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『観測外―警視庁A種事案:シュレディンガーの叛逆―』 ◆覗かれる側 ~加害者編~ 【2】

◆ 覗かれる側 ~加害者編~ 【2】



【1】
 
  面会室は、いつもと同じ白い壁に囲まれた場所だった。
受刑者たちのヘドロのような色とは真反対の色に反吐が出る。

音が吸われる壁。
規則正しく並ぶ椅子。
透明な仕切りの向こうに、“例の”男が座っていた。
現在は別件で収監中だ。
あの事件では起訴に至らなかったのだ。証拠が足りなかった。
 
だが、足りないのは「証拠」だけだ。

灰瀬は座り、佐伯は隣に立つ。
 
 机の上には、透明な袋が置かれている。
中には、被害者が身に着けていたであろうペンダントだった。
 男の視線が、一瞬だけ「戦利品」に落ちる。ほんのわずかだが、それで十分だった。

 灰瀬は容疑者の前で静かに瞼を閉じると白手袋越しに、“それ”に触れると、数々の映像が脳内に浮かび上がる。
「冷水」「沈む感覚」「月の光」「小さく揺れる金属」「指先」
「外す」「濁り」「土」「覆う」「終わらせる」
 
 記憶の断片はどれも短かったが、その一瞬だけがどれも鮮明だった。
灰瀬は目を開け容疑者を見据えたまま、話しかける。

「水は浅い」

 男の喉が鳴る。思いがけない言葉に毛穴から冷汗が染み出るのを感じる。

「……何の話だ」
「濁っていた」
「……」
 
沈黙は肯定だ。  
白い空間が、わずかにきしむ。

「だから外した」

言葉が鋭い凶器のように男の命をめがけ落ちていく……音もなく。
しかし確実に……。

男の呼吸が僅かに乱れる。
完璧だった。誰にも見られていない。誰にも知られていない。
あの夜は、自分だけのものだった。
 
なのに……!!
 
“外した”ことを知っている ――?
 顔も、名前も、覚えていない。だが、金具の冷たい感触だけは……「戦利品」の感触だけは消えていない。
 
「お前……見たのか? 」
 
目は血走り、問いかける口元はブルブルと震えている。
灰瀬はその問いに答えることをしない。
なぜなら、答えないことが、答えになるから。

 もう一度、触れる。
今度は、違うものが混ざる。
「甘い薫り」「温かい手」「首元にかけられる、小さな光」
 
――おかあさん……!
 
声が、遠くで響く。
 
 その声と冷水、そしてぬくもりが重なる。
一瞬だけ、灰瀬の呼吸が止まる。
覗いているはずなのに。
覗かれているような感覚が身体を覆っていく……。
「被害者」と「加害者」の線が繋がった瞬間だった。

灰瀬の異変に気付いた佐伯が低い声色で制止する。
 
「そこまでだ」

 灰瀬は、わずかに視線を逸らすと、繋がりを切った。
そして、徐々に灰瀬の脳内を満たしていた水音が遠のいて行く……。

「やめろっ!」

 男の声はうわずり、既に動揺を隠しきれていなかった。
恐怖は、怒りよりも静かに精神を侵食していく。
 
「何なんだ、お前は……。何なんだよっ!! 」

 灰瀬は袋を閉じる。
カチリ、と音を立てると加害者との縁を最後に断ち切った。
 
「彼女が……覚えているからだ。その瞬間を忘れられなかったからだ……」

 そう漏らした言葉と共に男の瞳孔が大きく開かれる。
自分でも分からなかった。なぜ、あの感触だけが残っているのか。
それを、突きつけられ、追い詰められ、逃げ場がなくなる。

面会終了の合図が刑務官から告げられる。

 灰瀬は静かに立ち上がる。
去り際、振り返ることはなかったが、それでも男は分かった。
この刑事はいせにはバレている ―― !
自分の中の、最も冷たい場所を、無理やり共有され、奪われる。

