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そうだ福井に行こう、宿場と鉄道の町 今庄宿を歩く ー 北国街道ふらり旅 今昔編 ー

「予約のお客様ですか?」

首を横にふる

「満席です」

・・・・・

店員女性の、ちょいとぶっきらぼうな物言いに、ピクリと体が反応する。
あぁ、いつも満席なんだな、と推察する。

予想外であった(というと失礼だが)
ゴールデンウィーク真っ只中(5月3日)だというのに、人影の少ない街並みに、心が油断していた。
ここは、今庄駅ちかくの蕎麦屋、時刻は11時。


旅の鉄則は「ずらし旅」

今庄宿の散策をあとにして、早めの昼食にしようと考えたのだが・・・予約必須であったか・・甘かったようだ。

どうしよう

▼ ところで、今庄ってどこ?

前回の記事「板取宿」で使用した地図を、もう一度紹介するよ。今庄から南に3本道が分かれている。

一番左が、万葉集にも詠まれた道で、山中峠を通る万葉道。真ん中がその後に整備された、木の芽峠を通る北陸道。そして、一番右の緑の道が江戸時代の最新主要道である北国街道。

逆に南方面から来る場合、この先の越前に行くには、必ず今庄を通る必要があったのだ。

ということで、江戸時代に今庄宿は、栄えたのだ。
ウハウハだったのだ。

▼ うだつの町並み

その証拠を、散歩して確かめてみよう。

宿場町であるとともに、要衝でもあった今宿。町の入り口は、枡形ますがたになっていた。

ただ、この辺りでは、枡形ますがたのことを矩折かねおりと呼んでいる。

矩折(枡形)とは?
町の入り口をクランクにすることで、外敵が侵入しにくいようにしたもの。先が見通せないと、攻める方も怖いよね。待ち伏せされたりするもんね。

矩折になっている北国街道

そして、街並みの特徴が、2階の両端に、ぐいーんと張り出した壁。これが、「うだつ」ってやつ。「俺は金持ってんでー」とアピールするための装飾。もともとは、延焼を防ぐ目的で作った防炎柵だ。必需品じゃない壁、いざという時のオプション(保険)に金を使える証拠、守るべきものがある証なのだ。

ただね、いつの時代も周りが気になる。近所がみんなつけると、自分ちだけないのも・・「うだつの上がらないやつ」って言われるのも嫌だし・・つけちゃお
ってなると思う。

現代でも、隣の家が、マークⅡに買い替えたぞ。よーし我が家は、クラウンだ!って、30年前の実家周辺あるあるでした。


▼ お泊りに必要なのは

旅の楽しみは、昔も今も同じ。

1kmほどの宿場町に、4軒の蔵元が軒を連ねる。

今庄駅構内にある物産館にて「今庄宿 四蔵元物語」
げっどだぜ!

すべて純米酒なのがステキ

イマドキの味ではないが、古き良き日本酒が好きな方、ぜひどうぞ。イマドキな日本酒も美味しいけど、定期的に欲しくなる、ほっとする味。
私は、一番右の「大屋(堀口酒造:鳴り瓢なりひさご)」が好みでした。旨味がギュッと凝縮した辛口のすっきり酒。
ぜひ、呑み比べてみよう。


▼ おまたせ~

あれ? 蕎麦はどうなったの?
と、ご心配のみなさま


おまたせしました。

話は、最初に戻る。(もどりすぎやろ)

満席ではあったが、蕎麦は品切れではなく、あと数食分残ってたのだ。12時15分からなら空いてます。ということで、1時間ほど今庄宿を散歩してきたのだ。結果オーライで、ばっちり昼食時に合わせることができた。奇跡。

お邪魔したのは、「忠兵衛」

営業は、土日のみ。
GWだろうが、お盆だろうが祝日だろうが一切合切問答無用で関係なし、誰が何と言おうと、断固一徹絶対土日のみなのだ。はぁはぁ
と、息を荒くするぐらいかたくなな店なのだ。

ゴールデンウィーク真っただ中にも関わらず、なんと本日(5/3)は土曜日であった。ラッキー

あっ、肝心の蕎麦のインプレッション、いってみよー
まずは、左のおろしそば。越前といえば、出汁に浸されたおろしそばですよねー。ずるっとすする。最初は、そばとかつお節と優しい出汁の香りがする。と思った瞬間、追手が迫り、思わず咳き込みそうになる。ツーンと鼻に抜ける辛味大根おろしの仕業だ。はぅっ、涙がにじむ。飴と鞭じゃないけど、このバランス最高っす。

次に、右の生わさびそば。
こちらは、10割そば。そばの食感・香りが違う。シンプルだがこちらの方が100円高いのだ。あと、この辺りでは、ざるそばとは言わない。つけ汁で食べる習慣がないのだ。メニューにも「だし別のつけめん風」と断り書きがしてあった。他県から来た我々からすると、左の方が異端だが、このあたりでは、右が異端児なのだ。つけめん風って・・、確かに・・笑

量が少なめなので、女性でも2品セットを頼もう。
男性なら3品でも十分いけます。ただし、お高め・・

ネットの口コミでは、評価は真っ二つですが、個人的には好みの味でした。(好みじゃないお店は、紹介しません!)


▼ 近代になっても

江戸時代は、宿場町として栄えた今庄だが、その後はどうなのか?

実は、鉄道の街として栄えた。明治29年(1896)今庄ー敦賀間が開通し、鉄道が福井にも到達した。先に説明した通り、今庄の手前は峠が多い難所。3つある街道、古い道ほど平坦だが、遠回りをしないと行けない。

どこを通したのか?
そうなんです、一番古い万葉道(山中峠)に沿って通したんです。

それでもトンネルが13か所。スイッチバックが4か所の急こう配な鉄路。難工事であった。

ところで、スイッチバックとは?
鉄道車輪は、車と違ってツルツルだよね。なので、急こう配だと登れないんだ。くだりも止まれないので無理。そこで、ジグザグに進むことで峠を越えたんだ。

また当時の蒸気機関車は、非力だったので、スイッチバックで登るにしても、専用機関車へのチェンジが必要だった。そうなると、今庄で停車して作業をするよね。
停車している時間、やることはひとつ。

めし!

という事で、昭和(1930頃)になると、立ち食いそばが全盛を迎える。今庄は昭和初期に絶頂を極める。


ということで、そばと鉄道を繋げたところで、本日の話はここまで、


ー 次回予告 ー

次回は、鉄分多め。
中世の万葉道、そして近代の鉄道遺構である山中峠を巡ります。
おったのしみにー!



つづく…


国産食を盛り上げよう、Eijyoさんに賛同します。



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