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【日記】冬の京都で響き合った、ええんやで新年会の「しっとり、盛り上がった」時間

「会いたいよ」に「会おうよ」って応えてもらえること。

冬の静けさと灯りになりたいライフコーチのなほです。

剥がれては還り、ころん、と生きる。
きらきらしたら、ぷかぷかに戻るリズムの中で、私のままで、もうすべてそろってる。

クジラの比喩が気に入っている。

昨年、私の学んだコーチングスクールのリアルなイベントでフェスがあった。そこで、いろんな人と出会えた。

そこでレゾナンス(共鳴・共振)された私は、みんなにリアルで会いたくなった。

オンラインでもくもく会を月に何度か仲間が開いてくれている。
その場で、ええんやで会のメンバーがほぼ揃っていたので「新年会したいって言ったら、来てくれる?」って言ってみた。

私というクジラが歌ってみたら、その声が届いて「行くよ」って応えてもらった。

ええんやで会は、スクール同期の関西在住メンバーの呼び名です!
私は四国在住だけど、実家は関西なので問題なし。
愛媛から香川に引っ越して関西に近づいたしね。

応えてもらったので、新年会を開催してきました!
幹事をやりました。

とてもいい会だった。
1月、京都、しっとり?
という予感はあったのだけど、しっとりしてたけど盛り上がったでもあった。

ええんやで会、みんなの空気に重なる所があって、ゆったりしている所がある。

元気いっぱいというよりも、おっとりしてたり、静けさだったり、あたたかさ、落ち着き、そういったものを私は感じる。

もちろん、それだけじゃなくて明るかったり、ユーモア、無邪気さもある。

温度感が共有できる感じがあるのよね。←これ、私にとって大事なこと。

2人とかじゃないのに、すっとあたたかみがあるけど微熱みたいなじんわり温度をみんなで共有できるの


お店選びはAIさん

京都、全然詳しくない。

そこで、AIさんに頼ってみたよね。
京都開催にしたけど、京都在住者はいない。

滋賀、神戸、大阪在住。
前回は梅田開催。

距離的に京都ありよね?そんな感じで、みんなにも相談したけど、明確なリクエストがなかったので、私の独断で1月の京都で新年会いいやん、ってことで京都に決定しました!

コーチングスクールの同期と新年会で、みんなはどこに住んでいて、雰囲気はゆったりしているのって説明したら、いくつか出してくれた。

そこから、電話して何軒か確認して、ここだ!というお店を選びました。

結果的に、良い方に転びました。
個室がいいな~を満たしていたのと、お料理としっかり向き合う感じのお店でした。

コースだったのですが、出されるたびに、丁寧に説明して下さった。
料理への愛があふれてた~。

瞑想について話していて、食べながらマインドフルネスを実践するような時間がちょっぴり流れた。

面白い笑

待ち合わせは本屋さん

夜開催だったけど、0次会でお茶でもしない?ぶらぶらしてもいいしって誘ってもらったから、新年会の前に集まれるメンバーだけでカフェでお茶した。

その待ち合わせ場所が本屋さんだった!!!!
天才だ。

遅れてきても本あるから全然気にならないし、本好きだし、最高だな~って思った。
大学生の時は、週に何回本屋さんに行くのかってくらい通ってたけど、今は月に1回も行ってないなぁ。

リアルな書店に行く機会が減っているからここぞとばかりにちゃっかり気になっていた本をいくつかぱらぱらして、2冊買いました!