 自分だけの秘密ではなくなった。
それは、初めて感じた未知のものに対する恐怖に他ならなかった。


――――――――――――――――


 証拠保管室――

 金属棚には小さなダンボールに入れられた証拠品たちが整然と並び、番号札だけが充てられている名も無き被害者たちの痕跡。

ペンダントは正式な手続きを経て元の位置に戻された。
無機質で冷たい空気だけが漂うこの場所に、感情は存在しない。

灰瀬は一瞬だけ棚を見る……。
だが、触れることはない。

扉は悲しげな音を立てながらゆっくりと閉まる。

“誰か”が救いを求めるこえと共に……。
 
 
 
【2】

 足取り重く署内の廊下を歩く灰瀬の前に、一ノ瀬参事官が立っていた。
一ノ瀬は灰瀬を“A対”に引き込んだ張本人であり、灰瀬の叔父にあたる人物だった。
 
「共鳴があったな」
 
 その言葉はまるで探りを入れているような静かな問いかけだった。
灰瀬は敢えて答えない。

「お前の力は、これからも深まっていくだろう――」

無言のまま通り過ぎようとする灰瀬を参事官は冷たい瞳で一瞥する。

「だが、繋がりは制御しろ」

 親戚という関係は、そこに含まれていない。無機質な正解が存在している。灰瀬は一ノ瀬参事官の言葉に小さく頷いた。それが肯定なのか否定なのか、分からないまま。

 その夜の独房の中の男は眠れなかった。
灰瀬にあった直後から頭の中の水の音が止まらないでいた。

揺れる月明り。
金具の擦れる音が、耳の奥でチリチリと軽やかな音を鳴らす。

そしてあの刑事の目だ――。

 殺した女の代弁者だとでも言いたいような裁きの目。
全てを見透かしているように覗く、あの目。
男は両手で頭を押さえる。

「……俺がやった」

誰にも聴こえない小さな声で男は呟く。
そして言葉は落ち、罪は形を持った。
 
その日、男は任意による自白をすることとなる。


――――――――――――――――
 
 後日、その知らせを聞いた庁舎の刑事たちは口を揃えてこう言った。

「気味が悪い……どうやって知ったんだ?」

 真相が明らかになり事件が解決したことに対する安堵や、被害者家族への心情でもなく、灰瀬のもつ未知の能力を肌で感じた嫌悪感だった。

(気味が悪いのは、人間のほうだ……)
 
 感情は、物体に染み込む。怒りも、恐怖も、執着も消えない。
だが、それが証拠になる。
 
そして解決に繋げる……。それが自分の役目であると灰瀬は信じていた。

(もしかすると“あの夜”の“それ”も、どこかに残っているはずだ)
 
 灰瀬が警察に入ったのは十八歳の春だった。
警視庁参事官であり、親戚の一ノ瀬に呼びだされた。
警視庁の高層階。窓の向こうに広がる灰色の街を見下ろす場所にその部屋はあった。

「灰瀬。君の能力は、この国に必要だ」

一ノ瀬は静かに言った。
彼は両親の葬儀の日も、同じ口調だった。

 まだ学生だったあの日、その惨劇をの当たりにした。
家に戻ったときには、床にはすでに冷えきった両親の遺体が転がっていた。
血はすでに乾き始めていた頃だった。

 灰瀬は、冷たくなった両親の手に触れる。それが初めての“接触”だった。
悲しみよりも、静かな殺意が心を支配したあの瞬間、様々な景色と感情が脳内に大量に流れ込んできた。

 能力に狼狽うろたえることはない。これは“ギフト”だ。
恐怖はなかった。
そしてそれ以上の懇願もなかった。

 ただ、これを利用し完遂する意思だけが残った。
その瞬間、灰瀬の中で何かが固定された。

 これは衝動でもない。計画的だ。ならば特定できる。
犯人を見つけ出せる――!

