見出し画像

【エッセイ】【映画】父と子と(下) ある紅衛兵の場合 陳凱歌に寄せて

 前回の余談のような話で恐縮である。
 「砂の器 映画の魔性」(樋口尚文著)という研究書を読み、「砂の器」(1974年、野村芳太郎監督)が文化大革命終結からまだ間もない1979年に中国で公開され、大変な人気を博し、特に第五世代の若い映画人たちに熱烈に受け入れられたことを知った。「砂の器」の中国第五世代映画への影響ということは考えたこともなかった。
 第五世代とは文化大革命の熱狂と混乱を多感な思春期に経験し、多くは紅衛兵として闘争に参加、後に農村に下放され、この間、正規の教育を受ける機会は奪われたが、1977年に再開された北京電影学院に学び、新しい作風で中国映画に大きな革新をもたらし、国際的にも高い評価を得た映画人たちのこと。政治の世界でいえば、すなわち習近平世代である。
 「砂の器」が彼らを魅了した理由として、旧世代の指導者や文化人らを片っ端から血祭りにあげ、「親殺し」を実行した彼らの罪責感と、ダークヒーローたる和賀英良(加藤剛)が精神的に父を抹殺し、また親代わりといえる恩人に手をかけた痛みが共鳴したこと、ハンセン病への差別という悪しき因習によって強いられた父子の悲惨な流浪が、多くの日本人にとって遠い過去の話だったのに対し、極貧の農村、社会の最底辺で辛酸を舐めつくした彼らにとっては身につまされる描写だったことなどがあげられている。その当否はともかく、文革終焉後の中国に流入し、外国文化に飢えていた人々の心をとらえたのは、衰退期に入って久しい当時の日本映画界の、はっきりいえば第一級とは言い難い作品群であり、その中で「砂の器」は往時の邦画に引けを取らない底力と意地を見せた一本だったということはいえよう。
 実際、第五世代の代表的な監督、陳凱歌が私的な会話の中で、「『北京ヴァイオリン』は『砂の器』には到底かなわないよ」と謙遜しつつ、自作への影響を認めたというエピソードが前掲書で紹介されている。「北京ヴァイオリン」(2002年)は、一人息子を一流のヴァイオリニストに育てようとする父の献身と子の成長を描いたヒューマンな「父子もの」である。母の形見のヴァイオリンを巧みに弾く13歳のチュンの才能を信じ、成功を夢見て田舎から息子と北京に出てくるリウ。教師選びの試行錯誤、魅惑的な年上女性に思いを寄せるチュン、都会生活の困難、音楽界の厳しい現実、国際コンクールへの挑戦。そして自分がいては息子の邪魔になると田舎へ帰ることを決心するリウ、チュンの出生の秘密……。映画のクライマックス。コンクールが行われているコンサートホール、父を追った北京駅でのチュンのチャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」の白熱の演奏、父子の出会いの回想の三つの場面のカットバックなどは、確かに「砂の器」へのオマージュを感じられる。

 さて、その「北京ヴァイオリン」、私にはどうにもいただけない。この作品を観た時、私がずっと追い駆けてきた第五世代の「苛烈な精神」が、こういう形で「円熟」したのかと、少なからぬショックを受けた。マイナスの意味で。
 決して悪い作品だということではない。勘どころを押さえたウェルメイドな感動作とさえいえるかもしれない。映画そのものよりも印象に残っている記憶がある。劇場でソニーの当時の会長、故出井伸之氏を見かけたことだ。秘書らしき若い男性社員と二人連れだったが、終演後、目を真っ赤にされていた。その夜ニュースを見て、その日ソニーの株主総会があったこと、大幅な減益見通しを示したことで世にいう「ソニーショック」が市場を襲ったことを知った。総会が早く引いてたまたま時間が空いたのかとでも想像するが、ソニーのトップというのはそんな中、わざわざ映画館に足を運び、作品に感動する感性を持っているのかと感心した覚えがある。
 閑話休題。映画を観終えてなんとも複雑な気持ちだった私だが、一方でどうしても作品を否定する気にもなれなかった。その少々甘ったるいドラマとは裏腹に、陳凱歌が是非にでもこの映画を撮らなければならなかった強固な意志のようなものを感じたからである。

