4.何でもない日記【ドライブはまた今度。】
言葉はいつも、胸の中にあるときの方が、きれいだったり、楽しそうだったりする。
いざ言葉にしてみようとすると、なんか違うな、って思う。
そして、さっきまで感じていたワクワク感が、いなくなってる。
どうしてなのだろう?
家族との食事の時間で、長女がおしゃべりをはじめる。
お友達とこんなことをして遊んだよ。
お絵描きをしたよ。
ダンスの練習をしたよ。
本当になんでもない話だ。
娘は、まとまりのない言葉で、自分の今日がどれほど魅力的であったかを、精一杯伝えようとしてくれる。
妻と私は、顔を見合わせて、おしゃべりが上手になったよね、と微笑み合うんだ。
どうして、こんなにたどたどしい言葉なのに、私たちはこんな気持ちになるんだろう?
私のほうが、ずっと言葉の使い方を知っている。
なのにどうして私の言葉は、こんなにワクワクしないんだろう?
食後、私はお酒を飲みながら、一人でそんなことを考えた。
そんな事も知らず、娘は私に体当たりをしてきて、
『お人形さんごっこしよう!』
と言う。
『パパは、キティちゃんと、メルちゃんと、アンパンマンと、だだんだんと、コキンちゃんの役ね!』
役割が多すぎる。
なんでそんな無理難題を、平然と伝えられるんだ。
ふと考えた。
他人の子だったら、私はこの無理難題に応える事ができるだろうか。
無理だ。
私は他の家庭の子に対して、なんて言ったら喜んでくれるのかなど知らない。
その子に愛着もない。
一人5役はおろか、1役だって担えないだろう。
でも、すぐにわかった。
この子の言葉が私に届くのは、私がこの子を向いているからだ。
パパならやってくれると信頼しているから、この子は平然と、こんな無茶を言葉にできるんだ。
私と言えば、いつだって自分の言葉が相手に伝わるって、本気で信じてはいないんだ。
伝えることに迷いがあるから、楽しい気持ちや、ワクワクがないんだ。
そう思った。
きっと、言葉はただの乗り物だ。
感情という運転手が、言葉という乗り物を運転する。
運転が下手でも、ちゃんと相手に向かおうとすれば、そのうち届く。
そして、相手も待っている。
危うい運転にハラハラしながらも、自分のところに到着する事を、待ってるんだ。
だから拙い娘の言葉は、いつも私を優しい気持ちにしてくれる。
そして私の言葉には、いつも運転手がいない。
乗り物だけが走っていく。
到着しても、誰も降りてこない。
妻に、この発見を伝えようと思った。
しかし妻は、二人の子供から洗濯物を守る事に必死な様子で、どうやら私の到着を待っている余裕はなさそうだった。
今じゃないな。
そう思って、空になったグラスをシンクに置き、そのまま食器を洗う事にした。
その後しばらく経って、そう言えばあの時、言いそびれていた事があったな、と思い出す。
しかしその頃にはもう、運転手はやる気を無くしている様子だった。
まぁ、そんな事もあるだろう。
結局、妻にこの話をする事はなかった。
けれど妻は、私が車を出さなくても、運転手がどんな人なのかなんて事は、もう知っていそうだなって思った。
私は、そう感じた事は言葉にしなくていいやって思って、胸にしまっておく事にした。
