谷戸の構造~谷戸型と谷地型~
谷戸とは一体何なのか、それを知るためには谷戸地名と紐づく場所についての理解が肝心です。
10年ほど各地の谷戸地名を見てきた結果、谷戸には大別して二種類のタイプがあることがわかっています。
私はそれを便宜上『谷戸型』の谷戸、『谷地型』の谷戸と区別して各地の谷戸を見て回っています。
『谷戸型』の谷戸
『谷戸型』の谷戸とはざっくり言えば開析谷構造の谷戸のことです。
ネットなどでよく見かける里山的なもの、と考えるとわかりやすいですね。
開析谷型の谷戸を分割した場合、谷の一番奥の部分を『上谷戸(うえやと/かさやと)』、真ん中あたりを『中谷戸』、下流部分を『下谷戸』、谷戸の入口付近を『入谷(いりや)』と呼びます。まあ地域差があるので上中下が別の谷戸を指すこともあるのですが、あくまで便宜上の呼び方です。
またヤトと呼んでいるのも用語上の問題であって、『中谷』と呼ぶことがあったり『入谷津』となったりすることもあります。
ではそれぞれの場所がどのような構造になっているか少し見てみましょう。
上谷戸

千葉県 小谷

東京都 谷戸池公園

千葉県 旦谷(だんや)
上谷戸には谷頭(こくとう)部(小谷画像奥)があり、そこに開析谷を形成した湧水源があります。
湧水は谷戸に住む人にとって飲料であり水田に引水するための貴重な水源となります。
谷戸にとってもっとも大事な場所であり、替えの効かない心臓部でもあります。
神奈川には宅地化した谷戸が多くありますが、実はこの上谷戸部分だけ本来の谷戸のまま残している事がそこそこあるのです。
極論すれば上谷戸さえ残っていれば中谷戸以下を全て宅地化しても後でそのすべての住宅を壊して更地に戻せば再び農地型の谷戸に戻すことが可能です。
一方で上谷戸を完全に切り開き樹林を伐採し宅地化してしまった場合、その谷戸は二度と元には戻りません。
本来の意味での谷戸としては完全に「死んだ」事になります。
さてこの上谷戸ですが、その谷戸がそれなりの規模だった場合、画像のように溜池が設置されていることが多いです。
個人的にはこれを谷戸の溜池、ということで『谷戸池』『谷池』などと呼んでいます。
水田耕作では季節や稲の成長具合に応じて適切な水量の調整が大切です。
開析谷の一番上に溜池を造ることで棚田となっている中谷戸以下の水田への導水を調整しやすくする目的がひとつあると思われます。
谷戸池の目的はもう一つあります。
「水を暖めること」です。
谷戸の湧水は地底を通ってくることで地中のミネラル分が溶けだし、稲の育成に有用な栄養素を含んでいるとされます。
いわば天然の肥料ですね。
ただ地中から湧き出た水には問題があります。
水が冷たすぎることです。
今では北国でも稲作が盛んなためイメージしづらいですが、稲は本来熱帯産の作物であり、寒さに非常に弱いのです。
稲の育成期に十分な温度に達していなかった場合そもそも花が咲かなかったり、あるいは花を咲かせても実が成らなかったりすることがあります。
冷たい水は稲の育成を阻害しかねません。
なので地中から出たばかりの水はいったんこうして谷戸池に溜めておき、日光で暖めてから中谷戸以下に流している、とされています。
古代の人の生活の知恵ですね。
ちなみにこの谷戸池について独自の発展を遂げた地域があるのですが、詳しくはこちら↓にて。
中谷戸

千葉県 仲の谷(なかのやつ)

埼玉県 上谷(かみやつ)

