見出し画像

三年間、誰も使わなかった言葉「なんのはなしですか」が文化になるまで

①はじまり

 書きたくなったら「なんのはなしですか」と書けばいい。

 私は五年かけて、この言葉を「正解のいらない、創作の入口」にしてきた。

 現在「#なんのはなしですか」というタグから生まれた記事は二万件を超え、千人以上が参加している。


 日記、エッセイ、小説、詩、短歌、電子書籍、ZINE、点字本、グッズ、イラスト、思考、書道、羊毛フェルト、手芸、レザークラフト、動画、歌、ゲーム、朗読、公演、そしてティッシュ字検定に珈琲。

 様々な表現が、この一つの言葉から生まれている。

 しかし最初は、この言葉は誰にも使われなかった。note上でのタグの件数は、ゼロ件だった。

 私は当時、Instagramで読書感想文を書いていた。その時に仲間うちで、遊びながら使っていた言葉がある。

「なんのはなしですか」

 この言葉の響きが、ただ面白くて好きだった。言いたいことや、今まで言えなかったこと。まとまらない思考や、どうでもいい日常の喜怒哀楽や、その日々の暮らし。

 どんな些細なことでも、この言葉を付けて表現すると、どこか許される気がした。

 素直に自分を解放できる。
 表現を自在に操れる。

 私には、この言葉に救われている感覚があった。

 もっと表現をしてみたい。
 もっと創作をしてみたい。

 それは、自分の中に自然と湧き出てくる感情だった。そんな時に文字数制限のないメディアプラットフォームnoteを見つけた。

 たまらなく嬉しかった。これで、自分の書きたいこと、描きたいことに真正面から挑戦できると思っていた。

 はじめた当初は、あっという間に人気になると思っていた。

 自分のプライドも高かった。

「なんのはなしですか」という面白い言葉を使って表現していることは、新しいことだと思っていた。

 だが、周りを見れば、自分より文章力が高い人、表現がきれいな人、創作を愛している人たちばかりだった。私の表現では、戦えるレベルではなかった。

 私の記事は、まったく読まれなかった。   
             

②三年間、何も起きなかった

 三年間。

「なんのはなしですか」を書いていても、何も起きなかった。

 エッセイでもない。
 小説でもない。
 日記でもない。
 そして、誰かの役に立つものでもない。

 この表現方法は、どこにも当てはまらなかった。

 当然、反響もない。
 読まれない。
 何も広がらない。

 筆を折ろうと挫折しかけていた。

 嫉妬という一言では言い表せない感情が、自分の中で渦巻いていた。

 なぜ、あの人は読まれるのか。
 なぜ、自分の記事は読まれないのか。

 そんなことばかりを毎日考えていた。それでも、書くことをやめなかった。

 自分にできる表現方法は、それ以外に何もなかったし、それを捨てることはできない。放棄することは、自分自身を失うことになるからだ。心の中は、どこか執着にも似た、きっといつか誰かが見つけてくれるだろうというすがる気持ちだけだったと思う。

 そして、自分が面白くないということを認めるのに、三年という時間がかかった。

 悔しかった。
 だけど、認めるしかなかった。

 それでも、この言葉の持つ力だけは、どうしても諦められなかった。伝えなければならないと、アホみたいに一途に、本気で面白いと信じていた。

 私自身が、表現するたびにずっと救われ続けていたからだ。

 この言葉は、きっと広がる。
 そう信じるしかなかった。

 そして、三年目のある日。

 私は一つのことに気づく。


③発想の転換

 そして、ある日気づいた。

 自分が面白くないのなら、他の人に面白くしてもらえばいい。

 自分には諦めをつけることができたが、せめて、この言葉に救われた恩返しはしたかった。

 自分が面白くないと認めるのに、三年かかった。そして、自分より面白い人が他にいくらでもいることには、最初から気づいていた。

 それでも、抗いたかった。

 私が簡単に諦められなかった時間が、三年だったということだ。

 その頃、私は一つの記事に出会う。

 自分の利益など考えずに、ただ「noteにはこんなに面白い人たちがいる」と紹介している記事だった。

 この記事を読み終えた時、自分が心底恥ずかしくなった。

 ずっと、自分のことしか考えずに表現していたことに気づいた。自分も周りも楽しくなるような表現をしたかったのに、実際は自分が誰よりも面白ければ良いと考えていて、それを誇示するような振る舞いをしていて、気づけば、自分がなりたくなかった大人になりかけていた。

