【MSA深層秘録FILE】数百万の悲鳴を、利益に変換した地獄!アウシュビッツの実態に迫る
「MSA深層秘録FILES」は、
世界各地に残された未解決事件、歴史の謎、説明不能現象を追うミステリー考察シリーズである。
絶滅収容所アウシュヴィッツは莫大な収益をあげた”死の商人” I.G.ファルベン
暴力や鼓舞する演説だけでは国を牛耳れない。
力強く、オーバーリアクションで演説するヒゲ親父の背後に潜み、大衆からは見えないが、熱狂する国民の様子を見てほくそ笑んでる奴がいたようだ。
アドルフ・ヒトラーのナチスはある意味では彼らに利用されていた、いや、共謀したというところか?
毎年、1月から3月、ひどい年では4月まで花粉症に悩まされてる。
実は特効薬が存在しているってご存知だろうか?
アレルギー症状を抑えるワクチンで、それを打てばなんと発症しなくなり、完治するらしい。開発したのはドイツの製薬会社『バイエルン』で特許を持っている。
しかし、なぜか製造はしていない。
日本でも花粉症関連では1500億円の市場規模がある。
そんな飯の種を絶滅させるような野暮なことはしないということなのだ。
その製薬会社『バイエルン』は元々ナチスドイツ最大の化学工業の企業で、おぞましい戦争犯罪企業のI.G.ファルベン社の製薬部門が戦後独立して出来た会社だ。
当時、ヨーロッパ最大にして、世界最大級の化学工業企業にして、戦前からロックフェラー財閥のスタンダード石油とも業務提携して、合成ゴムと合成燃料の開発をも進めていた。どちらも戦争には欠かせない化学製品なのだ。
誰かが仕掛けたか、それとも世界が不況に陥って時代の渦に巻き込まれてしまったのか、その科学製品の需要はすぐに欠かせないものとなる。
1929年の世界恐慌で奈落の底へと突き落とされた人類は戦争による軍需産業の需要を狙うしかならなくなった。
1933年、アドルフ・ヒトラーのナチスが第1党を奪取する。その数年前あたりからI.G.ファルベン社はナチスのスポンサーとなったようだ。
1929年にハインリヒ・ヒムラーが結成した"親衛隊全国指導者友の会"の創設メンバーとしてI.G.ファルベン社の幹部が名前を連ねている。
ドイツ国内最大の輸出企業のI.G.ファルベン社はナチスから資金提供を受けて化学製品により莫大な利益をあげていた。
そして逆にナチスに軍資金を提供するようになっていった。そうやってナチスを影から支えていたらしい。
I.G.ファルベン社は単にナチスに武器や化学製品を提供していただけではなく、何百万人という命を燃やし、ナチスの戦争継続に大いに貢献し、莫大な財産を生み出した。
それは悪魔でさえ、仰天する「死のリサイクル」だった・・・

驚愕の“死のリサイクル”
ナチスがユダヤ人問題の最終解決として1942年のヴァンセー会議でユダヤ人の絶滅計画を再確認された。
それまでにも既に各地で大虐殺、ホロコースト、最近ではジェノサイドと言われてるんだが、そういったことが実際にあった。
余談だが、なぜ大量虐殺のことをホロコーストと言われていて、そしてそれがユダヤ人への差別用語だとされているか。
古代ユダヤ教の祭事で獣を丸焼きにして神前に供える、動物の生贄のことを指すユダヤ教の宗教用語なのだ。
つまりユダヤ人の大虐殺をホロコーストと呼ぶこと自体が既に差別にあたり、ジェノサイドと言い換えられるようになったということなのだ。
ところで絶滅収容所と言われるアウシュヴィッツは大きく2つのエリアから構成されてた。1つは言わずもがな、絶滅専用の収容所。
アウシュヴィッツに到着したユダヤ人の75%が2時間以内にガス室に送られ、火葬までされていたとか。
「老人は右、若者は左」と選別されていたとか。
もう一つは1941年に増築されたアウシュヴィッツ近郊のブーナ工場。
ここは新鮮なユダヤ人のための強制労働の工場で死ぬまで働かされてたとか。
労働の継続のみが唯一の命の補償だった。
このI.G.ファルベン社専用のブーナ工場では、合成ゴム、合成燃料その他、戦争継続に必要な武器、弾薬などあらゆる化学製品が製造されていた。
それもユダヤ人の強制労働によって。
おまけに何百万人のユダヤ人を葬ったツィクロンBという毒ガスまでも製造されていた。
ユダヤ人の強制労働によって製造された毒ガスで同胞のユダヤ人が暗闇でもがき苦しみ、壁に爪痕を残して死んでいったことになる。
合成ゴムや燃料もナチスドイツ軍には欠かせないものでヨーロッパ全土を恐怖に陥れたナチスを支えたのは、これらユダヤ人の強制労働によって生み出されたI.G.ファルベン社の化学工業製品だったというわけだ。
ユダヤ人の命はこうやってリサイクルされていたのよ。
ここまでは比較的よく知られている話ではあるんだけど、実はアウシュヴィッツの絶滅収容所エリアでも莫大な収益をあげていたことがわかっている。

絶滅費を支払ったヨーロッパ諸国
1939年、スロバキアとナチスは同盟関係にあった。
当時、スロバキア大統領も首相もカトリックのキリスト教で宗教、文化の違いで反ユダヤ主義だった。戦前スロバキアには9万人のユダヤ人居住区があったみたいなんだけど、ナチスとの同盟後は地上から消え失せた。
果たして9万人ものユダヤ人はどこへいったのか?