神奈川県 天谷
中谷戸は上谷戸の湧水源から導水された水田耕作を行っている場所です。
美しい棚田が広がり観光目的としても一番美しい場所ですね。
上記の画像を見るとよくわかりますが左右の谷の崖の上を谷根(やね)、あるいは谷戸根(やとね)と呼びます。
「谷戸の尾根」のようなニュアンスと考えてください。
そこから棚田まで伸びている崖或いは斜面を谷壁(やへき)部と呼びます。
谷壁部には自生した樹木があり、場合によっては地元の人が植林しながらそれを維持している事もあります。これを斜面林(しゃめんりん)と呼びます。
斜面林は土砂崩れや崖の崩落を防ぎつつ雨水を貯め込み谷戸内部への過度な増水を抑え、かつ谷頭部とは別の水源となって谷戸を潤しています。
上記の画像を比べればわかると思いますが、この谷の深さは地域によって大きな差があります。
場所によって千差万別ですが、基本的に神奈川の谷戸は高低差が大きく、埼玉や千葉の谷戸は高低差が小さい傾向があります。
棚田のある場所は谷底(やてい、たにぞこ)部と呼び、主に棚田が広がっています。
また谷頭部および谷壁部から染み出した湧水は用水路あるいは小河川としてまとめられ、中谷戸を抜けて下谷戸に流れつつ、脇にある棚田に水を届けています。
上記の画像では上谷(かみやつ)がわかりやすいですね。
個人的にこれを谷戸用水と呼んでいます。
谷戸用水は谷戸の構造によりますが片方の谷壁部に1本、あるいは左右の谷壁部に1本ずつ流れているのが一般的ですが、地域によっては谷戸の真ん中に流れている事もあります。
中谷戸に家屋があるかどうかは地域によって異なります。
小さな谷戸、水田が希少な地域、あるいは谷壁部が高く急斜面な場所などでは谷戸の内部はなるべく棚田で埋めておきたいため中谷戸に家があることは少ないようです(現代においてはそのあたりが無視されることもしばしばあります)。
一方で開析谷の規模が非常に大きかったり、あるいは地域によって谷壁部が非常に小さかったり緩やかだったりすることがあり、そうした場合棚田から一段上がった場所に家が並び集落を構成している事もあります。
下谷戸

茨城県 原ヶ谷

東京都 下谷戸
開析谷の入口付近には中谷戸同様に棚田が広がっていますが、そこに集落が広がっている事が多くなります。
小さな谷戸の場合、谷戸の入口付近に集落が密集することで背後の谷戸が隠れて見えにくい、あるいはまったく見えないようになっているものも珍しくありません。
現代においては斜面に家を建てることはそう難しいことではないですが古い時代においてはそうではないので、下谷戸あたりの比較的傾斜が緩い場所の方が家が建てやすかったのかもしれません。
また谷戸の奥ほど水源や湧水が多く、そうした場所を保全するために家屋を離したかった、というのもあるのでしょう。
本谷と支谷

千葉県 前谷

茨城県 東谷
谷戸は河岸段丘や丘陵などのふもとが開析されて形成される開析谷ですが、そうした場所では周囲も似た環境であるために複数の開析谷が並行して発生する事があります。
この時、河岸段丘の段丘崖(だんきゅうがい)ではなく、形成された開析谷の内壁部が開析されそこに開析谷が生じる場合があります。
このとき主となる開析谷を本谷(ほんや)、開析谷の内側に生じた従属的な開析谷を支谷(しや)と呼びます。
大抵の場合、支谷もまた棚田とされ水田耕作地として利用されることが多いです。
谷戸の規模によっては長くうねるように続く本谷から幾本もの支谷が左右に伸びているケースもあります。
支谷の生成プロセスについてはこちら↓でのべています。
『谷地型』の谷戸

福島県 谷地

福島県 谷地ノ台

福島県 南地蔵谷地
さて『谷戸型』の谷戸については里山などを紹介するサイトも多く様々なところで解説されているのですが、一方で『谷地型』の谷戸についてその構造をしっかり説明しているところはほぼありません。
谷地型の谷戸はざっくり言うと
・開析谷を伴わず、高低差のほぼない水田耕作に向いた湿地帯である。
・小河川の近くに存在することが多い。
・低湿地とされるが必ずしも低地である必要はなく、高台の上でも水源と湿地帯があれば条件を満たす。
・東北地方に多く、「~谷地」と呼ばれる事が多い。
などが特徴です。
お世辞にも風光明媚とは言い難く、観光目的にするには少々不適かもしれません(場所によっては見応えのある谷地もありますが、これはまたいずれ別項で)。
なお『谷戸型』『谷地型』はあくまで用語上の話であり、必ずしも実際の「~谷戸」「~谷地」地名が同じものを指すとは限りません。
このあたりについては大事な話なのでいずれ別項で詳しく述べます。
