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【第八話】押忍❗ワイの漫画家物語 〜初ネームでプロに認められた日✍️

大学4年生の冬。

『漫画家ァ?💢何のために、大学に行ったんじゃぁ⁉💥💥』

親父にののしられながら、ワイは黙ってバイトを続けた。
金を貯めた。

函館に戻り、引っ越しの準備をした。
卒業式には出なかった。
荷物を送り――

ラジカセと、現金30万円。
それだけを持って、東京に出た。

🏠【東京生活スタートだ】


千葉の友達の友達の家に、しばらく転がり込ませてもらった。

まずやったことは、生活基盤づくりだ👊
・部屋探し
・仕事探し
・生活の準備

『東京に出る❗』と豪語いたしましたが、
東京は家賃が鬼のように高すぎた⤵️💦
江戸川を一本渡った千葉県市川市なら
グッと家賃が安くなるので、そこに決めた。

借りたのは、
駅から15分、高速道路となり。
6畳と2畳キッチン、築数十年の古いモルタルアパート。
風呂なし。
とにかく、安さ優先😆
夢を追って東京に来た!というより、

『生きていくための拠点』だ。


——仕事は、
友達の紹介で東京錦糸町にあった
『市川合板』という建築資材を運ぶ会社に決まった。
週6日勤務。
プチ肉体労働
集英社まではバイクで20分!
これで、生活はなんとか回るようになった。

📞【先ずは、編集部へ報告だ】


東京に出てきたことを、担当のO穂井さんに報告を入れた。
すると開口一番、
『本当に出てきちゃったんだー💦』😫
そして、
『せっかくみんなで止めたのにーッ』🤣🤣🤣
と、大笑いされた😅

まあ、そりゃそうだ。何の実績もない
普通に考えたら、無謀な上京だったからね😆

でも、出てきた以上、やるしかない💪

ワイはお願いした。

『アシスタント先を紹介してもらえませんか?
働きながら、絵の勉強をしたいんです❗』

すると返ってきた答えは、予想外だった。

💧【アシにもなれない、厳しい現実😅】


『この前の16ページのギャグ漫画の絵じゃ、
正直、どこも雇ってくれないよ』

……ぐうの音も出なかった💦

『アシスタントになるにも、ある程度の技術はいるんだな...』
『今のワイは、アシスタントにもなれないのか...』⤵️

ちょっと落ち込むワイ😭

———でも、こう言われた。

『ギャグ漫画じゃ画力がわからない』

『まず、名刺代わりになるストーリー漫画を
1本描いてみなよ』


なるほど。
アシスタント先を探す為の履歴書。

『押忍💪 描きます❗』


そう答えて、帰ろうとしたその時。
O穂井さんが言った。

『ネームできたら見せてね』

……えっ?😳

🙋【初めて知った『担当』という存在】


ネーム(物語の下書き)から見てもらえるの?
つまり、
・ネーム段階でアドバイスがもらえる
・プロレベルに直すことができる
・賞に入れるのではないか?
当時のワイは、思った。

担当のOKが出たら、デビューできるんじゃないか?😃

……そんなわけないんだけどね(笑)
担当の『いいね』は、あくまで個人の意見。
編集部全体の評価とは別。

——でもね。

目の前の一人を納得させる❗


これ、めちゃくちゃ大事なんです。
漫画家になる第一歩❗
作品が、確実に締まってくる。

🗼【東京に出て、生活が始まった。】


週6日のバイト。 
ボロアパートでの暮らし。   
慣れない環境。  

学生の頃のように、一日中時間があって、
漫画のことだけを考えていられる生活ではない。

それでも、やることは決まった。

まずは一本、ストーリー漫画を完成させること。


『さて、何を描こうか?』🤔

🗫【小池一夫先生の劇画村塾との出会い】


『よし!描くからには、これからはプロとして描こう!』

そう思った。

プロとは?
『プロとアマの違いって、なに?』って思うかもしれませんが、

お金を払って読んでくれる『読者』に向けて描くこと。

これがプロ。
ただ、漠然と頭の中にあるものを漠然と描いて終わるのが、アマ。

そういう考えに変えてくれたのが、
大学4年の6月に創刊された、
不定期刊『コミック劇画村塾』という
雑誌に掲載されていた、

小池一夫先生の漫画創作理論

を読み始めていたからだ。

1983年から始まったコミック劇画村塾の創作論をまとめた本。2000年に発刊されたものです。


それまで、『漫画の描き方』という本は何冊か出ていたんだが、
そのほとんどは、『絵』の描き方ばかりで、
後は漫画家の自伝みたいなものだった。
だからみんな、漠然と頭でストーリーを考えて、漠然とコマを割って漫画を描いていたのだが...

