お江戸の隠居猫お玉さんが教えてくれる平賀源内のお話②(感想・その2) 【薬品会(物産会)】について
前回、お江戸の隠居猫お玉さんの記事の感想を書いたのですが、一回では言い足りず、②感想その2 【薬品会(物産会)】について書こうと思います。
前回の私の感想の記事はこちらです。
そして、お玉さんの「風のように生きた男ー平賀源内の軌跡②」の記事はこちらです。
私はお玉さんの「風のように生きた男―平賀源内の軌跡②」を最初に読んだ時に宝暦十二年(1762年)第五回の薬品会(物産会)を行った記事の部分にとても興味を惹かれました。
引札を用意して全国の本草学者に呼びかけた、その引札のメッセージを意訳して載せてくださっているのですが、この薬品会の「目的・志・方法」というものに、大変感動しました。
以下に箇条書きにして抜粋しました。
①日本が動植物や鉱物、薬となる自然の差物に恵まれた国であるのに、それを活かせず効果な舶来の薬品や物産に頼っていること。
②しかもその多くが正しく理解されないまま、間違った使い方をされてきたこと。
③元禄から稲生若水、貝原益軒、松岡恕庵といった先人が国産の本草に力を注いできたけれど、まだまだ知られていないもの、掘り起こされていないものが全国にたくさんあること。
④それらを見つけ出し調べ、活かすことができれば外国から高いものを買わずに済み国の富を守れて国益につながること。
⑤そのために知識を持ち寄り、意見を交わす場が必要なこと。
⑥志を同じくする方々の協力と参加をお願いしたいこと。
国益を考えて行おうとしていること、本草の学問を発展させる場を作ろうをしていること。そしてそれを参加を募るためにわかりやすく引札をつくり実行しようと奔走しているところ。
日本の社会というものは、こうやって多くの物事を取りまとめて国の将来のことを考えて動く人によって発展してきたのだと思いました。
そして、それを行おうと考え実行できる人は中々いないものだと思いました。
まるで明治時代になって幕藩体制が終わり、新しい西洋の文化が取り入れられて日本があたかもその明治維新を進めた人の功績だけで発展したかのように持てはやされ、それ以前の江戸時代を明治よりも劣った社会のような印象を植え付けるような教育がなされてきたと思いますが、それはそれ以前の江戸時代にこのように様々な分野で自分の人生を投げうってでも国を思って尽力してきた人がいたからこそ、日本は発展したのだと思いました。それを私たちは忘れてはいけないと思いました。発展した現在を享受している現代の私たちは先人の努力の功績を知り誇りに思い、いつまでも感謝を忘れずにいたいものです。
今現在、大人も子どもも読んで楽しめる江戸から明治の初めの偉人の伝記が本当に少ないので、このような功績のある事を成し遂げてきた多くの人々がいる事が広く知られていないことがとても残念な事だと感じました。
現代の発展した社会ならば博覧会を行うにも、既に過去に様々な取り組みが行われてきた後なのでノウハウも蓄積されており、学問を発展させるために、博覧会を行おうとする発案も実行も容易にできるでしょう。
けれど、日本の江戸時代に博覧会をしようとその目的を考え、やり方を考え出して実行できたのはすべて平賀源内の才能であり大変大きな功績だと思いました。
それなのに有名になったのちに不遇な状況になってしまったのがとても残念で惜しいと思いました。
こういう人こそ天才で偉人だと思いますが、時代や状況によって理解されず、どうかするとエレキテルの発明(修理)さえも世間で後に山師などといわれたのは、源内も忸怩たる思いだったと思います。
森銑三先生の著作に「おらんだ正月―江戸時代の科学者たち―」富山房百科文庫20 という本があるのですが、この本は、解題での富士川英郎氏の言葉によると、
”江戸時代の初期から末期に至るまでの間に活躍した医者や学者や探検家などのうちから五十二名のひとを選んで、その伝記を面白い逸話を交えながら平易な文章で誰でもわかるように語っておられる”本ということですが
この本の中の23人目に平賀源内の項があり、題名は「わが国電気学の祖平賀源内」となっており、そこには
”湯島で物産会というのを開き、諸国の産物を一所に集めて大勢の人に見せました。これが、わが国の博覧会のはじめと言われます。”
という記述があります。
平賀源内は初めての博覧会を成功させた人なのです。

