頻出谷戸地名その⑤~上谷・中谷・下谷~


谷戸の上中下とは

谷戸の「上」とはなんでしょう。
そして谷戸の「下」とは?
皆さんは考えたことがあるでしょうか。
そもそもふだん谷戸について考えることがない?
それはそうですね…
ともあれ谷戸地名にはそうした上下に中を合わせた谷戸地名が存在します。
「上谷」「中谷」「下谷」という谷戸地名がそれです。
これらの地名を調べることで谷戸の上下について考察できるのではないでしょうか。
今回も「関東小字地図」の力を借りて各地の谷戸を見てみたいと思います。

上谷・中谷・下谷その基本

まずそれぞれの谷戸について私が今まで回った数をざっくり調べてみました。

上谷:上谷・上谷戸・上谷津・上谷ツ・上ノ谷戸・上ノ谷など 36か所
中谷:中谷・中谷戸・中谷津・中谷ツ・中ノ谷・中野谷・中谷都・中ヶ谷戸 37か所
下谷:下谷・下谷戸・下谷津・下谷ツ・下ノ谷・下の谷・下野谷 など 39か所

若干差異はありますがまあ誤差の範疇ですね。
なので

1.上谷・中谷・下谷の数はだいたい等しい。

と定義していいでしょう。
ただ厳密に見ていくとそれぞれの谷戸に明確な差異があることがわかります。
まずはそれらを谷戸地名の「組み合わせ」で見てみたいと思います。

谷戸地名の組み合わせパターン

上谷・中谷・下谷には大きく2種のパターンがあります。

①上中下などのセットで存在するパターン
②上谷、中谷、下谷でそれぞれ単独で存在するパターン

ここではこのうち①の「セットで存在するパターン」を見てみたいと思います。

「上谷」「中谷」「下谷」の組み合わせ

とてもわかりやすい組み合わせであり、各地で見受けられます。

神奈川県 上谷・中谷・下谷
3つの地名がセットになっている
神奈川県 上谷・中谷・下谷
こちらも3つの地名がセットになっている
だいぶ歪んでいるがよく見ると川筋に沿った形であることがわかる

以前谷戸の構造を説明するために谷戸型の谷戸の上流部分を「上谷戸」、中ほどを「中谷戸」、下流部分を「下谷戸」と説明しましたが、↓

谷戸の構造~谷戸型と谷地型~|Myah Nyah

その考え方の基本がこれです。
基本的に「上谷」地名が高低で言えば「高い方」、川で言えば「上流」に配置され、同様に「下谷」地名が「低い方」「下流」に配置されます。「中谷」はその間ですね。

「上谷」「下谷」の組み合わせ

ただ上記とは別に「上谷」「下谷」のみの組み合わせも多く見られます。

千葉県 上谷津+下谷津
開析谷の上流と下流
東京都 上谷津+下谷津
こちらは川の上流と下流
元は谷筋だったのだろう

ここでも基本的な考え方は同じです。
つまり上谷が「高い方」「上流」であり下谷が「低い方」「下流」となります。
このことからある傾向が浮かび上がります。
「上谷」「中谷」「下谷」の数がほぼ等しいことは先に述べました。
そして「上谷」「中谷」「下谷」が3つセットの組み合わせの地名がある一方で「上谷」「下谷」のみのセットも多くある…とすると「中谷」だけが余りますよね。
そしてこれら「上谷」「中谷」「下谷」にはセットになっていない単独で出現する場所も各地にあります。
ということは…

2.上谷・中谷・下谷は3つでセットになっている事もがあるが上谷・下谷のみでセットになっている事もある。
3.上記1と2からこの3つの地名の中では「中谷」が単独で存在している数としては最も多い。