小池先生が初めて『ストーリーの作り方』について、文章で理論化したのではないだろうか?
今、みなさんが聞いたことのある、

『キャラを立てる❗』

って言葉を広めたのも小池先生だ。

その不定期刊の小池先生の『ストーリーの作り方』をこの時はまだ途中までしか読んでないはずなんだが、そこで書かれていたことは、

『読ませる努力❗』

について切々と書かれていた。

出だしのつかみ(今でいうフック)を作って、先ず読者の気を引き、各ページ最後のコマにはページをめくらせるための『引きコマ』を作る。
中盛り上がりがあって、最後の見開きページの大盛り上がりにつなげて、
エンディングは余韻を残して終わる...などなど

こんなことが細かく書かれていた。

『プロとは、ここまでコマと構成にこだわり、読者の感情をコントロールして、『ああ、面白かった』といわせる努力をしているのか...』😱

確かに、いち読者として読んでると気づかないが、『構造』として読んでいくとプロの読ませる努力が見えるようになってきた。

電撃を食らったような衝撃だった💥


今回のワイの新作は、この、

『読者の感情をコントロールして漫画を描く❗』

を自分のテーマにした。

先ずはプロットから丁寧に作った。

☝️【プロットとは、『物語』の設計図です】


どこから始まり、どんな出来事が起きて、
キャラクターがどう苦しみ、どう変わり、どこにたどり着くのか?
その流れを、漫画を描く前に『文章』でまとめたものです。

当時書いていたプロット。真面目に作っていました😆


出だしの5ページは特に意識して、3パターン考えてました😆


大まかなプロットができたら、仕事帰りにO穂井さんに電話して
数回見てもらった😆

プロットなんか大まかなアイデアの文章であるから
それを見てもらったからって、『まぁ、いいんじゃない』
すぐに終わるんだが、その後の漫画の話業界の話が楽しかった。

そして何より、毎回ご飯をご馳走になった💕
実はそれが一番の楽しみになっていた😆

プロットができたら、今度はネームを起こす。

☝️【ネームとは、『漫画の完成形』をラフで描いたものです】


・どこにコマを置くのか
・キャラクターはどんな構図で描くのか
・セリフは何を言うのか
・ページをめくったとき、どんな印象になるのか
これを、本番の作画の前に、ざっくりと描いて確認します。

漫画は、まずネームで面白さが決まります。

劇画村塾の教えを守りながら、構造でコマ割りを考え、キャラクターを立て、ひとつひとつのコマの意味を考えながら、
コマ割りを考えて行った...

今まで、『考えて描く』なんてやってこなかったので、
考えれば、考えるほど…

『これ、本当に面白いのか?』

と、自問自答してしまう💦
描いては、直し、仕事の合間にも、また考える…
迷ったら、すぐにO穂井さんに聞いた。

月日はすぐに過ぎて、
26ページのネームを描き上げるのに、3か月くらい費やしてしまった💦

『おし!できた❗今できるワイのすべてや👊』


直ぐにバイクを飛ばしてO穂井さんに持って行った🏃🏃🏃

📖【運命の初ネームチェック】

写真はイメージです

『おっ、やっとできたのか、どれどれ...…』🙎‍♂️


当時は、変なネームの描き方をしていたから、読みにくそうに、
1ページ1ページ読んでいくO穂井さん...

ワイ。その時の、

O穂井さんの『表情』をずっと見ていた。

クスッと笑った。

『ん?』と今止まったな...などなど

ワイが設計したコマでどういう反応をするのか?
ずっと観察していた。

『計算どおりいってるかな?....』

ヒヤヒヤしながら見ていた...💦

『うーん...』🙎‍♂️


といって最終ページを閉じながら…

……。


ワイは、ゴクリと息を飲んだ。
O穂井さんの顔を、じっと見ていた…💦


『面白いじゃん』😀


と満面の笑顔で言ってくれた。

『え?』😐


『これ、いけるかもしれねぇなぁ』

『ア、アシスタントにですか?』💦😆

『いやいや、賞に入れるかも?』

『マ、マジですか?』😑

『うん、レベルには達している。これ、研修費出るかも?』

『け、研修費?ネームにお金くれるんですか?』

『そう!新人育成にひと月幾らで、年額出るよ』

『そそそそ、それはお幾らくらい?』

『15万くらいかなぁ...』

どっかーーーーーーーーーーん💥💥💥

マジか=====💨😭😭😭


なんと、このネームで、研修費15万円を頂いたのだ❗

口の悪い人は、『あれは作家の抱え込み制度だよ』
揶揄する人もいるが、

こちとら『どうぞ、囲ってくださいませ🙇‍♂️』ですよw

大手出版社囲っていただけるなんて
ねがったりかなったりですよ🤣🤣🤣

『鉛筆でサラサラ描いただけの。漫画の下書きが、お金になるのか?』😬


💥衝撃的だった。


これが、商業雑誌の世界なんだ。


そして、O穂井さんが申請してくれて、
無事、研修費15万円を頂き、その15万円で、
当時出たばかりのVHSビデオデッキを買って、
映画を録画して見まくって
ストーリーの構造を勉強したのでありました。
(ちゃんと漫画の役に立てましたよ)😆

そして、今回のネームこそが‼️のちに11年つづく、

ワイの代表作
『押忍‼空手部』の第一話だったのです❗😆


『押忍‼空手部』第一話 P26ページ。
直しは、ほぼなかったと思います。こんな感じで研修生になれました😆
この出だしの5ページにワイのこだわりがありました😆
最終ページはオチを変更してました😆


『サクセスすぎるーーーって思うでしょ?』

だが、ここからが本当の戦いだった。
週6日のバイト。
慣れない東京生活。
恋愛。

漫画を描く時間が、どこにもない。

ひとコマ描くのに1日?
1ページ描くのに数週間?

『なんだ、この地獄?』


ネームができているのに
原稿が進まない……

この時、ワイはまだ知らなかった。

『働きながら描く』ということが、
どれほど過酷なのかを。


次回、
『時間』との戦いが始まる。
乞うご期待‼️😭

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました🙏

📚『ワイの漫画家物語』

初めての方はこちら👇
第1話

まとめて読みたい方はこちら👇
マガジン

前回の話はこちら👇
第7話


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