「警察に入れ。“A種事案対策室”という裏の部署がある。表は一般の刑事職だが「A対」は異能力を使う仕事だ」

そう言って一ノ瀬は灰瀬に書類を差し出した。

「お前が探している“あの夜の影”にも、いつか届くだろう」

 灰瀬は渡された紙に目を通すことなく、すぐさま署名する。内容に目もくれずに。
これは復讐のためではない。「削除」のためだ。
人生を停止させたバグを取り除く。
ただ、それだけだ ―― 。

 その強い信念を心に秘め、来る日も来る日も職務に専念した。
そして保管室に、また新しい箱が届く。だが、それを開いた瞬間、灰瀬の手が止まった。

『郊外の住宅火災。焼死体二体。事故』
だが内部メモには「A種疑い」。

「A種 ――! 」
 
だが、証拠品は、焼け焦げた腕時計ただ一つだった。そして、メモが入っていたのには必ず理由がある。

(秘匿とされている“A種”のメモ入り……)
 
 灰瀬は手袋越しに触れる。
炎、皮膚が弾ける音、呼吸が奪われる息苦しさ。

静謐せいひつ……。

「……?……なんだ? 」
 
 刹那、何の前触れもなく広がる澄んだ意識に灰瀬は戸惑う。

 燃え上がる家を観察する視線。焦りも興奮もない。
ただ確認している男の姿。
そして声が脳内に響く。
 
―― 完了、と。

灰瀬の心拍数が乱れる。

(まさか……あの時のアイツ犯人なのか?これは被害者の腕時計ではなく……犯人が故意に残した ―― )

残響が同じだった ―― 。
 あの夜、両親の血に触れたとき感じたあの透明な殺意。
全身の毛が逆立つのを感じ、感情が荒く波打ち始める。
僅かでしかないが、確実に近づいた感覚。
止まっていた歯車が、軋みながら回り始める。

「どうした、灰瀬?」

灰瀬は顔を上げる。

「……生きている」
「誰が?」
「犯人が ――両親を殺害した犯人が――」

 言葉が、僅かに震える。
自分の声が震えるのを、久しぶりに聞いた。感情が昂るのを感じる。

生きている。どこかで ――。

 同じ質の殺意が、今も存在している。それは偶然かもしれない。
だが灰瀬の中の何かが告げていた。これは線であって点ではない。
佐伯は微笑む。

「良かったな。ようやく一歩進んだ」

 その声音は優しい。
だが、灰瀬の胸の奥で微細な違和感が生まれる。

「シュレディンガー……」
 
 「観測」しているつもりで、「観測」されているのではないか?
触れているつもりで、触れられているのではないか?

 箱の蓋はまだ閉じたままだ。
だが確実に、何かが動き始めた。七年前の出来事は、まだ終わっていない。
しかし、灰瀬はまだ知らない。

 自分は追う側なのか、それとも犯人に育てられている側なのか。
その境界は、観測されるまで確定しないということを……この時まで。
 
――――――――――――――――
 
 その日の帰路、灰瀬は夜空を見上げる。
映像と同じ月明りを見上げても水音は聴こえない。

 だが、甘い匂いが、ふと鼻孔を掠め残る。
自分の記憶ではない……はずだ。

灰瀬は静かに歩みを止める。ほんの僅かだけ、恐怖が胸をよぎる。
覗くことは、繋がること。俺の身に起きた“あの両親の事件”と同じだ。
 
では、繋がった先は、どこまで続くのか?

 風がするりと灰瀬の横を吹き抜けていく。
冷たくもどこか甘い、匂いが身体にまとわりついて離れない……。

「俺はどこへ向かいたいのか……」

そう、ポツリと呟くと気配の消えた夜の街を静かに歩いた。


次回火曜日21時(数分誤差有)更新:

『他人の記憶に触れ続けた手が、初めて苦しみを感じた』

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