彼らユダヤ人はアウシュビッツに強制輸送された。1942年以降はなんとナチスにひとり500ライヒマルク支払ってまで絶滅収容所に追いやったのだ。
しかし、当時アウシュヴィッツでは、大きな問題を抱えていた。
銃殺ではナチス兵が精神的に病んでしまっていたのだ。つまり殺しすぎて殺せなくなってしまったというところか。そこで生み出されたのがあの悪名高い「ツィクロンBによるガス室」なのだ。
こうして効率よく、且つ死刑執行人にも精神的に負担の少ない死の工場が生み出され、絶滅費という名目の莫大な利益をも生み出していたのだ。
しかも、フランス、オランダ、ベルギー、ユーゴスラビア、ポーランド、チェコ、オーストリア、ハンガリーなどもスロバキアと同様にナチスに絶滅費を支払っていた。
ちなみにフランス政府がこの時、ユダヤ人をナチスになぜ流したのか?についてはいまだに謎となっている。
ナチスだけじゃなく、実はヨーロッパ全土からユダヤ人は排除されていたといっても過言ではない。
そんなユダヤ人だが1941年10月にドイツ全土から追放となり、強制的にポーランドのゲットーに移住となった。
その時、持ち物はスーツケース1個だけ。
この場合、大事な貴重品、生きていくのに必要な財産などを持ち歩く必要が出てきた。
スーツケースをもったユダヤ人は各地に点在していた絶滅収容所に移送されたのだ。
到着したユダヤ人は手荷物を収容所に預ける。
アウシュヴィッツでは財産管理部署が設置されており、その部署が収容されたユダヤ人の財産を管理してた。
ユダヤ人は75%が到着後2時間で死んでいた。
では残されたスーツケースは?というと財産管理部署にはさまざまな鑑定士も所属しており、手荷物1個に詰められた貴重な財産や金銭をかき集めてベルリンに送金していた。
ユダヤ人はヨーロッパ全土からかき集められていたので世界各地のお金が集められ、アウシュヴィッツは莫大なユダヤ人の財産を収入として得ていたのだ。この時代、ヨーロッパに出回った金や宝石の出所はアウシュビッツと言われていたほどだ。
1945年、戦後アウシュヴィッツは解放された。
絶滅収容所で生き抜いたユダヤ人の財産は?
というとスロバキアでは「戦前の財産権は認めない」決定がなされ、ユダヤ人たちは帰郷しても財産が元に戻ることはなかった。
それどころか戦中からそこに住んでいた住民から「生活を脅かす害虫」のような扱いをされ、生活が改善することはなかったらしい。
これは一例にすぎないが、これがヨーロッパ各地でおこなわれていたことは想像に難しくない。アウシュビッツとは、単なる絶滅収容所ではなかった。戦争に必要な化学製品の製造を強制労働により大量生産を確保し、使えないユダヤ人はフレッシュなユダヤ人に置き換えられて、使い捨てにされた。そしてコンパクトに厳選された財産を効率よく没収するというゾッとする収容所だったのである。
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