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カクテルと余白:05【数学の詩人②】雪のベルリン-2巨匠の門を叩いた少女Season1

前回の記事はこちら⬇️
カクテルと余白4
【数学の詩人】雪のベルリン-1

🎼🎹
今回のイメージ曲です。筆者なりに勝手に選んでみました。もし宜しければ、お聴きになりながらお読みください。

✏️ミスターロンリー
(ボビー・ヴィントン)
チェロ : 溝口 肇
(音量にご注意下さい)🔽

❄️❄️❄️
【凍てついた応接室の「知の白兵戦」】
 ワイエルシュトラスは、意を決したようにソーニャを応接室へと招き入れた。
ノーアポイントの来訪者のために暖められているはずもないその部屋は、戸外よりもさらに冷え切っているように感じられた。

しかし、ソーニャの胸の鼓動は、その寒さを打ち消すほどに激しく高鳴っていた。
ワイエルシュトラスは無造作にソファを薦め、自らも大きな安楽椅子に深く腰掛けた。

「……申し訳ありません」
彼女は、今日ベルリンに到着するなりこの家を訪れた非礼を、震える声で詫びた。
「これまで何度も先生には手紙や論文をお送りしていたのです。でも一度もお返事がもらえずに……だから、こうするしかなかったのです」

世界的に有名な数学者であるワイエルシュトラスにとって、見知らぬ者からの手紙は日常茶飯事だった。
「こちらこそ申し訳ないのだが、最近ではそれらは一切開封すらせず、捨てているよ」
大数学者は淡々と告白した。

突然訪れた謎の美少女。しかし、彼女の美貌こそがワイエルシュトラスの警戒心を強めてしまっていた。
「怪しい……目的はなんだ?こんな美しく若い女性が?誰かが私を失脚させようと、何かを仕組んでいるのだろうか」

部屋の大きな柱時計が、重々しく19時を告げた。夕食の時間はとうに過ぎ、夜の帳(とばり)が部屋の隅々にまで降りていた。

時報の後の沈黙を破ったのは、ソーニャだった。彼女は突然、ワイエルシュトラスの著作の名を次々と口にし始めた。

⏳『アーベル関数論(Theorie der Abelschen Functionen)』先生、ちょーー感動しました!
わたくし、アーベルの信者ですが、ガロアの着眼点も大好きです。
でも、あああ二人ともあんなに早く死んじゃうなんて……ベルリンからの手紙を待たずに逝ったのは、数学の神様の残酷な悪戯でした。

でもでもでも、ヘル プロフェッサー!私は、生きてこうしてあなたの元へ来ました。

そして、そして、そして、彼らの理論が本当に理解できたのは先生のこの著作のおかげなのです。

⏳『解析関数の理論(Theorie der analytischen Functionen)』とにかく美しい!先生の定義の級数展開の厳密性こそが真の美なのですよ。

まさに「詩」ポエムなのだわ。
ああ……級数こそ美の調べなのだわ!

⏳『超楕円積分について』On Hyperelliptic Integrals』ホントにもおサイコーでした!
何ヵ月もかけて、あのパズルと闘いました。チョー楽しくて……毎日るんるん🎵でした!

ワイエルシュトラスの著作
それらは解析学の聖典と言えた

 ワイエルシュトラスの著作の話しになると、ソーニャの語り口は突然一変した。
あたかも何かに取り憑かれたように、口角泡を飛ばし、喋り続ける。

「な!な……なんだ?なんだ?このミーハー少女は?!」
老教授はひたすら呆気に取られていた。

突然3倍速で語り始めたソーニャの前に、完全に圧倒されてしまっていた。

「ん……でもなんか、かなり嬉しい😆」

驚きの連続ではあったが、しかし、彼の気分はまんざらでもなかった。

ソーニャは震える声で彼の著作の礼賛を続けた。それは寒さと心の昂りからの震えだった。

彼女の口から紡がれたその著作たちの名は、彼が若き日に孤独の中で書き上げた、魂の分身だったのだ。

はーはー

息をついて喋り終わると、彼女はハッとして我にかえった。

ああ……またやってしまった……しかも、憧れの巨匠の前で興奮し過ぎて、いつもの癖が出た。数学の事になるといつもこうなってしまう。
巨匠の前で、顔面を真っ赤にしたまま、彼女は喋りをやめて、膝のスカートの布をギュッと握った。