 ここで変わらなければ、すべて終わると思った。

 だから、私は決めた。

「なんのはなしですか」を使ってくれたクリエイターを、自分の考えるエンターテインメントに載せて紹介する。

 創作は個人の才能だと思われがちだ。
 しかし私は、違う方法を選んだ。

 一人の作品ではなく、仕組みで文化を作る。

 もしそれができたなら、創作は孤独ではなくなる。

 エッセイでもない。
 小説でもない。
 役に立つものでもない。

 それでも人は、自分の中にあるものを表現したいと願っている。

 だが、その表現にはいつも孤独が付きまとう。

 こんなことを書いても読まれない。
 上手くも書けない。
 自問自答しかできない。

 だから私は、別の方法を考えた。

 何を書いても否定しない。
 どこが面白いのかを考える。

 そうすることで、一人ではないことを提示する。

 表現は自由であると証明したい。

 それが、今も続いている

「なんのはなしです課」通信のはじまりだった。

#なんのはなしですか  
通信ごとの参加アカウント推移

 最初は、十人にも満たなかった。だが、「なんのはなしです課」通信を続けるごとに、少しずつ参加者は増えていった。

 気づけば、一回の通信で百人以上が参加するようになっていた。


④路地裏の住人たち

「なんのはなしです課」とは、もしこの言葉を担当する部署がこの世界にあるのなら、きっとこんな場所だろう。そんな遊び心で付けた名前だ。

 最初に紹介したのは、六人だった。

 偶然にも「#なんのはなしですか」を使う人が複数人現れ、その人たちを通信としてまとめ、毎週紹介することにした。

 私は、この場所を、

 noteの街の路地裏と名付けた。

 声を大にしては言えないこと。決して評価されるようなものではないもの。

 それでも、書きたいことを自由に言える場所。それを、みんなで楽しむ場所にしたかった。

 人を紹介するのに、面白おかしく、怒られないギリギリを攻める。

「こんなにおかしい人がいるので、この記事は回収して預かります」

 そんな調子で紹介していくのが、「なんのはなしです課」通信だった。

 正直に言えば、不安だった。

 自分で自分の人生を面白くすると決めていても、それに賛同してくれる人がいなければ、何も起きない。

 この言葉を他の人に預けてしまったという怖さもあった。

 すぐに誰も書かなくなるかもしれない。この言葉は、このまま埋もれてしまうかもしれない。意図する方向と違う方向に進むのかもしれない。

 それでも、通信は出し続けた。

 最初は二十週連続で発行した。
 
 自分自身、不安を忘れるように、ただ書き続けた。

 すると、少しずつこの言葉を使う人が増えていった。

 増えていくのは、良いことだった。

 でも、そこに現れたのは、やはり自分より面白い人たちばかりだった。言葉の可能性を広げてくれる人たち。考えもしない表現を生み出してくれる人たち。価値を創造してくれる人たち。