森銑三著
【森銑三先生について】
森銑三先生は在野の歴史学者、書誌学者であり、江戸時代や明治時代の偉人の本を沢山書かれている研究者です。沢山の著作や著作集(13巻)、没後刊の「著作集 続編」(全17巻)を出版されています。江戸学の始祖の一人と目されています。
私は子どものころから伝記を読むのが好きだったので古本屋で森先生の著作を見つけたら迷わず購入して積読していて、読める時間がきたら読もうとため込んでいました。
なぜならこの時代の伝記を書かれたものを他に見たことがなかったからです。購入から何十年もたってようやくゆっくり読んでいます。

森先生の著作の「古人往来」小出昌洋編 森銑三著 中公文庫の中にも平賀源内について書かれた箇所があります。「平賀源内遺聞」わずか15頁のなかでとても濃い面白い内容です。鈴木白藤が直接人から聞いた話や風説、実際に目の前で見た平賀源内の話などを書いた「鳩渓遺事」や、「平賀鳩渓実記」、「先哲叢談続篇」などの記述からそれらの逸話を研究者として真摯に考察し、読者が読みやすいようにまとめられて語られています。
エレキテルをどうやって修理したかという経緯や、燃えない布の火浣布(かかんぷ)など、またあまり知られていないような逸話がありますが、その中に森先生が源内を評した一文があるのでご紹介いたします。
「縦横の才智を有していた源内は、常に大きな事功を夢みて、種々の事業に手を染めたのであるが、それにも拘わらず何等の纏った業績をも残すことの出来なかったのは、一に時代のせいであった。窮屈な当時の時勢は、この稀世の才人をして、十分にその驤足を伸ばすことを得しめなかったのである。実績を挙げ得なかった一事を以て、源内を軽ろんずべきではない。」
中公文庫

平賀源内の日本初の博覧会を実行して成功させた、参加を呼びかける引札の内容が大変素晴らしいと深く心に感じたのですが、更に興味を感じたのが、
「東都薬品会趣意書とうとやくひんえしゅいしょ」
全国に配布した引札には、出品物の送料は会側が負担し、会期後は速やかに返送すること、西国からでも約二週間で届くことなど、参加者への配慮が細かく記されている。
全国二十五か所に設けた「取次所」に出品物を預ければ、会場に足を運ばずとも参加できる仕組みで、遠方からの出品も可能にした。無名の品も歓迎し、薬品に限らず幅広い出品を呼びかけるなど、博覧会としての姿を先取りした構想が光る。漢文と和文を織り交ぜた引札からは、格式と実務性を両立させた源内の工夫と意気込みが感じられる。
この出品物の取り扱いのところです。
まるで現代の郵便制度、運輸通信業での取り扱いであるかのようなしっかりとした取り決めなのです。
出品物の送料は会側が持つ事。
会期後は速やかに返送する事。
西国からでも約2週間で届くこと。
全国25ヵ所に設けた「取次所」に預ければ、会場に足を運ばずとも参加できるしくみ。
明治以降の郵便事業制度のない江戸時代にこのような取り決めができるほどのインフラがあったのだと驚きました。
私はこれまで、そういう江戸時代の人々がどのような暮らしをしていたのか、手紙や荷物を一般の人が送れる仕組みがあったのか、果たしてそんな事が普通に出来たのか知りませんでした。
この「東都薬品会趣意書」を読むまで考えてもいなかったのです。
飛脚というものがあったのは知っていましたがそれは幕府や各地の藩の人々が使う物だと思っていました。
それがこの東都薬品会趣意書を読んで、こういうことが出来たんだと驚いたのです。実際にどのように運用されて江戸の一般の人々がどのように利用していたのかがわかりませんでした。

教育評論者
そこでこの「江戸の飛脚 人と馬による情報通信史」(※飛脚について詳しく研究された巻島隆さんが研究された論文をすべてまとめて出版された本)を読んで江戸時代の飛脚の通信、運輸事業がしっかりと出来上がり、運用されていたのがわかりとても興味深く感じました。
江戸時代には「飛脚・脚力」などの制度が出来上がっていたのです。
第六章の「輸送システムと飛脚利用」のページの飛脚問屋の引札の資料で輸送エリア、提携店、何日で届くのかなどが分かります。
それならば、平賀源内が引札で薬品会の参加を全国に呼びかけ、細かく主催する会の送料負担や何日かかるか、また取次店への発送受け取り、などがスムーズに行われて薬品会の全国博覧会が成功するはずです。
思わずこの平賀源内のお話から、江戸時代の輸送システムに想像をめぐらしているときに、その答えとなる「江戸の飛脚」という本に巡り合い、江戸時代の様子が生き生きと脳裏に浮かぶように感じこの二つの出会いがとても嬉しく思いました。
この本は大変面白くお勧めです。
飛脚のルーツが平安時代末期に始まるなどそこからの現代の郵便制度に変わるまでがとても詳しく書かれていて本当に面白かったです。
