谷戸地名の密集性について~川谷戸と丘谷戸~
谷戸の知名度
さて私が当たり前のように話している谷戸地名ですが、「全然聞いたことがない」「ろくに聞いたことがない」という方も結構いらっしゃるのではないでしょうか。
それもそのはず。谷戸地名はその分布に地方差があり、さらに地域差も大きいからです。
では谷戸地名はどういうところに現れ、どういう場所で見かけないのでしょう。
そのあたりを少し話してみたいと思います。
ヤトの地域差
「タニ」と「ヤト」
そもそも「谷」という字を普段どう読んでいるでしょうか。
もっと言えば住んでいる地方で「谷」という地名はどういう読み方をしているでしょうか。
例えば深谷を「フカタニ」、大谷を「オオタニ」、渋谷を「シブタニ」などと読んでいるなら、それは西日本の特徴です。
西日本にも一部谷を「ヤ」と読む場所がありますが、ほとんどの場合谷は「タニ」と読んでいるはずです。
つまり谷を「ヤ」と読む谷戸地名は東日本に頻出する地名なんですね。
なので上記の地名も関東だと深谷が「フカヤ」、大谷が「オオヤ」、渋谷が「シブヤ」となります。
今やすっかり有名になった大リーグの大谷さんは岩手出身ですが、名字からすると御先祖は西日本からやってきた人なのかもしれません。
「タニ」と「サワ」
ではなぜ東日本と西日本で同じ谷の字がタニとヤトで異なる読みをするのでしょうか。
これ実は厳密にはちょっと違います。
「タニがヤトに読みが変わった」というよりも「谷の字の意味が変わった」という言い方の方が正確なのです。
どういうことなのでしょう。
実は西日本と東日本で分布に大きな差がある地名がもう一つあります。
「サワ」がそれです。
東京でも大沢、駒沢、下北沢などサワ地名は枚挙にいとまがありません。
このサワ地名は東日本に頻出し、西日本ではあまり見られません。
実はこの「サワ」地名が東日本の「タニ」なのです。
西日本:谷(タニ)
東日本:沢(サワ)
同じ単語が地域によって呼び方が変わり、その結果として「谷」の漢字が東日本では空白になって、そこにタニとある程度似た地形であるヤトが入り込んだ…のではないか、と考えられます。
また別の考え方として、ヤトやサワが元々あった地名だったのに、後からやってきたタニ地名が西日本を中心にそれらの地名を駆逐浸食していった…のような考え方もできます。
これを方言周圏論と言います。
「トンボ」と「アキツ」ー方言周圏論ー
元々全国で似たような読みをしていた単語が後から広まった読みによって塗りつぶされていくと、遠く離れた僻地同士で類似した古い読みが残る、という現象があります。
こうした現象を元に提唱されたのが『方言周圏論』です。
例えば昆虫のトンボですが、これは古語ではアキツと呼ばれていました。日本を古くは秋津洲(あきつしま)と呼ぶ、あのアキツですね。
全国のトンボを指す方言の分布を調べてみると京都を中心とした西日本と中部関東あたりは「トンボ」「タンボ」「ダンブ」のような呼び方が主体なのに対し、東北地方と九州の一部、さらに沖縄では「アキツ」「アケジュ」「アケゴ」「アッケ」という方言が多く残っており、遠隔地同士で類似した方言になっているんですね。
このことから京都あたりを中心に広まったトンボという読みが各地の方言を侵食し、情報や言葉の伝播が弱くなる遠隔地に於いて古い方言が残った、のように考えられるのではないか、というわけです。
なので「タニ」と「サワ」でも似たようなことが起こっていたのかもしれません。
つまり元々ヤトとサワという読みが各地にあり、その後からタニという言葉と概念が広まって西日本を中心にサワ地名やヤト地名を上書きしていって、関東に到達する前に勢いが衰えた…のような考え方です。
資料が残されていない以上何が正しいかまでは断言できませんが、この説ですと西日本でも谷を「ヤ」と読む地名が一部で残っている理由に説明がつきますね。
ただ上記の説を採用する場合、ある大前提を満たす必要があります。
「サワ」より「タニ」の方がより新しい言葉である、という前提です。
これについて音象徴を使って少し紐解いてみましょう。
再び「タニ」と「サワ」ー音象徴についてー
これを読んでいる皆さんは、ただ単純に「タニ」と「サワ」という単語を聞いて、どちらがより険しく、どちらがよりなだらかなイメージを持ちますか?
