18.何でもない日記【霧の中へ、あと5回】
朝、私は目を覚ますと、ベッドに家族を残し、一人で居間へと向かう。
時間は4時。
部屋はストーブもエアコンもついていなくて、ひんやりした空気。
窓の外を見ると、群青に染まる景色が広がっている。
家の周りの田んぼは、すっかり田植えも終わった後で、暖かい水蒸気は朝の冷たい空気と触れ合い、穏やかな霧で全てを包み込むんだ。
どうせすぐに出発だ。
私は、このしっとりとした冷たい空気を受け入れる事にした。
今日はちょっとだけ急いで、ノイバラがまだ咲いてるかを見に行こう。
そう思って、私はお茶漬けの元をごはんに振りかけて、お湯をそそぐ。
椅子に座って、一人の食事。
私は結構、この時間が嫌いじゃなかった。
一人になれる時間なんて、ほとんどないから。
手早く食事を終えようとしていると、廊下を走ってくる音が聞こえる。
足音は部屋のドア数メートル手前で走るのをやめ、こっそり歩きに切り替わった。
そーっとドアが開くと、その隙間から、4才ちゃんが恐る恐るこちらを覗き込んだ。
「あれ、どうしたの?」
私がそう声をかけると、4才ちゃんははにかんで、不安そうに部屋に入ってきた。
怒られるかもって思ってるのかな?
「おいで。」
私が娘を呼ぶと、微妙に目を逸らしながら、静かに近づいてきた。
ようやく私の手が届く位置に来たので、抱っこして、お膝に乗せてあげる。
4才ちゃんはあったかくて、私はぎゅっと抱きしめた。
「目が覚めちゃたの?」
私がそう聞くと、
『目が覚めちゃった。』
と言った。
「お茶漬け食べる?」
『うん。』
お箸で小さくすくって、食べさせてあげた。
「美味しい?」
『うん。』
私はエアコンをつけた。
今朝の4才ちゃんはやけにしおらしい。
(寝室で、ママに怒られたのかな?)
そんな事を思ったけど、別に聞かなくていいやって思った。
『パパ、遊びたい。』
私は時計を見たけど、そんなに余裕はなさそうだった。
「ごめんね、パパお仕事の準備しなくちゃ。
一人で遊んでられる?」
そう言うと、
『分かった。』
と答えた。
私が洗面所で髭を剃っていると、娘が【はじめて図鑑1000】をもってきて、
「みて!この字のなかに、4才ちゃんがいるよ!」
と教えてくれた。
そこにはひらがなで4文字の単語が書いてあって、そのうちの3つが、4才ちゃんの名前。
「ほんとだ!すごいね!」
そう言うと4才ちゃんは、嬉しそうに部屋に戻っていく。
最近、ひらがなをいくつか覚えたんだ。
自分の名前なら、何も見なくても書ける様になった。
髭を剃り終わると、ワックスで髪の毛をセットする。
4才ちゃんは一人で、お絵描きをしていた。
私が部屋に入ると、こちらに気づいた4才ちゃんは、何か期待に満ちたような顔で、こちらを向いた。
カレンダーを指さす。
『次の家族のお休みは、いつ?』
カレンダーには、緑色でパパ、ピンク色でママ、と書いてある。
それが、私たち夫婦のお休みのサインだった。
パパとママが同じお休みになってる日は、21日の日曜日のようだ。
私は答える。
「今日は16日の火曜日だから、今日を入れてあと5回保育園を頑張れば、日曜日は家族のお休みだよ。」
すると娘は、
『やったー!』
と言って笑った。
私はちょっとおかしくて笑った。
あと5回って、あとちょっとというよりは、まだもうちょっと、って感じだもん。
そのあと娘は、らくがき帳に書いた絵を見せてくれた。
縦と横に、何本も線を引いてる。
線は交差し、四角いマスが格子状にたくさんならんで、マスの中には数字が順番に書いてあった。
これは、手作りのカレンダーだ。
そしてカレンダーのあちこちに、カラーペンで娘の名前が書いてある。
『4歳ちゃんのお休みの日だよ!』
私はこのまま今日を日曜日にして、この子をどこかに連れていってあげたいと思った。
だけど、そんな事はできなかった。
私たちには明日があるから。
「パパ、そろそろお仕事いかなくちゃ。」
すると4才ちゃんは、
『お見おくりしてあげる!』
と言って、玄関までついてきた。
「じゃあ行ってきます。
寂しくなったら、ママのお布団にいくんだよ。」
『うん。』
「一人で勝手に、お外に出たらいけないよ。
クマが出るかもしれないからね。」
『うん。』
「バイバイ、行ってきます。」
『いってらっしゃい。』
私は歩いて、車に乗り込む。
エンジンをかけて走り出すと、娘は靴を履いて外に出て、私の方を見てた。
私は手を振る。
4才ちゃんも手を振った。
私は目線を前に向けて、バックミラーを見た。
娘が小さくなっていく。
そして、ミラーから消えた。
私は車を止めて、10秒数える。
(ちゃんと玄関に入ったかな?)
車をバックさせると、4才ちゃんはもういなくて、玄関のドアは閉まっていたんだ。
そして私は、またアクセルを踏み直す。
時計を見ると、いつもより2〜3分出発が遅れていたけど、
(ちょっとだけ急げば間に合うさ。)
って思った。
あ。
ノイバラが咲いているか、見るのを忘れた。
(まぁいっか。)
太陽光を乱反射させて白く光る霧。
私はその中へと進んでいく。
保育園、あと5回頑張ろうね。
