頻出谷戸地名その⑥~東谷・西谷・南谷・北谷~|Myah Nyah
谷戸の一大勢力
今まで幾つかの頻出谷戸を見てきました。
谷戸地名の中でも多く見かける谷戸地名、というやつですね。
ですが実はこれまで意図的に後回しにしてきた頻出谷戸地名があります。
谷戸地名の中でも特に数が多い一大勢力で、それでいて現代にはほとんど残っていない、そんな地名があるのです。
今回はそんな谷戸地名にスポットを当ててみたいと思います。
『方角谷戸』についてです。
今回も「関東小字地図」の助けを借りて各地の谷戸を見ていきましょう。
『方角谷戸』とは
方角谷戸と言っても実際そういう地名があるわけではありません。
「東谷戸」「西谷戸」「南谷戸」「北谷戸」について、長いので方角谷戸とまとめて呼んでいます。
「前谷」「後谷」や「上谷」「中谷」「下谷」あたりは「谷」表記だったのに今回「谷戸」なのには一応理由があるのですが、とりあえず今回の主題ではないのでいずれ別項でお話します。
ともあれこうした方角のついた谷戸地名というのは関東各地に大量に見受けられます。四つまとめた総数ならおそらく全谷戸地名中最多ではないでしょうか。
かつて方角谷戸が多かった理由
なぜ方角谷戸はそれほど数が多いのかというと、以前に述べた谷戸の密集性と連鎖性が深く関わっていると考えられます。
谷戸地名の密集性について~川谷戸と丘谷戸~|Myah Nyah
谷戸地名の連鎖性について|Myah Nyah
上記の記事で述べていますが、簡単に言うと
1.開析谷のひとつに古代人が入植し開拓、谷戸地名が付けられる。
2.谷戸は当時の生活適地であり、発展し人口が増える(谷戸の『集落性』)
3.谷戸は三方を崖に囲まれた閉鎖的な立地であるため維持できる人口には限界がある(谷戸の『境界性』)。
4.開析谷は一つが生成され得る条件が整っている土地なら周囲に複数形成され得る(開析谷の『密集性』)。
5.溢れた人口は隣接した開析谷が吸収、その後開拓され、新たな谷戸となる(谷戸の『連鎖性』)。
6.1~5の繰り返しにより谷戸地名が狭い場所に大量に発生する(谷戸の『密集性』)。
というプロセスを経て谷戸地名が増えてゆく、というものでした。
ここで問題になってくるのが谷戸の「呼び分け」です。
複数の谷戸があるならそれぞれが区別できなければなりません。
ですが毎回毎回「御所谷津」とか「雲雀谷戸」とか地名を考えるのも面倒ですし、そもそも仏教伝来以前の日本にはそこまで複雑な語彙が無かったと考えられます。
そこで登場するのが「方角」と「向き」です。
つまり「東谷戸」「西谷戸」「南谷戸」「北谷戸」それに「前谷」「後谷」などといった他の谷戸との相対位置を示す地名を用いることで谷戸地名の水増しをしているわけです。
つまり
1.方角谷戸は他の谷戸地名との相対位置を示す谷戸地名である。
2.谷戸地名は密集して大量に発生するため、その呼び分けとして最も簡便な地名として方角谷戸が利用されており、そのため数が非常に多い。
と言えます。
方角谷戸の特徴




各地の方角谷戸を眺めても東西南北で格別の地形的特徴は感じません。
谷戸の構造ではなくあくまで呼び分けのための地名だからです。
この呼び分けについてですが、現代の感覚よりかなり狭い範囲でのみのものだったと考えられます。
要は近隣の谷戸と区別さえつけばいわけですから、現代の感覚だと相当近い場所に同名の方角谷戸が出現する事がよくあるのです。

近隣に同名の地名が大量に存在する
上記は特に頻出する地域ですが、他地域でもそれなりの頻度で近くに同名の方角谷戸が出現することがあります。
これほど近くに同名の地名があって混乱しないのか、という話ですが、特段そのような事はなかったと私は考えています。
現代と異なり古代の人間は一部を除き生まれた集落を離れて旅に出るようなことは少なかったでしょうし、隣近所とさえ区別がつくならそれで問題ないという考えだったのでしょう。
仮に同名の谷戸を扱う事があったとしてもその付近の谷戸は異なる名前なわけで、例えば「大宮のところの北谷戸だよ」とか「寺田のところの北谷戸だよ」と言えばちゃんと別の谷戸として通じるわけですね。.