ということがわかります。

単独で存在するパターン

次に「上谷」「中谷」「下谷」ごとに単独で存在する時の傾向を見て生きましょう。

「上谷」のみで存在する場合

上谷が単独で存在する場合、まず見かけるのが「高い位置にある谷戸」の場合です。

東京 上谷
山に向かって切り込んでいる

画像の上谷は河岸段丘の上の段丘面、そこからさらにその上の丘陵地帯に向かって伸びている開析谷で、他より高い位置にある谷戸、という意味で上谷と名付けられたと考えられます。
「高い位置」というのは必ずしも丘陵とは限りません。
下の図を見て下さい。

千葉県 上谷
赤丸の場所が上谷
開析谷の上の高台に付いた地名

赤い棒線部分が開析谷で、つまり他の部分より低い谷筋です。
一方で赤丸の部分が上谷なのですが、見てわかる通り開析谷の上の高台に位置しています。
この部分に地形拘束がないことからおそらく元湿地帯であり、開析谷の上の高い部分にある湿地帯、ということで「上谷」と名付けられたと考えられます。
つまり「比較して高い場所」であって必ずしも「平地から見た高台や高所」である必要はないわけですね。
また上谷は高台とは無関係に「小河川のそば」に付けられることが多い地名でもあります。

埼玉県 上谷
小河川に跨るように鎮座している。

「え? 確か前谷の時も同じようなこと言ってなかった?」と思った方もいるかもしれません。ですが実際そういう傾向があるのですから仕方ありません。
ただ前谷は小河川の「前」に付けられることが多いのに対し上谷は上記のように小河川に跨るように存在することもあり、立地に違いがあります。
これについては後でまた述べますのでいったん上谷は「小河川のそば」にも付けられるという事を覚えておいてください。

4.上谷は「高い場所」「高台」「低地と比較して高い場所」に付けられることが多い。
5(仮).上谷は小河川のそばに付けられることも多い。

「下谷」のみで存在する場合

では上谷と対になる下谷はどうでしょう。
下谷は基本的に低い場所に付けられるのですが…もっと言うと「高台の近くの低い場所」に付けられる地名のようです。

千葉県 下谷津

上記画像の下谷津は開析谷の構造的には一番上流の部分であり、上谷とセットの場合は本来上谷があるはずの場所ですが、単独で存在する場合下谷という地名がつけられるケースもあります
なぜなら横にある中法伝という場所が高台であり、下谷部分は「隣の地形から見て下」にあるからです。
つまり谷戸地名の「下」という概念もまた相対的なものであって絶対的なものではないということですね。
こちらの下谷などもそうです。

千葉県 下谷
近い場所に下谷がふたつある

ぱっと見ると多数の地名に囲まれて「なにが下なの?」と思われるかもしれません。
ですが下谷の右側の地名の並びをよく見てください。
少し歪んでいるように見えませんか?
このあたりの地形を少し高低差がわかりやすいように別の地図で見てみましょう。

今昔まっぷより
千葉県 下谷
赤丸が先程の地図の下谷のあったあたり
古地図を見ると高低差がよくわかる

一目瞭然ですね。
このように下谷は「高台の隣の低地」や「舌状台地の先端の先の低地」などに付けられることが多いようです。
そして下谷にはもう一つ、「川のそば」に付けられることが多い地名でもあります。
「上谷と一緒じゃん」
と思われるかもしれません。
ですがよくよく見てみると両者には大きな差異があることがわかります。

埼玉県 下谷
一見すると上谷と同じだが…

こちらの下谷はぱっと見ただけでは先程の上谷と全く同じに見えます。
が、こちらを古地図で確認してみましょう。

今昔まっぷより
先程と同じ場所
じめじめした湿地帯であったことがわかる

周囲が畑になっているにもかかわらずこのあたりだけ開拓されておらず、湿地帯が残っていることがわかります。
それだけ開墾が困難な場所だったのでしょう。
こちらの下谷も同様です。