おそらくその語感から多くの方が「タニ」の方が険しく、「サワ」の方がなだらかなイメージを持つのではないでしょうか。
同じものを指している単語であるにもかかわらず、です。
これは『音象徴』という研究によってある程度説明ができます。
音象徴とは簡単に言えば特定の音、あるいは音の連続を聞いた時にどういうイメージを抱くか、という研究で、コマーシャルやキャッチフレーズ、商品名の開発、マーケティングなどの分野において活用されています。
この音象徴に当て嵌めて見ると
サワ:軽やかで柔らかく水が流れるような動的なイメージ
タニ:強く下に落ちる、周囲を囲まれた限定的で閉鎖的なイメージ
のようになるそうです。
タニとサワが同じものに対する読みの地域差だとするならなぜ同じ地形に対しこれほど真逆に近いイメージを示しているのでしょうか。
農耕民と狩猟民-同じ地形の捉え方-
ではこれらの言葉を片方が農耕主体、片方が狩猟採集主体の生活をしている民族によるイメージである、と考えるとどうでしょう。
「タニ」とはヤトと異なり谷底部が平らである必要はありません。完全なVの字谷でもタニとして成立します。また湧水源がある必要もないので地割れなどで形成された乾いたタニもあるでしょう。
ヤトの場合湧水の開析作用や氷河期と間氷期の繰り返しで堆積した泥や砂が谷底に溜まることで底面が柔らかい泥や湿地となりますがタニにはそうした要素がなく、硬い岩盤な事もあり得ます。
端的に言えばタニは農耕に適していない地形なのです(ケースバイケースでですが)。
さらにいえば農耕民族であれば平地や台地の開墾をメインに行い、タニのある山間部には普段好んで足を踏み入れたりしないでしょう。
そんな彼らからすれば農耕に不適で狭く切り立ったタニという場所は入り込んだら逃げ場のない大変危険な地形、というイメージになっても不思議ではありません。
一方で同じ場所を狩猟採集を主体とする立場から見てみましょう。
逃げ場がないと言う事は逆に獣を追い込みやすく狩りやすいと言う事です。山間部であればその地形の上には森が広がっているでしょうし木の実や果物も期待できます。地面が硬くとも地下水脈があれば飲み水を得ることができるかもしれません。
つまり彼らにとって「サワ」は便利で有用な地形であるわけです。
なので狩猟民の場合、この地形を親しみを込めたイメージで呼んでいても不思議ではないのです。
とここまで来ればお分かりかと思います。
タニ→西日本中心→拒絶のイメージ→農耕民族→弥生語
サワ→東日本中心→親しみのイメージ→狩猟民族→縄文語
ではないのか、という推測ですね。
あくまで仮説のひとつに過ぎませんが。
ともあれ「タニ」が「サワ」に変わり、文字も「谷」→「沢」に変わってしまった関係で東日本では谷の字にヤの読みが当てられることになったと考えられます。
谷戸の密集性
谷戸地名の少ない場所
さて少し回り道になってしまいましたがここからが本題です。
西日本にはヤト地名が少なく馴染みがない。ここまででそれは説明しました。
では東日本ではどうでしょう。
近くにヤト地名がない、という人はそれなりにいるのではないでしょうか。

ヤト地名も少ないがヤチ地名も少ない
(今昔マップ)
例えば氾濫平野です。
氾濫平野というのは大きな河川の左右に広がる平野の事で、川が氾濫するたびに地面を削り、その川の位置を変え、流して来た土砂などを周囲に堆積させることで生成された地形です。
高低差が少なく、大きな段差がなければ開析谷は生まれず、谷戸型(開析谷)の谷戸は生まれません。
