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AIで作った文章 vs 人が書いた文章

「AI」 vs「人間」は次のフェーズへ

「AIの生成記事」と「人が書いた記事」はどちらがよいか?
という構図になりがちだ。


以前は、生成AIだと
「簡単に高品質の記事が大量に作れる」
ため、
「楽して稼げる」
につながり、けしからん
みたいな流れになっていたが、
いまはもう少しフェーズが進んだ気がする。


いまは作られた手段が何かは
それほど気にしないようになった。
目的が達成できれば、別に問題ない。

ただ、ちょっと思う出来事があった。

さとうさおりさんの質問に対する都議会の回答だ。

都議会の回答を聞いて感じたこと。

「AIみたいだな」


下を向いて、ただ原稿を読み上げる。

もちろん、事前に質問内容は通告されているが、
質問の『答え』に対しての質問には、
用意されていた原稿では対応できず、
ズレた回答になっていた。

目的や条件を伝えず、
AIにアバウトな質問をした時の回答に似ていた。


例えば、ニュースは原稿をAIが作って、
そのままAIが読み上げても特に問題はない。
むしろ、抑揚を抑えて理路整然と
正確に伝えてもらう方がよい。

ただ、答弁は少し趣きが違うのではないか?
相手が理解して納得できるように
伝えなければいけない。

演説であれば、もっとそうだ。
正確性よりも、いまその瞬間に感じた熱を
その人自身からにじみ出た言葉でないと
思いが伝わらない。

原稿を読んで事実を伝えるだけ ⇒ AIでOK
人に語りかけて伝える ⇒ AIでは不十分、自分の言葉で伝える

構図は、作ったのがAIかどうかではない、
自分が作ったかどうか」だ。


昨日、なつめさんの記事を読んだ。

そうして生まれた物語には必ず、魂が宿ります

人の魂を揺さぶりたいなら、
物語に魂が宿っていないといけない
少なくともいまのAIにはそれは無理だ。


AIを万能な道具として使うと間違える。

その文章は、何かを正確に伝えたいのか?
魂を揺さぶりたいのか?



◆ご紹介

AIと何度も壁打ちしながら、自分自身の言葉で書き上げました。

このままだと、人生設計に失敗したまま終わるかも
44歳、術後の病院のベッドで考えました。
考え方を変えて、人生をプロジェクトとして設計したら、上手くいくようになりました!


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村田 裕樹 最後までお読みいただきありがとうございました! サポートもうれしいですが「スキ」をしていただけると大変励みになります!!

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