頻出谷戸地名その④~前谷と後谷~


谷戸の前後とは

みなさんは谷戸の向きを気にしたことがあるでしょうか。
そもそも谷戸自体あまり気にしたことがない?
そうですね。
ただ私は気になります。
なぜなら谷戸には谷戸の向きを指すと思われる地名が存在するからです。
「前谷」「後谷」と呼ばれる谷戸地名がそれです。
これらの地名の特徴は単独で成立しているのではなく、必ず「他の何かとの位置関係を定義している」ことにあります。
いったい何にとっての「前」であり「後」なのか。
そもそも「前」や「後」はその何かに対してどういう位置なのか。
今回はそうしたことを少し掘り下げてみたいと思います。

前谷と後谷

私が今まで訪れた前谷・後谷系の地名をまとめてみると以下のようになります。
前谷・前谷ツ・前谷戸・前大谷など 24か所
後谷・後谷ツ・後谷津・後ロ谷、後大谷など 33か所
後谷の方が若干多いですがまあ誤差の範囲と言っていいでしょう。
前谷は「まえや」「まえやと」「まえやつ」などと読むことが多く、後谷には「うしろや」「うしろやと」「うしろやつ」などと読みます。
いずれも谷戸地名に多く用いられる「ヶ」が使用されることがなく、前ヶ谷、後ヶ谷のように表記されることは殆どない、という特徴があります。
さて「前」「後」とは位置関係を示す地名です。なので「前谷」「後谷」は必ずなにか別の場所の「前」または「後ろ」に位置しているはずです。
そのため単純に谷戸の画像を載せるだけでは説明できません。
なので今回は少し関東小字地図↓の力を借りて調べてみたいと思います。

関東小字地図

前谷の「前」

①小河川の前

前谷の「前」として最も多いのは川です。
それも小河川であることがほとんどです。

埼玉県 前谷
埼玉県 前谷

そしてその立地上ほとんどが谷地型…つまり元低湿地であろうと思われます。
水源を求めて水害などが少なそうな小河川に進出した際その「前」としてつけられた地名なのでしょうね。

②重要地点の前

その地域の重要な場所や施設などの前にある谷戸に前谷という名が付けられることがあります。
この時何の前なのかを示すためその場所の名前が谷戸地名に付随する事があります。
この場合、その場所の「正面」を前として扱っているようですね。

千葉県 北条前谷
このあたりは古代安房地方の中心地だったとされている
千葉県 和田前谷
和田という地名に対する「前」

③対象の南側

まずはこちらをご覧ください。

埼玉県 前谷ツ
中谷ツとの関係性での「前」と思われる
神奈川県 前谷津
これも中谷津との関係性で「前」
だが何をもって前なのか

いずれも「中谷」との組み合わせで「前谷」となっている事が見受けられますが、他に関連する地名が見当たりません。
普通「中谷」が他の地名の関連して登場する際は「上谷」「中谷」「下谷」のように上中下の並びで出てくることが多く、「前」と「中」というのは珍しいです。さらに上記の地名は「前谷」「中谷」「後谷」のようなセットにもなっていません。
ですがこうした「前と中のみ」の組み合わせのセットは他にもあり、単純な例外ではないことがわかります。
一体何を意味しているのでしょうか。
実は古い時代「前」には「南」のニュアンスが含まれていました。
『天子南面』という中国の考え方で「天子は北を背にして南を向く」のが正式である、というものです。
この考え方で行くと南は天子の正面になりますから「前=南」ということになり、同時に背後である「後=北」ということになります。
和妙類聚抄などの古い文書では南の字を「マエ」と読むことがありますし、漢字の「背」の字の一部に「北」の文字が含まれているのもこの影響ですね。
前谷と中谷の組み合わせを確認すると、そのすべてで前谷は中谷の南側に位置していました。
つまり「中谷」という基準点から見て南側にある谷戸だから前谷、というわけです。

後谷の「後」

①対象の北側

土地において「後ろ」という概念はわかりづらいですが、前谷の反対の意味を持つことから後谷には「北側」のニュアンスがあることは明白で、これについてはたびたび確認できます。
特に前谷とセットで配置されているときはわかりやすいですね。

埼玉県 後ロ谷
前谷とセット

上記などは「前」と「後」という現代の感覚だけで見ると混乱しますが「前=南」「後=北」として考えると腑に落ちますね。
そしてその位置関係からこれらの谷戸が指している対象が五輪山であることもわかります。

