金曜日の知らんけど_深掘り
ヤスさん主催の「放課後ライティング倶楽」で幽霊部員の私が、ここのところの金曜日、何度となく倶楽部纏わりの記事を書いている。
もうこれで事は終わると思ったのだ。これで、ジ・エンドだと。
だが、このヤスさんの「土曜日の知らんけど」は、まだまだ続いているようで……。
幽霊部員だけに、何度か参加を飛ばしながらなのだが、ちょっぴり参画したりしている……。
ただ、私は、書くとすれば金曜日に記事を書くので。タイトルは、「金曜日の知らんけど_○○」である。
今日もまた、悪ガキ幽霊部員のkojuroがクラブハウスの屋上で機嫌よくサボタージュ昼寝をしてるところへ、なんだか妨げるものがある。
雨が降ってきた?
いやいや、ヤスさんから投げられたボールだ。
どっかから、小さなプラスティックボールが投げ込まれて、屋上のコンクリートに跳ね、ぽんぽん跳ねて。最後にはコロコロとこっちに転がってきた。
頭んところに転がってきた、黒色のボールを拾い上げて見てみると、それは、マウスのトラックボールだった。さらによく見ると、細かい白い文字でなんか書いてある。
出た出た。
で、今回は、何?

心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
コジも、いつもボーッとしてるけれど、アンテナって、張ってるの?
まあね。
幽霊部員の俺だから。偉そうなことは言えないけれど……。まあ、俺なりに書いてみようか。
しゃあないなぁ、ちょびっとだけよ。昼寝を切り上げるのは。
重い重い、ブラックホールより重い腰を上げて。黒い小さなトラックボールを拾い上げ、ヒョイと放り投げる。

文字にする、文章にするということに対して、いつも、自分に問いかけているのは、難しく考えすぎていないか?構えすぎていないか?と、いうことである。
所謂、自分に期待しすぎてはいないか、とも言えるかもしれない。
ネタという言葉があるが。私は、「タネ」なんだろうと思っていて。
なにがしかのことを書き始めたら、少しずつ自然に拡がりができはじめて。思考も少しずつ回ってきて。最初の期待や方向性とは違った拡がりを含めて、何とか文字になり、文になってくるんだろうと思ったりする。
「タネ」って、何だ?というと、耳にすること、目にすること、五感を通して入ってくるもののことで。
それについて、自分の心の中の自分と会話すること、そのものだろうと思う。
私の場合、リトルkojuroが、常にいる。そこの会話を、まずはそのまんま、文字にする。文にする、ということである。
例えば今、駅のプラットホームで、空を眺めている。
雲勝ちの空の鈍色の雲の切れ間に、淡い青空が見える。
「そう言や、昨日は酷い雨が降ったし、蒸し暑くもあったなぁ。でも、現場への搬入の時に降っていなくって、助かった。ひょっとしたら、俺、悪ガキだけど。結構、思うよりも良い奴で。神様がそういうところ、みてくれてるんじゃない?」
「コジ、いやいや、それは、ただの勘違いだよ。ただの、思い過ごしだよ。悪ガキは、どこまでいっても悪ガキで。日頃の行いを神様に評価されたのは、同行していた鈴木さんだよ」
「あ、そうかぁ。悪ガキは、悪ガキのまんま、なんだね。危うく勘違いするところだったよ……」
そんなこんなを、口語調でも、文語調でも。主体的でも、客観的でも良いから、訥訥と文字にしていく。
そういう日常の目の前の「タネ」を、少しだけ深掘りして、とっかかりにしていく。
世間「アンテナを張る」と言われていることの原点は、ここなんだろうと思う。
ヤスさんの記事に書いてあることを参考にすると、こう、書いてある。
疑問を持つこと。まるで、子供のように。
なんという答えだろうか。
私の言う、「深掘り」とか「自問」とかいうのと似てはいるが。さすがに文章のプロは違う。伝え方、伝わり方が。恐らく原文を読めば、腑に落ちるのではないだろうか。
そう考えると、ちょっと灯りが見えたような気がする。
でも、いつものことながら。
灯りが見えたと思うのは、ほんの一瞬で。実際にやってみるのは非常に難しく。まして、それを血とし肉として自分のものにするというのは、本当に至難の業なのだろうと、またもや、気づくのである。

ここまで来て思い返すに。こんな私の拙ない記事にでも読みに来てくれる有り難い方々がいらっしゃる。
本当に有り難い。有り難いのである。ほんとうに、心の底から感謝を申し上げたい。
あれ?
なんのはなしですか。

そんなこんなを家内に語ろうとして後ろを振り向くと、空のソファーが、静かに笑っていた。
先日から家内は、あるプロジェクトで、都心のホテルに泊まり込んでいる。
シーンとした部屋の空気に、なんだか、心が追いつかない。
昼間のやりとりからすると、家内は、元気なようである。
家内が元気だと、我が家は、明るくて平和である。
だから。
これで、いいのだ。

知らんけど。