3.方角谷戸は近在であってもある程度離れていれば同名の谷戸が存在し得る。
今、方角谷戸を見かけない理由
そして同時にこうした方角谷戸の特性そのものが現代においてこの地名をあまり見かけない理由でもあります。
たとえば先程の「大宮」が大きな神社がある場所の小字だったとします。その北に「北谷戸」があり、同様にその西に「西谷」が、その南に「南谷」があったとしましょう。
さてこれらの地名をまとめて一つにつするとしたらどの地名が残るでしょうか。
「大宮」が残りますよね。
方角谷戸はかつて大量に存在していましたが、同時に「地名としての価値が低い」という特徴があります。
あくまで「『何か』に対する相対位置」を示す地名でしかないからです。
大事なのはその『何か』であって方角谷戸ではありません。
日本では明治と昭和、さらに平成に市町村の大合併が行われたことで地名の統廃合が行われました。
また郵便番号が導入されると住居表示制度が普及し、そこから外れる字(あざ)地名は廃れてゆき、郵便番号の桁数が増えた時それがさらに加速します。
これらにより字地名が統廃合された結果、方角谷戸の多くは他の地名に飲み込まれ、消滅してしまったのです。
ただ中には方角谷戸の元になった『何か』もさほど重要度が高くなく、取捨選択の結果方角谷戸がそのまま残る、といったケースもあります。
現代でも大字や町丁として残っている方角谷戸はそうして残ったものと考えられます。
4.方角谷戸は地名としての重要度が低く、地名の統廃合などにより消滅しがちである。
方角谷戸、その偏り
では次に私がこれまで確認してきた方角谷戸の数をざっと数えてみましょう。
西谷・西ノ谷・西之谷・西谷戸・西ヶ谷戸・西谷津・西ノ谷津など 72か所
東谷・東谷戸など 30か所
南谷・南谷戸・南谷津・南ヶ谷戸など 24か所
北谷・北谷ツ・北谷津・北の谷戸・北之谷など 44か所
このように方角ごとに驚くほどの差があります。
西谷戸が圧倒的に多く、そして東谷戸と南谷戸がかなり少ないのがわかりますね。
北谷戸・南谷戸の数が少ないことについてはある程度説明が付きます。
以前前谷・後谷について述べた時、前谷には「南」、後谷には「北」のニュアンスがある、とお話しました。↓
つまり南谷、北谷はそれぞれ前谷、後谷によってある程度数を減らしていると考えられます。
ただ前谷・後谷がそれぞれ南北を示している件数はそこまで多くないので、それを込みでも「西谷が多い」「東谷・南谷が少ない」といった偏りは変わりません。
私は谷戸地名であればほいほい見に行く節操なしであり、見に行く谷戸にも偏りや区別はありません。
これまでの前谷・後谷や上谷・中谷・下谷の数がほぼ等しかったことがその証明と言えるでしょう。
逆に言えば方角谷戸に於いてこれだけはっきりと方角ごとの有意な差がある以上、そこには古代人の明確な意図があると考えるべきです。
5.方角谷戸は「西谷戸」が極端に多く、「東谷戸」「南谷戸」がかなり少ない。
6.「南谷戸」「北谷戸」についてはそれぞれ「前谷」「後谷」が同種のニュアンスを持つパターンがあるため、若干数が少なくなっていると思われる。
方角谷戸が示す『何か』
さて、では方角谷戸の方角ごとの数の偏りは何を意味しているのでしょうか。
最も多い西谷戸が最も大事な地名なのでしょうか。
私は少し違うと考えています。
これについて谷戸型(開析谷)の谷戸で考えてみましょう。
先述した通り方角谷戸は「『何か』に対する相対位置」です。それはつまり「方角谷戸は『何か』の後に開拓された谷戸である」ということと、同時に「重要な場所(先に開拓された場所)は方角谷戸の逆方向にある」ということを示しています(『東谷戸』『西谷戸』が同時に開拓されたようなケースもあるかもしれませんが、相当少数と思われるのでここでは除外します)。