 それを認めるのも、また苦労した。

 どうしても、嫉妬が出てくる。

 捨てようとしても、捨てきれないプライドがどんどん顔を出してくる。

 人を認めることで、自分の表現や、自分そのものを失うような感覚もあった。

 だが、想像を超えるものに出会うと、人はその感情を飛び越えることを知る。

 嫉妬は、いつしか感動に変わっていった。

 象徴的な一人を挙げるなら、路地裏のプリンセスと言われた人がいる。

「なんのはなしです課」通信
温雅な十一通目より抜粋
路地裏のプリンセスの誕生

 もちろん本名ではない。

 路地裏では、そういう呼び名でお互いを楽しませている。

 私が「なんのはなしですか」を広めたいと言うと、なぜか盛大に動き方を間違えて開花した。

 一週間で五十本以上。

 最終的に、五百本以上の「なんのはなしですか」を短期間に書いた。

 普通ではない。
 どう考えても、普通ではない。

 でも、この路地裏では、そういう人たちがたびたび現れる。

 それに呼応するように、どこかおかしく、何かに特化した人たちが、噂を確かめるように集まってくるようになった。

 人がやらないことをやると、自然と人の目に触れていく。それが、正しいかどうかは別の問題だ。

 それぞれが自由に個性を出しながら、「なんのはなしですか」という言葉を自分なりに解釈して、表現を広げながら使いはじめるようになった。

 気づけば、規模はどんどん大きくなっていた。

 最初は六人だった。

 路地裏に住人が増え、この言葉を使う人が増えていった。

 それでも私は思っていた。

 これはまだ、何かが始まったわけではない。

 そう思っていた矢先に、

 一つの出来事が起きる。

 表現が拡大していったのには、きちんとした理由がある。


⑤創作が拡張する

 それは、転機だった。

 十通目までの「なんのはなしです課通信」をまとめ、全力で書いた記事があった。

 2024年の創作大賞に向けたものだった。

 自分自身に問いかけ、思いの丈をすべて込めた。

 どうにかして、この言葉が広がってほしい。ジャンルになって欲しい。そう願って本気で書いた。

 しかし結果は、中間にも残らず、落選だった。

 全力で挑戦して、落ちた。

 私は、そこで終わると思っていた。

 挑戦して落選したら、それまで。
 この世界は、そこで閉じるものだと思っていた。

——でも、違った。

 落選をきっかけに、動き出した人たちがいた。

「なんのはなしですか」を広めたい。

 自分を救ってくれた言葉だから、失いたくない。

 noteの外でもいい。
 他のSNSでもいい。
 自分の得意な表現で広めよう。

 そう言ってくれる人たちが現れた。

 私はその時、初めて気づいた。

 この言葉は思っていた以上に人に預けられていたのだと。

 落ちて、広がる。

 そんなことが起きるとは、思ってもいなかった。

 最初に起きたのは、音声配信だった。

「なんのはなしですか」というものが、noteという場所で広がっている。そこには、表現の仕方を間違いながらも、多くの人が真剣に遊んでいる世界があると広めてくれるようになる。

