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【エッセイ】【映画】出会わなければよかった男 橋本忍について(上) 「切腹」を観る

 映画に飢えている。正確にいえばフィルムの質感に飢えている。
 しばらく前の話だが、「切腹」(1962年)と「上意討ち 拝領妻始末」(1967年)、時代劇の傑作の二本立てが35mmで上映されるというので早稲田松竹に走った。この二作について、特にシナリオの“戦後最大の脚本家”橋本忍(1918~2018)とのかかわりで何か書きたいという思いがむくむくと頭をもたげたが、しばらく寝かすこととした。そろそろ頃合いかとも思うので、二回に分けて、いつものようにとりとめもないことを書き連ねていきたい。

橋本忍

  「切腹」を初めて観たのは学生の頃だが、すぐに脚本を取り寄せた。当時は今と違って勉強熱心だったというのもあるが、何より、この複雑に込み入ったストーリーをさばく橋本忍の、悪魔的なまでの手際のよさへの驚きがあった。一体、どんな脳みそをしているのかと。黒澤明を支えた偉大な共作者くらいの認識だったのが、これ以降、この妖しい異能を強く意識するようになった。
 仲代達矢演じる芸州浪人・津雲半四郎が彦根井伊家の江戸屋敷を訪れ、「生活苦から切腹したいので庭先を貸してほしい」と申し出るところから物語は始まる。対応にあたる三國連太郎演じる家老・斎藤勘解由は怪訝に思う。数ヵ月前にも同様の申し出をした同じ芸州福島家の浪人がいたのだ。勘解由はその若い浪人・千々岩求女(石浜朗)を実際に切腹させた壮絶な顛末を語り、半四郎を思いとどまらせようとする――江戸市中には「切腹のために玄関先を借りたい」などといって金品をゆする食い詰めた浪人が溢れかえっていた。求女を同様の輩とみた彦根藩士らは、甘く見られてはなるまいと、本当に切腹を求める。切腹する心積もりがなかった求女は脇差を準備していなかったが、携えていた竹光での切腹を強要される。切れない竹光で腹を割く、苦痛に満ちた凄惨な最期――話を聞き終わった半四郎は少しも動ずることなく、切腹の覚悟に変わりはないことを伝える。作法に則り屋敷庭先で切腹に臨む半四郎。半四郎は介錯人として井伊家きっての遣い手として知られた沢潟彦九郎(丹波哲郎)を指名するが病気で出仕していなかった。ならばと二人目の名前を挙げるがその者も病欠、そして三人目までもが同様であった。三人が三人とも病欠、なぜ?何が起こった?半四郎の口から驚愕の真相が語られる――物語はミステリー仕立てで進む。
 入れ子状のように回想が多用されるが、時間軸でいえば一日の出来事であり、巧妙な伏線の張りめぐらされた橋本忍のシナリオには一分の狂いもない。撮影は“天皇” 宮島義勇。その完璧なライティング設計は、じりじりと照りつける太陽が庭の白砂に落とす影で、ひりひりするような時間経過を表現する。滝口康彦の原作小説「異聞浪人記」では、「津雲半四郎が、乱刃に切り苛まれて息絶えた」と、たった一行で処理されているところを、映画では鉄砲隊まで飛び出す20分にも及ぶ大立ち回りとして展開している。この異様に重いドラマとがっぷり四つに組んで演出したのは、“完全主義者”小林正樹(1916~1996)である。
 とにかく強すぎる脚本である。脚本と演出の間には、ケミストリーというのかバランスというのか、そういう微妙なものが常にあるように思う。例えば、いつかまた稿を改めなくてはいけないのかもしれないが、私が最も敬愛する脚本家・水木洋子の場合。成瀬巳喜男は「浮雲」(1955年)について、「水木さんの映画」とぼやき、今井正にいたっては、「キクとイサム」(1959年)に関して、「水木さんに負けた」とまでいい切っている。どちらも日本映画史上に輝く名作である。橋本忍の脚本作品の中でもひときわ異彩を放つ「切腹」。いかに力量のある監督でも、黒澤明や岡本喜八がこの脚本を演出するというのは私にはピンとこない。小林正樹の重厚なリアリズムをベースとした重戦車のような演出を置いてほか、この重たすぎる情念のドラマを描き切れたであろうか。映画のクライマックス、仲代達矢と丹波哲郎の決闘シーンでは、十全なカメラワークのもと、真剣で立ち合わせた。もはやリアリズム云々というレベルでもない、圧巻の殺陣である。

『切腹』より。真剣で立ち合う仲代達矢(右)と丹波哲郎

 橋本忍の「複眼の映像 私と黒澤明」は驚嘆に値する書である。
 黒澤明論、シナリオ創作論、自叙伝が内的に深く結びついた三位一体の見事な構成。凡百の類書が幼稚に思えるほど本質的な作品論・人間論であり、あまたの無益なハウツー本の類いとは一線を画した最強のシナリオ骨法だ。もう20年近くも前の本だが、発刊当時、貪るように読んだ。読みどころ満載だが、私には次の箇所が白眉ではないかと思われる。「砂の器」(1974年)コンビ、盟友ともいえる野村芳太郎との雑談の中でのやりとりである。長くなるが引用する。