彼女は巨匠の名著を熱く語り始めた

 ワイエルシュトラスの瞳の奥に潜んでいた冷徹な警戒は、大きな驚愕と、そして微かな期待に変わっていった。

「それを……全部読んだというのか、君は」
「はい❤️」
ソーニャは笑って頷いた。
「誰の指導で?」
「いえ……独学です」
「なんと!」

マシンガントークこそ収まったのではあるが、彼女のその美しい瞳の中に燃えたぎった炎は少しも消えていなかった。

内心の戸惑いを悟られまいと、ワイエルシュトラスは立ち上がり、棚から茶色の陶器瓶を取り出した。

ラベルには、『Selters』(ドイツ読みでゼルターズ)と書かれてあった。当時のベルリンで最高級の天然炭酸水である。

彼は二つのグラスを用意し、パチパチと繊細な音を立てて弾ける透明な液体を注いだ。
そして、それを静かに彼女の前へと差し出した。

ソーニャには、その一杯のグラスの意味が痛いほど分かっていた。
それは、巨匠が自分を「ただの侵入者」ではなく、「対話すべき相手」として認めたという最初の一歩だった。

彼女は、凍てついた喉にその鋭い泡を必死に流し込んだ。冷たい刺激が脳を突き抜け、彼女の知性はさらに研ぎ澄まされていく。

知の巨匠と、ロシアから来た一輪の薔薇。
二人の、本当の戦いが今、幕を開けようとしていた。

ソーダと薔薇

『独学で、だと?何ということだ。確かにベルリン大学の学生レベルは最低限兼ね備えているようだ。しかし…』
ワイエルシュトラスは独白した。

冷え切ったソーニャの身体は、さすがにふた口目の炭酸水は受け付けなかった。

『所詮はアマチュアの数学マニア。まともに相手にするまでもないだろう』
ソーニャに構わず、グラスの炭酸水を飲み干すと、ワイエルシュトラスは尋ねた。

「フロイライン……女性に年齢をお尋ねするのは甚だ失礼ではあるが…」
「はたちです!先生」

ワイエルシュトラスは、そのあまりにも屈託のない返事に軽い目眩を覚えた。
教授は、この風変わりな訪問者を追い払うための「最も冷徹な試験」を思いついた。

「よろしい。フロイライン。貴女をテストしよう。数学の迷宮で、君はどんな扉を開いて来るか。この問題を1週間で解いて来たまえ」

教授は、自分のゼミの精鋭たちですら数ヶ月は頭を抱えるような、複素解析の極めて難解な問題を手渡した。

ちょうどその日のベルリン大学のゼミでも学生たちは正答する事ができなかった問題だった。
「これが解けたら、話を聴こう」

女性に数学は無理だ、という時代の偏見はワイエルシュトラスの中にも確固として動かなかった。そもそもまともな教育を受けていないのだ。

「これで彼女も諦めるだろう」
と、ワイエルシュトラスは考えた。

兎に角厄介払いをするに限る。
「ありがとうございます」
冷え切った応接室のソファからソーニャは立ち上がった。

しかし、ソーニャは表情一つ変えていなかった。

彼女は恭しく一礼すると、無言のまま雪の降るベルリンの街へと消えていった。

🍒Wird fortgesetzt (続く)

🍸作者なりに、ソーニャ・コワレフスカヤのイメージの曲①もぜひ⬇️
【リー・オスカー『約束の地』】

🥃なお、このお話しは、史実にある程度は基づいてはいますが、やっぱりダイデン大佐のいいかげんな空想です。
しょせんは酔っ払いの戯言。登場する数学の知識もかなり怪しいのでツッコミは禁止とします。ごめんなさい。

家庭平和維持軍ラインハルト・ダイデン大佐

🥃「巨匠の驚きは当然として…でもなあ、冷え切った部屋に通しておきながら、炭酸水を客に出すなんて、このおっさん……ちょっと意地悪なんですかね?ドS?」
🥕「あ、それはね…香取よ、ドイツの『カルテス・エッセン』と言ってね…」
大佐の説明を遮って香取は続けた。
🥃「まあ、なーんか、今回の話しはダラダラして面白くないなあ」
🥕「え?!そうだった?」
ダイデン大佐は狼狽えた。

ダイデン大佐!負けないで!
次回は巻き返しだあ!

🥕「次回は、真理を求める師弟の前に立ちはだかる、時代錯誤な『知の独占』というベルリン大学の鉄の壁」について語るぞー
🥃もう、そろそろ終わりでいーんじゃね?大佐。
赤坂の夜は長い。

次回【カクテルと余白6】はこちら⬇️

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🥕ダイデンのイラスト・ひがしりょう
【あとがき:執筆時のイメージ曲】著者が本編の背景としてイメージしていたテーマ曲です。お時間があれば読後の余韻と共にお聴きください。⬇️


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