り出すと机に写真を並べる。
 灰瀬は爆破現場に視線をおとす。

「例の事件ですが、爆薬の痕跡はありません」
「だろうな」
「ええ」

 城崎はその写真を愛おしそうに指でなぞる。

「――にもかかわらず、この破壊規模」

――呼吸おくと口角を少しあげ満足げに小さく笑った。

「非常に興味深い現象●●です」

 そう言い放った城崎を不快な表情で灰瀬は睨んだ。
 人の生死より自分の興味を優先する、欲望に忠実なこの男の存在が腹立たしい。
 
「これは事件だ」
「ええ、なのに警察庁も警視庁もそれを捜査しないのはなぜでしょう」

 城崎はわずかに目を細め、微笑む。

「ですから――余計興味深い」

 言葉は正しいが、どことなく嚙み合わない会話だった。
 そして、決定的に何かが違う。
 城崎は続ける。

「もしこれが能力によるものだとすれば……」
「どうする? 」
「観測します」

(だろうな……それでこそあんただ)

 迷うことなく即答する城崎に不快感を感じる。

「再現性、制御性、拡張性――すべてを確認する必要があります」

 まるで人間ではなく、あの時と同じように対象としかみていない答えだった。
 
(なぜそれをわざわざ俺に……いや、橘にわざと聞かせているのか? )

 やがて城崎は資料を閉じると、軽く頭をさげた。

「本日はこれで」

 結局のところ、爆破事件は単なる理由付けの建前で、本音は観測対象への興味だったのだろう。城崎は玄関へ向かうとドアの前で一度足を止める。そして振り返らないまま灰瀬に問いかけた。

「灰瀬さん」
「なんだ」
「人は、どこまで壊れると思いますか? 」

 突然の意味不明な問い。だが、答えを待たずに続ける。

「壊れる過程は、……とても美しい」

 背筋に冷たいものが走った。穏やかで静かな声。そして、何かに心酔しているような声だった。城崎はいまどんな顔をしてそれを語っているのだろうか……。

「――安心してください。まだ、壊れてはいない」

 城崎の、この言葉の真意はわからないまま、開かれていた扉は静かに閉まっていった。

 部屋の奥から橘が姿を現す。
 いつもの飄々とした気配が、どこかに消えていた。その目は、明らかに変わっていた。

「……あの男、知ってる」

 灰瀬は橘をみつめると、次に出てくる言葉を待った。

「公安の資料にあった。城崎……あいつ、ただの鑑識じゃない」
 
 灰瀬は黙ったまま何も言わなかった。
ただ、城崎が出て行ったドアの方を見つめる。
 あの男は知っている●●●●●のことを。
そして――それを一切“問題にしていない”。

(俺たちは見られている。そう……観測されている)

 この感覚が、確信へと変わる瞬間だった。
 城崎●●と公安の関係。そして、城崎●●と一ノ瀬参事官。
 さらには記憶の曖昧な橘と灰瀬を観測する城崎●●
 触れなくても解ることがある……。それが今は、少しだけ怖い。


次回金曜日21時(数分誤差有)更新:

『蟲は眠っていた……今は、まだ』

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