つまり「最も数が多い西谷戸の逆方向である東」そして「次に多い北谷戸の逆の方角である南」がその『何か』にあたると考えられます。
ではその『何か』とは一体何でしょう。
それは「最初に開拓された開析谷」であると私は考えます。

神奈川県の丘谷戸
大量の開析谷が確認できる
上記のような丘の内側を食い荒らすような開析谷は長い開析作用の結果形成されたもので、古代人が発見した時点ですべての開析谷が既に存在していると考えられます。
谷戸には連鎖性があると先述した通り、古代人がどこかの開析谷に入植し開拓した結果そこが谷戸地名で呼ばれるようになり、そこから次々と開拓が進み谷戸地名が増えていったとして、では彼らは多くの開拓候補たる開析谷の中からその「最初の一つ目」としてどこを選んだのでしょう。
方角谷戸の方角ごとの偏りから、『南側』『東側』そして『南東側』の開析谷が優先して開拓されたのではないか、というのが私の考えです。
南の方が暖かく米が育ちやすいですし、東の方が日照時間が増えます。
これは関東地方が基本東側が海で開けている一方西には山脈が聳えており、朝日の方が夕日より長く谷戸に差し込みやすいから、といのもあるかもしれません(このあたりは日本海側の谷戸地名の分布をみないと何とも言えませんが)。
そして南東の開析谷から開拓を始め、その後人口が増え谷戸が連鎖的に増えた段階になると西へ西へと進出して行って、結果西谷戸地名が増えていったのではないか、というのが地名の偏りから得た私の仮説です。
なぜ西へ進むのかと言う話ですが、まず開拓候補の中から南端と東端が最初に選ばれることが多いため南や東にはそれ以上進むことができないことが多い、というのがひとつ。
北は相対的に寒くなるから進出したくないという理由がひとつ。
そして元の谷戸から西に進むという事は仮に開析谷の向きが同じであれば谷戸に対する太陽の動き(日照時間)が元の谷戸と同じということであり、既に開拓に成功した谷戸のノウハウがそのまま活用でき、入植の成功率が高いと古代人が判断したのではないか、というのがひとつ。
これらの理由によって、
7.方角谷戸は『何か』に対する後発の谷戸であり、『何か』に対する相対位置を示した地名である。
8.方角谷戸の偏差から、古代人は複数の開析谷の中から南・東・南東方面の開析谷を優先的に開拓し、その後西方面へと入植・開拓を進めたと考えられる。
と言えるのではないでしょうか。
方角谷戸まとめ
簡単にまとめてみました。
1.方角谷戸は他の谷戸地名との相対位置を示す谷戸地名である。
2.谷戸地名は密集して大量に発生するため、その呼び分けとして最も簡便な地名として方角谷戸が利用されており、数が非常に多い。
3.方角谷戸は近在であってもある程度離れていれば同名の谷戸が存在し得る。
4.方角谷戸は地名としての重要度が低く、地名の統廃合などにより消滅しがちである。
5.方角谷戸は「西谷戸」が極端に多く、「南谷戸」がかなり少ない。
6.「南谷戸」「北谷戸」についてはそれぞれ「前谷」「後谷」が同種のニュアンスを持つパターンがあるため、若干数が少なくなっていると思われる。
7.方角谷戸は『何か』に対する後発の谷戸であり、『何か』に対する相対位置を示した地名である。
8.方角谷戸の偏差から、古代人は複数の開析谷の中から南・東・南東方面の開析谷を優先的に開拓し、その後西方面へと入植・開拓を進めたと考えられる。
こうした地名の偏差、谷戸に限らず他にもあるかもしれませんね。