へへ、旅先の本屋さんで本買うの、最近よくある。

瞑想とは

年末年始どうやった?みたいなことからサクッと話し始めた。

それぞれの年末年始を過ごしていて、近況を知ることが出来て、嬉しかった。

その中で、2月に10日間の瞑想合宿(ヴィパッサナー瞑想:話さない、目も誰とも合さない、粗食で1日に何時間もひたすら瞑想をする)に行くことにした、という話を聞いた。

そして、瞑想が好きだということも。

この瞑想合宿、私の周りでも参加したという話を聞いたことがあって、ちょいちょい出くわす。
コーチという人たちが興味を示すものなのかもしれない。

瞑想、受講している講座の課題として取り組んでいるんだっていう仲間がいたり、私は5分の観察瞑想をしていたりで、意外となじみがあった。

そして、坐禅体験をする予定にしていた私。

けれど、瞑想が好きという感覚は持ち合わせていなくて、興味深かった。

私の言葉にすると、世界が私とその何か対象物だけに閉じるみたいな感覚が好きなのかな、と思った。

無とはちがって、集中することで音がやんで、時間が流れているけど止まっているみたいな感じ。

ぜひ、どんな体験だったのかを体験の一端をききたいなって思った。
あえて体験談のようなものには触れずに参加するらしい。

瞑想が好きなら、もしかしたら楽しいというか苦痛な体験ではないのかもしれないな、って思った。

人それぞれ異なる体験になるんだろうけど、面白そうだよね。

暗い所にいる自分と向き合う

いわゆる向き合いたくない、見たくない自分を置いて向き合っていて、なかなか苦しい状況にいる、という話を聞いた。

それは、講座を通して実践している、とのことだった。
もしかしたら一生知らずに向き合わずにいたかもしれない自分と向き合っているらしく、期間としては折り返しらしかった。

うーん、これもなかなか大きいテーマだ。

私も見たくない自分と向き合うことは、コーチングを通してやってみたり、絶望の私と過ごしたり、しんどいなって思うことを見つめるはしている。

けれど、それとは比べ物にならない位辛そうに思った。

一生向き合わないままでいたかもしれない自分と向き合うとは、なんと難しいことよ、と思った。

あるよねって出してしまったことで、心のしんどさが身体に現れて、熱が出た、と言っていた。

それでも、「みんな受けた方がいいと思う」、と言っていたのが印象的だった。
純粋な自己に近づく。

受講期間を通して、仕事をしていても何をしていても頭のちょっと上の方にはある感じで、心がしんど過ぎてプロに話を聞いてもらったとも言っていた。(この講座を受けている仲間がたまたま2人いる)

自分で限界を感じて、助けを求められたことそのものがまず褒めることだと個人的には思った。

心身が健やかでいてこその幸せで、向き合う中で、本当に辛ければ立ち止まってもいいし、必要な手当てを自分でちゃんと受けとれるのは大事な力だ。

また、しばらく箱に入れてふれないをして、同じ講座の仲間と話す課題の時にちょっと開けてみた、とも言っていた。

私は実際に氷の箱に入れて湖に沈めたり、その箱をコーチと開けるということをしたことがあるので、その知恵もとても良いと思った。
自分を守りながら向き合う、安全に向き合うのは大事だ。

流れに任せて、無理に出会わない、タイミングが来た時に向き合うことが基本だと思う。

けれど同時に、向き合いたいんだって自分から引き受ける、掴みに行くもありだと思っている。

スクール認定資格とは何か

この問いについて話しちゃった!

私は、個人的にはコーチングテーマにしたこともあるし考えてきた方だと思う。盲目的に取りたいの次元、みんな目指すよねの感じからは距離を置いた所にいる。

自由を奪われる感じを私は感じていて、資格はあれば権威性でもあるし、プラットフォームに登録できる可能性もあるしで、メリットはある。

だけど、私が段ボールの箱に入ってる感あったし、もっと自由にしたいって思っているのが私の立っている地点。

コーチの道を歩いていたら、どうするの?って考えるタイミングはまたきっとやってくる。ただ今の時点では、私の世界の外にある。
それが分かったので、今の所そっとしておく。

受講料に試験費用が含まれるから資格取得までして完了。
だから、取らないことは未完了になる、という話もあった。

また、自分のすることに賛成してもらう、応援してもらうという体験になっているのだ、だから目指すのだ、という話もあった。

クライアントさんがいないと実現しない、単に試験を受けてパスすればいい話ではない。セッションの実践が不可欠だ。

資格そのものよりも、そこまでの過程に価値がある

周りの環境に対する自分、という視点もあった。全課程を修了しているのにコーチとして活動していないの?という視線を自分も先輩たちに感じたことはあるし、自分もコーチとしてやはり資格を取りたいという感覚。

