谷戸関連地名その②~谷(サク)~


不思議なサク地名

さて前回サク地名についてお話しました。

谷戸関連地名その②~サク~|Myah Nyah

サク地名には古語としての『サク』と近世に於いて発展した耕作地としての『サク』があり、両者が混在して同じ『作』の字を用いているから地形特性がバラバラに見えていた、という話でしたね。
今回はそれに連なる、一風変わったサク地名についてお話したいと思います。

谷なのに『サク』

こちらをご覧ください。

千葉県 長谷
美しい開析谷
千葉県 門ノ谷
こちらも開析谷
立派な谷戸型

奇麗な開析谷。いわゆる谷戸型。そして『~谷』地名。
さてこれらの地名は何と読むでしょう。
「ナガタニ?」「モンノタニ? カドノタニ?」とお読みの方は西日本在住の方でしょうか。
東日本に在住の方ならまず「ナガヤとカドノヤかな」となると思います。
千葉県やその近辺にお住まいの方なら「千葉の地名だと谷一文字で『ヤツ』と読むからナガヤツとカドノヤツじゃないかな?」となるのではないでしょうか。私も最初はそうでした。
ですが違います。これらの地名は長谷(ナガサク)と門ノ谷(カドノサク)と読みます。
どう見てもサクとは読まないのでは? とお思いかもしれませんが、実際資料にそう残っているのですから仕方ありません。

千葉県 風景谷
当時は気づけなかっですが奥にあるの堰谷跡ですねこれ

こんな地名もあります。
「フウケイダニ? フウケイヤツ?」などと読みたくなりますよね。

正解はこちら

正しくは「ふがさく」です。
地元の方でないと初見ではまず読めませんよね。
私も現地でこのバス停を見かけた時は目を疑いました。
このなんとも奇妙な地名が千葉特有の「谷の字を用いたサク地名」です。

谷(サク)地名の由来とは

谷をサクと読ませるサク地名の特徴は現地で見たところだいたい以下のようです。

・開析谷である。
・谷底が平らで緩やかな傾斜になっている。
・棚田もしくは棚田跡がある。

つまりほぼヤトです。
以前はヤトとは無関係のタニの一種かと思っていたのですが、その後あちこちを見て回ったことで考えが変わりました。
思った以上に谷戸型の谷(サク)地名が多かった事と、以前非谷戸のタニと認識していた場所が目が肥えてきた(?)事で耕作跡などを見抜けるようになったことです。
ですがなぜこのような奇妙な地名が生まれたのでしょう。
10年前は全く想像もできませんでした。
ただ今はある程度目星は付いています。
そのヒントは南房総にありました。

南房総と徳島の関係

2026年のゴールデンウィークに南房総をぐるっと回って谷戸地名を見て回りました。
その際館山で豪雨に遭って(まあその前日も小雨の中丸一日調査していたのですが…)雨雲が過ぎるまで調査は無理だな、と判断し昼過ぎまで地元の施設などを見て回りました。
その際に知ったのですが、館山あたりは古代期に徳島県と深いかかわりがあったようなのです。
資料としては『古語拾遺』などに残されていますね。
そこには阿波忌部の一族が房総半島へ移住して「安房郡」と名付けた、とあります。
古代の資料の信憑性についての是非はあるものの、千葉に遺されている史跡や地名などから古代期に徳島と関りがあったであろうことは確かなようです。
例としては地名ですね。
『阿波』と『安房』は発音が同じです。
他にも『白子』『白浜』『神戸(かんべ)』など、両者に共通する地名が幾つもあります。
徳島と千葉と言えば今でも結構な距離があります。
どうやってやって来たのかと言えば…どうも黒潮に乗って船で移住してきたようです。
黒潮頼りなら逆に戻るのは大変なのでは? と思うかもしれませんが実際その通りで、徳島の方に千葉からの古い文化がやってきたり定着した証拠は見つかっていません。
つまり両地域に交流があった、というより徳島から千葉に一方的に流入してきた、というのがより正確な認識でしょう。

西日本由来の『サク』

さて徳島県の地図を見てゆくと面白い地名に気づきます。

徳島県の地図
大量のサコ地名

見てお分かりの通り、大量の佐古(サコ)地名が見受けられます。
前回サク地名についてお話した時「東日本のヤト・ヤツが指している地形を西日本ではサク・サコと呼ぶ」とお話しましたが、そのサコ地名が徳島の各地に見られるのです。
古代期に阿波(徳島)から安房(千葉)への流入を示す証拠として両地域に共通の地名が幾つもあるわけですから、当然このサク・サコ地名の文化も千葉に渡ったと考えるのが自然です。
千葉県を中心とした関東の沿岸部などに開析谷のサク地名があるのは、なんのことはない、古代期に西日本からそのまま渡って来たものなのではないか、と言う話ですね。

『ヤツ』と『サク』

関東の古地図を見ると思ったよりこのサク地名が各地に残されている事に気づきます。ただ綿密に調べてゆくと結構な数があるものの、全体的に開析谷がすべてサク地名で埋められているという程ではありません。
理由は明白、西日本から千葉にサク地名が流入した時点で、千葉には既に同系の地形に対する地名が主体的地位を築いていたからです。
そう、『ヤツ』がそれですね。
上記の阿波からの移住と文化の流入の時期については諸説ありますが、大きく3世紀〜4世紀(弥生時代後期から古墳時代前期)、または6世紀〜7世紀(古墳時代後期から律令制成立前夜)頃と考えられているようです。
一方でヤト地名も以前述べた通り仏教伝来よりさらに古くからある地名であろうと推測されます。↓