 その遊びは、記事の朗読になり、歌になり、劇になりと、形を変えながら広がっていった。

 次に起きたのが、Xだった。

 Xで「なんのはなしですか」をバズらせたいと、怒涛のように投稿する人が現れた。

 それに呼応するように、ハッシュタグを付けて投稿する人が増えていった。

 一つの言葉を、見たこともない人たちが、同じように大切にしている。

 そんな光景が、少しずつ生まれていった。


⑥言葉に価値を付ける

「なんのはなしですか」を外の世界に説明するために、きちんとしたミッション・ビジョン・バリューが欲しいと言われた。

 私は、「なんのはなしですか」が求めているものを言語化することに時間を費やした。

 遊びの中から生まれた文化に、価値を与える。それは必要なことだと思った。

 よく、人からは「真面目にふざけている」と言われる。

 でも、私は少し違うと思っている。

 ふざけているのではない、
 ただ全力でやっているだけだ。

 一生懸命に、全力で踊っている。

 それが、外から見ると、ふざけているように見えるだけなのだと思う。

 それが「なんのはなしですか」という言葉の本質だと感じている。

 だからこそ、この言葉には軸が必要だった。

 私がたどり着いたミッションは、

「誰もがどんな些細なことでも、楽しく、自由に表現できるようにする」

 というものだ。

 この言葉を持ったことで、自分の中でも明確に判断ができるようになった。

 迷ったら、ミッションに戻る。問いかける。それだけで、進む方向を見失わなくなった。

「なんのはなしですか」は、ただの遊びではない。

 表現の自由を守る、小さな仕組みなのだ。


⑦文化は形になる

 それから、「なんのはなしですか」を文化として、電子書籍にまとめようと動いてくれる人が現れた。

 多くの人が参加する「なんのはなしですか」という創作では、取りまとめるのは、不可能だと思っていた。

 だが、賛同してくれた人がいた。

 応募してくれた人を、全員受け入れたい。
その気持ちを汲んでくれた。

 結果、合計99人が参加する4冊の電子書籍が生まれた。

 この本の願いは、一つだけだった。

 これを読んだ誰かが、「私も書いてみたい」そう思ってくれること。

 しかし、規模が大きくなると、新しい問題が生まれてくる。

 権利や、自由に使うことへの不安だ。

 自由には、必ずリスクがある。

 そんな時、ある提案を受けた。

「なんのはなしですか」は、商標登録をした方がいい。

 誰でも自由に使える言葉だからこそ、その自由を守るために必要だと教えてくれた。

 それは、創作する人が安心して参加できる環境にも繋がる。この頃から、この言葉を自分のものではなく、みんなのものとして考えるようになった。

 私は、人に頼るという選択をした。

 この言葉が向かう先は、一人では無理だと分かっていたからだ。

 自分が面白くないと知り、そこから解放することで面白くなってきた世界を、もっと面白い方向へ進めるためにも、一人で決めることはできない。

 私にできることは、ただ一つだった。

 投稿された表現を楽しむこと。
 それを誰かに繋ぐこと。

 読むこと。
 書くこと。

 それ以外に何もできない自分を、初めて肯定できた。一人の選択ではなくなることで、広がる世界がこれほど面白いとは思わなかった。

 思いもよらない方向に進むことが、文化を加速させるのだと知った。

 そして、「なんのはなしですか」はクラウドファンディングによって、商標登録へ向かう。

 達成率は400%になる。

 この言葉は、正式に守られるものになった。

 そして、私は初めて

この言葉を「見える形」にすることに踏み出した。


⑧クリエイター経済

渋谷bar bossa
「創作フリーマーケット」にて出店

 グッズを制作することで、「なんのはなしですか」を手に取れる形にしたいと考えた。

 日常に溶け込むこと。
 とにかく、それを意識した。

 狭いコミュニティは、どこかで軋轢が生まれる。だからこそ、意識的に外の世界へ向かう必要があると思った。

 外に向けて発信することで、読み手が増える。読み手が増えれば、書き手も増える。競う場所をnoteのクリエイター同士ではなく、外部からの評価にしていくことで、路地裏をエンターテインメントの発信源とする。

 その循環を願っていた。

「なんのはなしですか」のデザインを作ってくれたのは、路地裏の住人にいる女性の、noteもしていない旦那さんだった。

 外側から見て、間接的に見える路地裏の世界を、デザインとして表現してくれた。たった一つの言葉の上で、皆が自由に遊ぶ。まさに「なんのはなしですか」そのものだった。

デザイン「路地裏」
作・Motto

 それは、偶然の出会いだった。

 だが、第三者が表現するという出来事そのものが、「なんのはなしですか」が自由な場所であることを象徴していた。

 そして、ショップが完成した。

 形ではない言葉が「見える形」になったことで、さらに新しい変化が起きた。

 表現は、文章だけではない。

 クリエイターたちが、自分なりの「なんのはなしですか」を、イラストやグッズとして表現し、販売するようになっていった。

 一つの言葉が、表現の幅を広げていく。

 その瞬間に立ち会っているのだと感じた。

 現在、「なんのはなしですか」をテーマにした販売は、15人以上のクリエイターがそれぞれの方法で行っている。

 私自身は、書くこと以外で広がる未来を考えてはいなかった。

 それを広げてくれたのは、この言葉の可能性を信じたクリエイターたちだった。

「なんのはなしですか」には、小学生から大人まで様々なクリエイターがいる。

 路地裏にいる作家は、母校の小学校に呼ばれた講演で「なんのはなしですか」の話をしたいと言う。路地裏にいる女優は、公演をしたいと言う。AIを活用するクリエイターは、絵本やゲームで表現をしたいと言う。形にできるクリエイターは、本や点字本、小物やグッズを販売したいと言う。書道や手芸が得意な人は、出展したいと言う。路地裏でお母さんと一緒に遊んでいた小学生は、個展を開くと言う。