いわゆる目標達成のようなコーチングではなく、私たちの学んだライフコーチングの世界、インテグレーション・コーチングを体現する、広めていくツールとしての資格のあるコーチが伝えると、言葉に力が宿るよね、という話もあった。

そして、資格をもっているコーチへの安心感。

集客のためのツールという見方も出来なくはないけど、それぞれに多様な意味があった。

取るも取らないも、目指すも目指さないも自由で、やはりどんな意味があるのかを私なりに定義出来ないと、目指すかどうかですら私は決められない。

状態のいいクライアントさんとのコーチング

コーチやってるんだな~って感じた!

コーチングは、クライアントさんとともに創る時間。
対等なパートナーである。

そして、その瞬間のあなたと私だから起きることがある。
アートという言葉が思い出されたから出しておく。

1年前の私でも3ヶ月後の私でもなく、今のあなたと私だから起きていることがある。

継続していると、クライアントさんがコーチングによってリソースフルな状態になっていく。
それは、喜ばしいことである。

と同時に、コーチの側が、クライアントさんにとってコーチングは必要なのか?この場はフルに活かされているのか?という問いを持つことがある。

そんな相談だった。

コーチだから相談しないではなく、いつでも倫理的に困った時だけでなく、悩んだら相談したらいい。
そんな時に頼れるのも仲間のいい所だ!

フェーズが「日常」なのでは?
という仮説が立った。

インテグレーション・コーチングでは、7つの円環を成すフェーズのどこに立っている?のフレームでクライアントさんを捉える。

何も起きていない、満ち足りていうように見えるフェーズ。

コーチングの活用方法についての習熟度のちがい。
コーチングという場をどのように活用するのか。これはクライアントさんによって全然ちがうと思う。

思考を広げて置いてみて俯瞰して眺めたい、まとめたい時もあるし、誰にも聞かれない心を聞いてほしい時もあるし、何だか進みにくいけど、やりたいことがあるかもしれない。

仕事で何を目指したいのか分からないみたいな具体の悩みがあるかもしれないし、人生の価値観みたいな抽象的なテーマかもしれない。

定点観測としても使える。自分と向き合う時間として使う。

多様だけど、クライアントさんがコーチングの活用方法を知っているとは限らないと思う。だから、こんな風にも使えるよを選択肢の一つとして示してもいいかもね、って私は言った。

セラピー的な癒しの時間、壁打ち寄りの思考の整理、親子関係を補完する時間、みたいなことが今だと浮かぶ。

コーチングは互いに成長し合う時間。
そういうコーチング観を私は持っている。

だから、何だか服が合わないなって感じるなら、着替える、着替えられないなら、次のコーチに出会うこともクライアントさんにとってもコーチにとってもいいことだと思う。

この時間を活かし切れていないように感じるなら、そのまま伝えてみたら?の意見も多かった。

コーチは、コーチとしてその場に存在するでもあるけれど、同時に1人の人間なので、弱さというと語弊があるけれど、継続してもらえたら嬉しいと思っていることも含めて、そのままを伝えてみる。

「お互いに支え合う関係」、という言葉が印象に残った。
不調なら不調だということも場に出していい。不調である上で、一定の質は担保されなければいけないと思うけれど、揺らぎはある。