陳凱歌

 世に文革ものの本はあまたあり、多くは歴史の奔流に飲み込まれた家族の波乱万丈の大河ドラマで、どれもそれぞれに感動的だが、体験から析出された思想性という意味でいえば、ひいき目かもしれないが、陳凱歌のそれが一番優れていると思う。
 14歳の陳凱歌も時代の狂信的な瘴気に触れ、毛沢東に忠誠を誓う先鋭的な紅衛兵として文革に参画した。そして国民党員だった過去を持つ映画監督の父懷皚も「反革命分子」として標的となる。その批判集会、「吊るし上げ」の場で、陳凱歌は群衆の面前で父を突き飛ばし、面罵するという壮絶な体験をする。この箇所を読んだとき、震えるような衝撃を覚えた。長くなるが、そうするほかないので、ほぼそのままの形で引用する。陳凱歌の体験の底なしの重みを余すところなく伝える、過不足なき名文だと思う。

父の名前が呼ばれたとき、父は頭をさらに低く下げた。(……)『打倒しろ!』というスローガンが人々の間から湧きあがる。私も叫んだ。自分の声が自分にもよく聞こえた。とても大きかった。すべては、夢のようだった。赤い腕章を巻いた者が、私の名を呼ぶ。私は、大勢に見つめられながら、前へ出た。自分が何を喋ったのか、覚えてはいない。だが、そのとき父は私のほうをチラリと見た。私は父の肩を手で突いた。どれくらい力をこめたか、はっきりしないが、それほど強くはなかったろう。しかし、とにかく私は父を突き飛ばした。肩に手を置いた瞬間の感触は、まだ覚えている。(……)私を周りから包んだのは、快感で熱く火照った視線だった。私は逃げることもできず、ヒステリックに何かを叫んでいた。そのとき、私はその見なれない男が、突然いとおしくなった。突き倒そうとしたとき、強くて威厳のあった父が、本当は弱い存在にすぎないと気づいたのだ。そのとき、私は本当の父を感じた。(……)私は涙を無理やり飲み込んだ。塩辛かった。

『私の紅衛兵時代』

 この獲物に対する集団の嗜虐的な「快感で熱く火照った視線」こそ、第五世代の作家たちに共通する黒々とした大衆不信の根源となる原体験だったのではないか。陳凱歌は続ける。「他人の面前で、子供が自分の父親を破り捨てるとき、耳に聞こえたのは笑い声だった。何という人民なのだろう?」。
 父子にはさらに過酷な運命が待ち受けていた。労働改造でトイレの清掃員となることを強いられた父。雲南の辺境の地に下放され、ひたすら木を伐採し続けた子。毛沢東の死と文革の終焉。子は父の反対を押し切って同じ映画監督の道を選ぶ。そして改革開放の時代――時は流れ、子が監督する「覇王別姫」(1993年)で、父は物語の核である京劇の指導にあたった。陳懷皚は京劇映画を多く手がけた監督だったという。作品では単に文革の非人間性云々という言葉では尽くせない、自己の保身のためには愛する者すら裏切り、容赦なく罵倒、糾弾する人間の獣性が剝き出しになった戦慄的な場面も描かれる。陳凱歌自身の痛切な体験に基づいて。「覇王別姫」については、いつか稿を改めなくてはいけないかもしれない。論ずるには相当の覚悟と気合がいるだろうが。

 亡くなる前年、自身もかかわった「覇王別姫」がカンヌ映画祭パルムドールを受賞したとの朗報を病床で聞いた陳懷皚は、息子の栄誉に「我要兒子,不要英雄」と述べたと伝えられている。「英雄などいらない、私はただ息子がほしい」といった意味だ――この言葉はヴァイオリンを選ぶか、父を選ぶかの二者択一的な状況で、息子がコンクールを棄権して父との生活を選ぶ「北京ヴァイオリン」の結末に反響していないか。陳凱歌が「北京ヴァイオリン」で描かんとしたのは「そうありたかった父子関係」、すなわち父を傷つけた過去の過ちの終生消えることなき痛み、映画人として父を超える成功をおさめた現在の自身の居心地の悪さに対する、反事実的な理想ではなかったか、そこには「和解」や「贖罪」といった意味=願いも込められていたのだろう。スクリーンを前に、陳凱歌がこれでもかと繰り出す「感動の仕掛け」に乗りきれなかった私は、そんな彼の「宿命」のようなものに漠然と頭を巡らせていたように思う――「砂の器」の中の台詞をもじっていえば、「彼はもう映画の中でしか逢えない父と逢っていた」ということになるだろうか。


いいなと思ったら応援しよう!

橋本 健史 公開中の「林檎の味」を含む「カオルとカオリ」という連作小説をセルフ出版(ペーパーバック、電子書籍)しました。心に適うようでしたら、購入をご検討いただけますと幸いです。

この記事が参加している募集