では谷地型(低湿地帯)の谷戸はどうなのか、というとこれもさほどありません。
古代に於ける氾濫平野はいつ大河川が氾濫しその場所を変えるかわからない危険な場所です。
そこに水田を作ってもいつ洪水が襲ってくるか分かったものではないですから当然と言えば当然かもしれません。
谷地地名は河川の近隣に存在する事も多いですが、それはほぼ小河川の近くのみで、大きな河川の近くではないのです。
福島の谷地地名を見ても、大河川である阿武隈川付近に谷地は多くありません。
あるとしてもある程度高台にあって洪水被害に遭いにくい場所になります。
例外的に阿武隈川の上流では谷地地名が阿武隈川近辺に多く見られますが、これは上流部では阿武隈川自体の規模が小さいからでしょう。

開析谷が形成されづらく、谷戸地名も少ない
(今昔マップ)
意外な事に盆地など山に囲まれた場所でも谷戸地名はあまり見られなかったりします。
緩やかな山裾を形成する山の場合河岸段丘のような切り立った壁面が少なく、開析谷が生まれにくいためです。
そのため盆地では思ったより谷戸地名が見当たらなかったりします(ないわけではありません)。
谷戸地名の多い場所① 川谷戸
谷戸型(開析谷)の谷戸が多く見られるのは主に2つ。
1つ目は氾濫地平よりもう少し上流、やや規模の小さな川を左右から挟んだ河岸段丘です。
河岸段丘とは川が堆積させた土砂などで平坦となったあと、氷河期と間氷期などの海水準面変動によって川がその勾配を変え、より深い河川を形成する事で本来川際の平野だった部分が一段高い場所として階段状に取り残されてしまう事を指し、場合よっては川岸に何段も段丘が生成されることもあります。
こうした段丘の上の平らな部分を段丘面(だんきゅうめん)、切り立った部分を段丘崖(だんきゅうがい)と呼びますが、この段丘崖が谷戸の元となる開析谷を生成するのに大変都合がいいわけです。

(今昔マップ)
こうした状態が川沿いに長く続くということは、開析谷を生成する条件が延々と続いていると言う事であり、結果として川沿いに幾つも谷戸が発生する事になります。
谷戸地名が固まって見つかるのはこうした場所です。
個人的にこうした場所にできる谷戸の事を「川谷戸」と呼んでいます。
谷戸地名の多い場所② 丘谷戸
こちらも厳密には川谷戸からの派生なのですが、河岸段丘などから生成された谷戸が丘陵地帯の内側に浸食を進め、さらにその壁面から幾つも支谷を生やし、やがて丘陵内を大量の開析谷を形成することがあります。
当然それらは入植の対象となり、多くの棚田が作られて谷戸地名がつくことになります。

(今昔マップ)
個人的にこちらを「丘谷戸」と呼んでいます。
数が多いのはいいのですが調査の際スマホの地図などで安易に目的地に向かおうとすると幾つもの峠越えを強要されて辟易することの多い谷戸群ですね。
結論
上記のことからわかるのは谷戸型(開析谷)の谷戸が発生する場所は近在に類似した条件の地形が多く、結果として開析谷が複数固まって存在する事が多い、ということです。
それは同時に古代の人がそれらの地形に入植し棚田を作り谷戸とすることが多かったと言う事で、つまり「谷戸地名には密集性がある」と定義できると思います。
まあ実際に上記のような地形なのに谷戸地名が残っていないケースもあるのですが、地名は変化したり消滅するもの。
今は見る影もないだけで、かつては谷戸地名で呼ばれていた場所が探せばまだまだあるかもしれません。