不調が大きいなら、スキップさせてもらうことも検討したらいい。

一度、スキップしてみるのも手かもしれない、とも私は思った。
私はクライアント側でスキップしたことがある。

コーチングを受けられる健やかさが私になかった場合と、何を話したらいいのかよく分からんなって思った時にスキップしてみた。

あんまり時間が空き過ぎるのは良くないという感覚はあるけど、スペースが出来ることでお互いに新しいものがそこに入ってくるかもしれない。

もうこの人に自分のコーチングはなくても大丈夫、自走できるよねって思えることは嬉しいでもあり、寂しいでもある、という感じを仲間が返していて、そっかーって思った。

自分を信じるとは

私はとてもこれが出来るようになってきた感がある。

愛にふれられるようになったからだ。

昨年の下半期、私のテーマだったし、未来に持っていくものが私が「私」を信じる力だったしね。

私のままで生きる、私を生きるがわりとやりやすくなってきたのは、自分を信じることが出来るようになってきたからで、その土台に「愛」がある、と思う。

誰も教えてくれなかったと感じていたけれど、愛というふかふかの土がある所に植えるからこそ、自己信頼も自尊感情も育っていくんだ。

お日さまの光も雨もたくさん浴びる(=周りの人からの助け)けれど、土に肥料があってふかふか状態じゃないと、難しいんだよね。

自分を信じるの感覚について、
私は地面があると分かったと表現した。
今までは正しそう、こうあるべきという地面はあったけど、そこを外れたら地面はないように思っていた。

けれど、地面はどこまでも広がっていて私には私の道があるって分かったのが自分を信じる感覚。だから、どう転んでも大丈夫。


100人の村人がいる村で、分かれ道を前にした時に、99人が右の道を行くと言った時に、「自分は左に行く」と言える、それを選んで歩いて行けること。

と教えてくれた仲間がいた。なるほど感。

周りに左右されない、自分の感覚を信じて、左に行きたいって感じるなら行ってみること。

選んだ瞬間、歩き出した瞬間は不安や戸惑いがあるかもしれないけど、歩いて行く内に大丈夫って思えるようになるんじゃないのかな、って思った。

また、「左の道に落とし穴が見えていても、落ちるって分かっていても左を選ぶ。」ということも別の仲間が話してくれて、もっと分かりやすいって思った。

落とし穴に落ちるって分かっていてもそれを選べることが、自分を信じること。

これを聞いて、「失敗する権利」という言葉と出会ってつながった。
子育てにおいて、親は子どもが失敗しないようにって先回りして安心な道を示そうとすることがある。愛情からそうする。

けれど、私たちはみんな失敗する権利があって、失敗してもそこから立ち上がったり、学ぶことが出来る。失敗してそれで終わりではない。

人生は続く。

失敗して立ち上がることでしか自信はつかないよ、ともそこでは語られていた。

何を失敗とするのか、そもそも続けていれば、実験の1サンプルがとれる感覚で、失敗という定義はない、と私は考えている。

すぐに自分を信じられるようになった訳ではないけれど、私のやりたいを尊重する、無視しないで「あるよね」って気づくことから。
そして、その声が聞こえたら、周りはちがう方向を目指していても、それをやってみること。

その積み重ねなのかな、って思った。
本当にこっちでいいの?ってブレちゃう迷っちゃうから、私はコーチングで思い出すことをしている。

私のシンプルは好奇心がコンパスで生きることで、それだけを信じていればいいんだ、を思い出す。

自分の変化に気づくには

難しいよね、の話をした。
これはそうだと思う。

だから、コーチから変化を返してもらえることを私はとてもありがたいと感じていて、私もそうやって変化をちゃんと返せる人でありたいと思っている。

定期的に振り返ることで、自分で変化に気づけるようにしているよの話をした。毎月私はフレームを固定して振り返っている。

記録は、変化を可視化してくれる。

体の感覚で掴めるようにしてみるのは?のアイデアもあった。
何気ない日常の中で、ふと、今の私うまくやれたなとか、この自分が心地いいなって感じたその瞬間をキャッチして、そういう瞬間が増えていくことが変化では?の話。

確かに、感覚で「好き」まではいなかなくても、ちょっといい気分だなって感じたその感覚を大事にして、それが再現できる時間が増えるのは、変化だと思う。

頭で認識するよりも、体の感覚でキャッチできるになったら、早いと思う。

また、どの地点の過去から比べるのか?の話もあった。確かにそうだよね。
昨日の私と今日の私では確実に変化している。髪の毛も爪も伸びている。
同じままでいることはそもそも不可能。