 「じゃ、黒澤さんにとって、私……橋本忍って、いったいなんだったんでしょう?」
 野村さんの眼鏡の奥の目が光り、眉がピックっと動いた。私は瞬間に背筋に冷たいものが走った。なにかいってはいけない、とんでもないことを口にした予感である。
 「黒澤さんにとって、橋本忍は会ってはいけない男だったんです」
 「え?」
 「そんな男に会い、『羅生門』なんて映画を撮り、外国でそれが戦後初めて賞など撮ったりしたから……映画にとって無縁な、思想とか哲学、社会性まで作品へ持ち込むことになり、どれもこれも妙に構え、重い、しんどいものになってしまったんです」
 (……)
 「しかし、野村さん、それじゃ黒澤さんのレパートリーから『羅生門』、『生きる』、『七人の侍』が?」
 「それらはないほうがよかったんです」
 「え!?」
 私は思わず声を上げた。
 「それらがなくても、黒澤さんは世界の黒澤に……現在のような虚名に近いクロサワでなく、もっとリアルで現実的な巨匠の黒澤明になっています」

『複眼の映像 私と黒澤明』

 映画作家としての黒澤明の資質は純粋な娯楽性にこそある。野村はおそらく、痛快で明朗な活劇「姿三四郎」(1943年)の持つ生命の躍動に黒澤の原点にして本質を見ているのだろう。それが、橋本と出会ってしまったばかりに、思想、哲学、社会性などといった「夾雑物」を作品世界に持ち込んでしまった、橋本という異質な才能との邂逅により、その重力に引かれるかのように、深刻で大仰な観念劇の袋小路に迷い込んでしまったのだ。

私は目の前がクラクラした。野村さんの言っていることにも一理あるが、どこか衒学的であり、肝心な点が間違っている。なにか言おうとした。だが言葉が出なかった。

『複眼の映像 私と黒澤明』

 一連のやりとりは、アクロバティックなまでの逆説を弄した、橋本礼賛のようにも聞こえるのだが。

 野村芳太郎の“為にする論”に首肯するつもりはないが、かといって暴論と片付けることも私にはできないように思う。黒澤明について、その思想性を云々する時、いつも感じるおさまりの悪さのようなものの正体を言い当てられているような感がしないでもない。一つの思考実験として、野村説を受け入れたうえで、脚本家と演出家の“親和力”のようなものを考えてみる。生涯に映画だけでも100本以上もの脚本を書いた橋本忍、純粋に資質と資質が演じるドラマとしてみた場合、どの監督と最も親和性が高かったのか。黒澤明でも野村芳太郎でも岡本喜八でも今井正でもなく、意外やたった二作しか組んでいない小林正樹だったのではないかという思いが、当の「切腹」と「上意討ち 拝領妻始末」を観直して以来、頭にこびりついて離れない。
 「切腹」は橋本忍にとって、因縁じみた作品でもある。大元となったのは、黒澤明との「侍の一日」という企画。侍が朝起きて、顔を洗い月代を剃り、髷を結ってもらい、祖先の霊に礼拝する。朝食をとり、妻の介添えで着替えを済まし、大小を差し、供の中間を従え登城する。お城では何事もなく勤めを行うが、夕刻に近い下城の間際になり、些細なミスを犯し、屋敷へ帰ると自分の家の庭で切腹して死ぬ――ある侍の運命的な一日の克明な記録。紆余曲折があってこの企画は流れる。橋本には痛恨事だったが、「七人の侍」(1954年)の企画へとつながり、またこの時に切腹の仕儀を徹底的に調べた。十年近く寝かしていたが、カンヌ映画祭を訪れた橋本は南仏の海岸で、「異聞浪人記」の切腹の話を出品したら面白いのではないかとふと思いつく。帰国後、わずか11日でシナリオを完成させたところに、小林が松本清張原作の別の時代劇の企画の相談を持ち込む。橋本が「時代劇なら書いたばかりのホンがある」と小林に「切腹」を渡すと、明くる日には話が決まったという。

成仏せずに冥府からさ迷い出たのか、改めて切腹の座についたその侍の怨念は異様に凄まじかった。作品の監督は小林正樹氏で世評も高く、1963年のカンヌ映画祭では特別審査員賞を受賞、「砂の器」と並ぶ、私の代表作とも云々される輪廻転生の「切腹」である。

『複眼の映像 私と黒澤明』
小林正樹

 反戦映画「人間の條件」六部作(1959年~61年)の社会派監督として高く評価されていた小林正樹は、この時、時代劇初挑戦であり、橋本忍と組むのも初めてだった。一介の素浪人の一命を賭した大藩への復讐劇は、武士道なるもののうわべだけの虚飾への、そしておそらくはともに軍隊経験のある同世代の小林と橋本の、日本人そのものの陰湿さと残虐性への憎悪に根差すのであろう。強大な組織、理不尽な権力に孤立無援で立ち向かい、そして無慈悲に踏みにじられる個、その「異様に凄まじい怨念」。暗いペシミズムを心底に共有した両者が好んだテーマである。運命に導かれるように、しかるべき脚本がしかるべき監督に、出会うべくして出会った幸福なケースだったといえるかもしれない。

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橋本 健史 公開中の「林檎の味」を含む「カオルとカオリ」という連作小説をセルフ出版(ペーパーバック、電子書籍)しました。心に適うようでしたら、購入をご検討いただけますと幸いです。

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