東京都 後谷戸
これも前谷戸とセット

こちらも前谷が南、後谷が北の構図。宮前という地名が見えるのでおそらく神社の南北を指していると思われます。

②断絶:峠の向こう

古い時代において「後」という文字には視界の外、死角、といったニュアンスがありました。後見人という単語の元になった後見(うしろみ)という古い言葉からも目の届かないところまで面倒を見てもらう、という意味で視界の外、といった意味が「後」という文字に含まれていることがわかります。
土地に於いてそれを当て嵌めた場合、対象となる場所からのなんらかの「断絶」が含まれていると「後」という地名が付くケースがあるようです。
一番わかりやすいのは「峠の向こう」ですね。
峠を越えた先は当然直接見ることができません。その断絶が地名を付ける際「後」という文字を使わせるようです。

埼玉県 後谷
ぱっと見はなぜ「後ろ」かわからない
同じ場所を地形レイヤで確認
後谷の谷頭部の先に神社があり、峠越しであることがわかる

例に挙げた後谷がわかりやすいですが、「鳥居前」「宮前」「宮ノ前」といった神社を表す小字(こあざ)が幾つもあり、これらに対する「うしろ」であると推測されます。
高低差を確認すると峠を越えた先に谷戸があり、そのため「後谷」と付けられたのでしょう。

③断絶:高台に対する谷底

断絶とは必ずしも峠の向こうだけではありません。
対象となる場所が高台にあった場合、たとえ隣り合った場所でも開析谷と言う地形そのものが「断絶」と見なされることがあります。
大きな断崖に阻まれ目の前にあるのに到達できないことが「断絶」要素になっているのでしょう。

千葉県 後谷
地形拘束から開析谷であることがわかる

こちらは「天神山」に対する「うしろ」と思われますが、対象の場所に対して谷戸型の開析谷がっちょうど視界の外=「断絶」であることがわかります。
対象が高台にある場合、谷戸型であること自体が「うしろ」の条件を満たすわけですね。

千葉県 後谷津
後谷津の南北に長く続く地形の歪みから開析谷があることがわかる

こちらは「宮ノ後」に対する「うしろ」と思われますが、地形的には宮ノ後が高台の端、その横にある谷底が「うしろ」扱いとなっているようです。

④断絶:川向こう

少々解釈が難しい「うしろ」もあります。

千葉県 後谷津
前谷津とセット

前谷津と後谷津の組み合わせなのですが基準となる神社などの場所が見当たりません。
さらに配置が東西で「前=南」「後=北」からも外れています。

今昔マップ
明治期の同地形
当時から大きな開析谷だったことがわかる

古い地図を確認すると昔から川の位置は変わらず、前谷津・後谷津のあった場所が大きな開析谷であることがわかります。
解釈としてはまず前谷津が先に開拓され、「川の前」という理由で「前谷津」となったのではないかと推測されます。
その後川向うの開析谷が開拓され「前谷津の断絶した向こう」ということで後谷津と付けられたのではないでしょうか。
古代から中世にかけて山の峰などの自然境界を国や村落の境界線とすることはよくあり、そのひとつとして河川を境界とすることも珍しくありませんでした。
川が氾濫して川の流れる場所がかわったらどうするのか、というと川筋に沿って村境などがそのまま変動してしまうのです。
今となっては少々理不尽な気もしますが当時はそれが当たり前だったんですね。
…少し話が横に逸れましたがつまり何が言いたいかと言うと「川は断絶要素になり得る」ということです。つまり前谷津から川という断絶で隔てられた向こう側にあるから後谷津になるのではないか、という解釈ですね。

終わりに

前谷、後谷についてざっと見てきました。
まとめると

前谷
1.前谷は「何か」の前にある谷戸に対して付けられる地名である。
2.「何か」は小河川の事が多いが、神社などその地域にとって重要地点であることもある。
3.重要地点に対する前谷はその重要地点の名前を冠して「●●前谷」のような地名となることがある。
4.「前」が南を意味し、重要地点の南側の谷戸が前谷となることがある。

後谷
1.後谷は「何か」の後ろにある谷戸に対して付けられる地名であり、「うしろ」とは対象の場所となんらかの断絶がある事を指す。
2.断絶とは「峠向こう」「高台に対する谷底」「川向こう」など視界の外、到達困難といった要素を指す。
3.「後」が北を意味し、重要地点の北側の谷戸が後谷となることがある。

また共通要素として
1.前谷・後谷は多くの谷戸地名に付随する事の多い「ヶ」が付かないケースがほとんどである。

等となります。
ただこれらの分類をした上でなお後谷の解釈に悩むことがあります。
「これってどこの『うしろ』なの?」「なんの『うしろ』なの?」ということですね。
今回参照させていただいた関東小字地図の地名には私がまだ見ていないものもあり、是非いちど確認した上で判断したいものです。

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