私は、わりと自分の変化に自分で気づいている方なのかもしれないなって思った。
私、成長してる!みたいなこと、ちょこちょこ感じる。

怒りスイッチ

最近は、あまり怒りを感じることがなくなったように思う。
そもそもストレスとは遠い生活をしているので当然だ。

けれど、長所と短所を尋ねられたら、「短気な所です」と答える位には、私は怒りの導火線が短かった。

アンガーマネジメントについては、本を買ったことがあるけれど、途中まで読んで手放した。

この本を読もうと思ったのは、自分のアンガーマネジメントというよりも、いつもかりかりしている人の怒りを受けることで私は精神的に参っていたから、その対処をしたくて読もうとしたのが大きかった。

喜怒哀楽の感情の中でも、怒りの感情はネガティブと分類されがちで、感じないように出さないように、という扱いをされるよね、という話が出た。

確かに、怒りはコントロールしなくちゃいけなくて、良くないというラベルが貼られている。

けれど、怒りはエネルギーだし、感じたらだめな感情は1つもない。
社会に適応するために、生産性を上げるために、怒りはなくそうってなっているだけでは?という感じの話をした。

確かに、怒りは生きるエネルギーだったり、行動の源になったりする。
すべての感情はつながっているって教えてもらったから、やっぱり感じることで見える景色がある。

怒りは二次感情とも言われるから、感じ切ることがカギだと思う。


怒りスイッチが見当たらない、という話を聞いた。
聞いた時、無理に怒りを感じなくてもいいのでは?と私は思った。

怒りは感じない方がいい、少ない方がいいという私の考え方が反映されていると思った。「楽しい」をたくさん感じたいって私は思っているから、怒りは少ない方が楽しく生きられるじゃんって考え方だ。

怒りには3段階あるらしい。
小さなイライラ、中くらいのムッとする感じ、頭にくるという感じの大きな怒り。

「イラっときたらまず6秒待とう」という標語があった。
6秒数えるうちに怒りはおさまるというもの。
実際には6秒数えてもやっぱり怒りがおさまらない、と感じたこともあった。

私は、電話の受話器をたたきつけて電話を切ってしまったことがあった。
勤めていた時に、固定電話から先生のPHSにかけていて、ブチ切れてしまったよね…。小さな怒りが積み重なって、ブチ切れるに至った。

私は、わりと感情が表に出やすい人間だけど、働く上では自制していたけど抑えられなかった。

小さな怒りを噴出させないように、大人の対応をする自分というのを想像で展開してしまったことがあった、という話を聞いた。

自分の受けとれるはずだったものが手違いで受けとれない。そう感じた時に、申し出て、謝られて、けれどそれを許す自分までが想像された、と。
実際は見落としていただけで、ちゃんと受けとれた。

怒りの定義が大きいのでは?の話もちょっとした。大きな怒り以外は、怒りじゃない認定をしている疑惑。怒りの3段階の話にあったように小さなイライラも怒りなのだ。

怒りを感じることが必要?みたいなことを尋ねたら、「健やかじゃないような気がする」、という感じのお返事だった。
怒りを感じないからと言って、困ってはいない。
ただ、怒りを抑えているのか、スイッチ自体が見当たらない、ということだった。

期待が怒りを連れてくる

人に期待をする。その期待が叶わなかったり、裏切られた時に必ずしも怒りに変わるではないけれど、ストレスを感じるよね、ということも聞いた。

誰かに、または自分に期待して、そうならなかった時に、ストレスがかかって怒りを感じることがある。

期待ってしますか?