頻出谷戸地名その②~宮ヶ谷戸と寺ヶ谷戸~|Myah Nyah

水田耕作の適作地を他と区別するためにヤツと名付けたのなら、その命名は上記よりさらに古い可能性が高いと考えられます。
つまりサク地名が西日本から渡って来てもそれが指す場所の多くは既にヤツ地名が付いていて、結局その時点で未開拓だった開析谷にぽつぽつとサク地名が付いた程度に落ち着いた、と考えると色々符合する気がします。

谷(サク)地名の誕生

さて問題はこの後です。
時代が下がり、中世から近世になると谷戸(谷津)だけでは増える人口を支えきれなくなってゆきます。
彼らはやがて台地の上の開拓に乗り出し、最初は井戸、やがて用水路と治水を発達させ耕地を広げてゆきます。
そうした場所につけられた地名が『作(サク)』であることは前回のサクの項でお話しました。
そこで困るのは元来の、古い『サク』に住んでいる人たちです。
なにせこれまでとまるで意味の異なる、けれど同じ発音の地名がやってきたわけですから。

主張としての地名

ここからは私の推測になりますが、彼らの中におそらく元あった自分達の『サク』と新たにやって来た『サク』を区別したい人たちがいたのだと思われます。
ですが口語での発音は同じ…とするなら、区別のためには文字の方を変えるしかありません。
千葉県の谷戸地名は『谷津』というのが一般的(?)な認識ですが、実際の地名表記では『谷津』よりも桜ヶ谷(サクラガヤツ)や恩田谷(オンダヤツ)などのように『谷』一文字でヤツ、と呼ぶことの方が多いです。
谷一文字でヤツ、と呼ぶのもそもそも当て字に近い用法なわけで、その理屈ならヤツと同じ意味を持つ古くからのサク地名も同じ文字に当て嵌めてもいいのでは…と考える方がいたのでしょう。
その結果、谷の字を当て嵌めたサク地名、つまり谷(サク)が誕生したのではないか、というのが私の考えです。
いわば「後天的、かつ意図的に谷(サク)地名が作られた」ということですね。

地名のタイムラグ

そんなことがあり得るのか、と言う話ですが、あり得るかあり得ないかで言えば「あり得る」と私は考えます。
仏教伝来とともに漢字がやってきて、国名などの文字はかなり早い時期に定着しました。
ですが全国津々浦々、地元の住民が使用していたすべての小字に至るまで文字化されたのか、と言えば答えは否です。
仮に文字化されていたとしても古い資料には表記ブレが多く、あくまで当て字の側面が強かったと考えられます。
それら田舎の地名が文字としてある程度しっかり定着するのはずっと後…領主によって大規模な検地が行われた時でしょう。
土地の面積、収穫量、耕作人などを調べる検地はその時一緒に地名が記録されます。古くは荘園の管理などで行われた検注(けんじゅ)などがありますが、やはり戦国時代の大名が行った検地が本格的なもので、それらはやがて太閤検地へと繋がります。
この時にはっきりと読みとしての地名と文字としての地名が結び付き、今に繋がった多くの地名が生まれたのです。
つまり地名として発生したのが仮に古代であっても、文字として定着したのはずっと後代であり、『口語としての地名』と『文書(もんじょ)上の地名』の間にはタイムラグがあることになります。

後天的命名

地名が文字化したのがずっと後代であるなら、自分達が長いこと使用していた地名の文字を後から自分達で決めよう、のような動きがあってもおかしくはありません。

「大豆谷」はなんと読みますか 豆の付いた地名考
https://www.mame.or.jp/Portals/0/resources/pdf_z/044/MJ044-05-MS0655.pdf

こちらの資料を見ると、千葉県の大豆谷(まめざく)という地名がかつて大豆作(まめざく)とも記されていたことがわかります。
本来なら一次資料で直接確認した方がいいのでしょうが、そのあたりは今回の本義ではないので研究者の方にお任せします。
先程も述べましたが、検地などで自分達の土地の名前がはっきりと記帳され文字化する際、後発の大地の上の畑地を指す作(サク)地名と区別するため谷(ヤツ)にならって谷の文字を当て『谷(サク)』と読ませた集落があったのではないか、と考えています。
そしてそのことを知った他の地域でも、それに倣って自分達の地名を作(サク)から谷(サク)に後天的に変えたのではないでしょうか。
ただ一方で特にそうした強いこだわりがなく、そのまま耕作地、畑地としての作(サク)に合わせて古いサクがそのまま『作』の字を当ててしまうケースも多くあり、その結果『作』という地名が両者の特性をそれぞれ有したものになってしまった、と考えられます。
前回はまさにそんな話でしたね。
図にするとこんな感じです。

推定されるサク地名の分類

まとめ

前回のまとめに追記してみました。

1.西日本に古くから残るサク地名は「裂く」「割く」などから来る谷間などを示す古語であり、訓読み。
2.東日本で台地の上などに見られるサク地名は近世になって畑地などを開墾した際に付けられた『作』から来る言葉であり、音読み。
3.千葉県を中心に1.のサク地名が古代期に流入し、谷間を意味するサクが一定量発生したが、既にヤト・ヤツ地名が多くの地域で定着しており、支配的な地名となることはなかった。
4.近世に2.のサク地名が広まった際、それらと区別するために現地の谷(ヤツ)に合わせて谷の文字を使用した谷(サク)が発生した。
5.4.のようにあえて文字で区別せずそのまま『作』の文字を受け入れた地域も多く存在し、結果関東では1.2.いずれの地形であっても共通した「~作」地名が定着した。両者には大きな地形特性の違いがあるが、同じ漢字を用いているため地名だけでは判別が付かない。

このようになりました。
まあ谷(サク)の由来については個人的仮説に過ぎませんが、さほど的外れでもないと思っています。
仮説を考えるのは自由ですしね。









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