千葉県 下谷
一見すると川に沿っているだけに見える
今昔まっぷの古地図で同じ場所を確認
下谷地名がついている部分だけ湿地帯が残っていることがわかる

古地図と言っても1900年前後なので比較的近代の地図であり、その時代まで開墾が困難な場所だったという事がわかります。
つまり下谷地名が付く場所は単純な川そばというわけではなく、「開墾困難な劣悪地」に付けられることのある地名、といことになります。
とすると逆説的に下谷と対になっている上谷にはその逆のニュアンスがあると考えるのが自然でしょう。
「上様」や「下郎」、「上質」や「下等」などのように質や位が高いものを「上」、低いものを「下」と呼称する価値観は古来からあり、それが土地の性質に対しても適用されている、ということでしょうか。
つまり上谷の「川そば」という特徴は単なる川のそばというわけではなく「耕作に適した上質な場所」という意味があると思われます。
農業技術や土地改良技術の発達でいずれも耕作地となってしまう現在では逆にその特徴がわかりにくくなってしまった、というわけですね。
したがって以下の事が言えるのではないかと考えられます。

5.上谷は「耕作に適した上質な場所」に付けられることが多く。結果として小河川の近くになることが多い。
6.下谷は「高台の隣の低地」や「舌状台地の先端の先の低地」などにつく事が多い。
7.下谷は「開拓困難な劣悪地」に付けらることがあり、結果として川そばに付けられることも多い。

「中谷」のみで存在する場合

では「上谷」「中谷」「下谷」の中で単独で最も多く見られる中谷とはどのような地名なのでしょう。

千葉県 中谷
中地名がいっぱい

まずは「大きなくくりの真ん中」につくケースがあります。
例えば周囲を谷間に囲まれたような場所の真ん中あたり、などですね。
もうひとつは「そのあたりの中心地」という意味もあったと考えられます。

千葉県 中谷・中谷津
向中谷は谷戸ではない
今昔まっぷより同じ場所の地形図
かなり大きな開析谷であることがわかる。

上記を見ればわかるようにかなり大規模な開析谷であり、貴重な開拓地として古代に於いては多くの入植者が住み栄えていたと思われます。
「向中谷」という地名も「中谷の向かい側」という意味合いの谷戸関連地名なので、中谷を基点に周囲に地名が広がっていったことが伺えます。
以前「前谷」「後谷」の話をしたとき前谷がなぜか中谷とセットになっている事が多いと書きましたが、↓

頻出谷戸地名その④~前谷と後谷~|Myah Nyah

これも中谷が「そのあたりの中心地」という意味合いで使われており、その南側にあるから前谷と付けられた、という経緯と考えると納得できます。
以上のことから

8.中谷は「地理上の中心地」に付けられることがある。
9.中谷は「そのあたりの命名当時の中心地や栄えていた場所」に付けられていたと考えられる。

と言ったことがいえるのではないでしょうか。

上谷・中谷・下谷まとめ

まとめると以下のようになります。

1.上谷・中谷・下谷の数はだいたい等しい。
2.上谷・中谷・下谷は3つでセットになっている事もがあるが上谷・下谷のみでセットになっている事もある。
3.上記1と2からこの3つの地名の中では「中谷」が単独で存在している数としては最も多い。
4.上谷は「高い場所」「高台」「低地と比較して高く位置する場所」に付けられることが多い。
5.上谷は「耕作に適した上質な場所」に付けられることが多く。結果として小河川の近くになることが多い。
6.下谷は「高台の隣の低地」や「舌状台地の先端の先の低地」などにつく事が多い。
7.下谷は「開拓困難な劣悪地」に付けらることがあり、結果として川そばに付けられることも多い。
8.中谷は「大きなくくりの真ん中」に付けられることがある。
9.中谷は「そのあたりの命名当時の中心地や栄えていた場所」に付けられていたと考えられる。

だいぶまとまりました。
ただしこれらはあくまでだいたいの傾向であって、上谷・中谷・下谷のすべてを説明できるものではありません。
実際盛り上がった丘の上に下谷の地名があって首をひねったこともあります。
このあたりの地域ごとの差異を調べるのもフィールドワークの醍醐味かもしれませんね。






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