というシンプルな問いかけだったと思うけれど、それは「とてもする」という話だった。

人に期待しない。という目標を作っていたくらい、人にめっちゃ期待はしていたそうだ。

これは、私はあんまりなかったのかもしれない。

相手を信じるからこそ、期待するんだと思う。
その点でいくと、私は自分をあまり信じていなかったもあると同時に相手のこともそんなに信じていなかったと思うから。

仕事を任せることが苦手だったのは、自分でやった方が早いし進捗も把握できるから。そして、相手のことを信じ切れていないがあったと思う。

期待することを諦めていたら、怒りは生まれにくいのではないか、と。

無感動になるに近いと思った。

淡々と、そういうものだよねって諦めていたら怒りを含めた感情の動きは起きにくいんだと思う。

怒りとともに

逆に、世界にいちいち怒りを感じる今を過ごしている仲間もいた。
何で晴れなんだよっ!って天気にも怒る。
それはそれでエネルギー消費がある生活だけど、人間らしいとも言える。

健やかか?と言うとその頻度や怒りの大きさにもよると思うけど、エネルギーが循環している感じはする。

「本当に」の魔法

疑うではないんだけど、「本当に」を頭にくっつけるだけで、本音、一段深い所にふれられるね、という話をした。

だから、最後にみんなの「本当に」やりたいことは?の話をした!
新年会っぽくて、とっても良かった。

私は台湾旅行に行くを挙げた。

年末に私は何でも出来るのリソースフルな状態を思い出させてもらった時に勢いで航空券はとっていて、ある程度は調べたことがあったから、4月に行くも決められた。
だから、台湾旅行だ!

ホテルを手配するのタスクがある。

他のみんなのやりたいも面白かった。

【ええんやで会のみんな、やったよ!の報告待ってるよ】
富士山を登る
ときめく中古カスタム車をお迎えする
新しいちがう種類の楽器をお迎えして、吹けるようになる
京都で1人暮らしをしてアトリエ作って、一輪挿しを飾る
ロゴデザイン、韓国語、コーチング
海外に再び住む、藤井風さんのライブ、お財布、手袋、寝そべってオーケストラ

第1回ええんやで会の写真をもとに、お年賀ポストカードをお日さまみたいなコーチが作ってプレゼントしてくれた!

イラストなんだけど、みんなが着物を着ている感じになっていて、AIさんに作ってもらったとのこと。すごい!

とっても嬉しかった。宝物になるんだ~。
どこに飾っとく?
とりあえず手帳に挟んだけど、見られるようにしときたいよね~。

まとめ

沈黙が流れる場面が何度もあった。

2人とかの少人数ならそれも分かるんだけど、複数人でご飯を食べていて、沈黙がおりるって印象的だった。

けれど、その沈黙を聴くことが起きていて、何かが起きているを互いに感じあっていたと思う。

プリプリのエビ状態の私たちで話していたね、ということを言っていて、面白い比喩で、分かる~だった。
そのままの鎧も役割も外した素の私。

サウナで汗をかいて、冷たい水につかって、外気欲をしてととのったになる状態、あの「食べ頃ですよ、いい感じに仕上がりましたよ、私」の状態の私と近いらしい。
サウナに入ったことがないから、よくは分かってないけど、面白かったから出しておく。

上っ面のコミュニケーションというのも社会では存在していて、それは円滑に進めるために必要。
(本音見せろや!こっちは表面上のコミュニケーションはやってないんじゃ!の怒りも面白かった笑)

けれど、ここでは建前なんてものは1㎜も存在していなくて、本当のことだけがあったと思う。

そうやって心のやわらかい部分を見せられて、ふれさせてもらった。

サードプレイス、という言葉を以前ここで聞いていて、それが体現されている時間で仲間です。

心から感謝で、そういう仲間に出会わせもらって、ご縁が続いていることが私にとっては奇跡だなって思う。

心からの愛を込めて、みんなにありがとう。大好きです。

次回は、香川県高松市にうどんを食べに来てもええんやで~。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

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よかったらこちらのnoteもどうぞ

▽第1回は、受講中の2025年春だった!

▽東京で送別会をした時

▽受講修了直後の集い


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