 それぞれが、自分の好奇心を大事にし、形にしていった。

「なんのはなしですか」は、イベント出展するようにもなり、

「ここにあるものは、すべて一つの言葉で繋がり表現しているんです」

「あなたも、参加してみませんか」

 と伝えることができることが、何より嬉しかった。全力で楽しんでいることを、見える形にすることで、知らなかった人たちへ伝わる楽しさを知ることができた。

 その中でも、象徴的な出来事があった。

「ティッシュ字検定」という遊びが、路地裏文化として自然発生した。

 ティッシュに文字を書く。
 あまりにもくだらない発想だった。

 だが、それを本気で楽しむ人たちが現れ、やがてワークショップにまで発展した。

 参加しても、何も意味は分からない。
 でも、だからこそ面白いと思った。

「なんのはなしですか」は、こういう予想もつかない遊びを生み出す。

 これは、誰かが設計したものではない。参加した人たちの好奇心から、勝手に生まれる。

 その連なりが、文化になっていった。

 この出来事を見て、はじめて分かった。

「なんのはなしですか」は、

・参加ハードルを極限まで下げ
・評価ではなく“反応”で循環し
・継続ではなく“遊び”で維持される

 そんな仕組みで広がっていた。

 私は、「なんのはなしです課」通信以外で宣伝という行為をしていない。

 この広がりは、クリエイター一人ひとりの表現の力だ。

 そして、好奇心の螺旋なのだと思っている。

通信への新規参加人数の推移

 毎回新しく路地裏に迷い込む人が必ずいる。特に後半になるほど、新しく参加する人の数は増えていった。文化が文化を呼び、遊びが次の遊びを生んでいった。

⑨珈琲との出会い


 母体が出来たことで、実際に企業の方と話す機会も増えてきた。その中で、「なんのはなしですか」の魔法を一緒に楽しんでくれる出会いがあった。

 それが、創作のお供になる珈琲とのコラボレーションだった。

「物語が読める珈琲」として、実際に商品として販売してもらうことになった。

 その名も、

「なんのはなしです珈」

 商品には、珈琲にまつわる「なんのはなしですか」を集めたマガジンQRをパッケージに掲載してもらった。

 日常の疲れを少しだけ忘れてもらえるようにと。

「なんのはなし」か分からないはなしで溢れている世界を、珈琲と一緒に楽しんでもらう。

 実際の店舗でも販売していただき、外部とのコミュニケーションのきっかけにもなっている。その場でQRを読み取り、noteを始めてくれた人もいた。

 創作の循環が生まれた、象徴的な出来事だった。

 現在、珈琲は二店舗とコラボしている。

 もう一つの店舗では、クリエイターのイラストをそのまま商品のパッケージにする企画が生まれた。

 贈答や記念、自分の表現の足跡として購入する人もいる。

 どちらの店舗も、「なんのはなしですか」に集まるクリエイターや、この世界観を気に入ってくれている。

 どこにでもいる人たちが、

 どこにでもある日常を描く。

 それを、

 どこにでもある日々の中で楽しむ。

 ほんの少しの日常の変化を、楽しんでもらう。

 商品になることで、必然的にレビュー記事も増えていく。それは自然に、店舗にとっての宣伝効果にも繋がっていく。

 きちんと表現されるからこそ、商品にも手を抜かない。

 お互いが切磋琢磨する関係になっていった。

「なんのはなしですか」の構造は、とてもシンプルだ。

 言葉が入口になる。
 誰でも書ける。
 書いた人が広げる。
 通信が記録する。
 文化が育つ。
 商品が生まれる。
 クリエイターが活動する。
 また新しい人が参加する。

 この循環が続いている。

 私が面白いと感じているのは、SNSから生まれた文化が、アナログの方向へ向かっていくことだった。

 誰でも読めるものから、
 手に取らないと見られないものへ。

 形のあるものへと変化していく。

 それは、「なんのはなしですか」という言葉に、価値が生まれてきた証でもある。

 お金を払ってでも手に入れたい。

 自分のそばに置きたい。

 それは、参加した楽しさから生まれた創作だからだ。

 気づけば、私は「なんのはなしですか」を話す側になっていた。ラジオ出演や取材依頼も来るようになった。

 自分が有名になりたいと思っていた頃には、一度もなかった出来事だった。


⑩開業

 ここでようやく、私は自分がするべきことに気づく。

「真面目にふざける」

 その覚悟を形にするには、開業することだと思った。私は2026年、「なんのはなしですか」を仕事にした。

 何もかも遠回りの人生だった。
 順番など、あったものでもない。

 それでも、目の前のことを全力で楽しんできた自信だけはある。

 くだらないことが好きだと言い続けていたら、それを仕事にすることができた。

 きちんと「仕事です」と言えることは、これから出会う人たちに、本気だと伝わることにも繋がると思った。

 そして、私一人のものではなくなったこの言葉を、同じように覚悟を持って広げたいと言ってくれる人にも出会った。

 私はその人に、「なんのはなしですか」の窓口になってほしいとお願いした。初めて、この言葉を人に手渡すことが出来た瞬間だった。

 この言葉は、誰のものでもない。

 そう思っていたはずなのに、人に任せることで、はじめてそれを実感した。

 迷うなら、一人で迷うより、どんなに手間でも、面白い方を選ぶ人と一緒に迷いたい。

 それが、路地裏のルールだ。

 そして、それは自分たちの生き方そのものでもある。気づけば、「なんのはなしですか」は一つの文化になっていた。

 誰かが決めたルールではない。

 参加した人たちが、それぞれの解釈で遊びながら形を変えていった結果だ。

 日記を書く人もいる。
 小説にする人もいる。
 イラストを描く人もいる。
 歌にする人もいる。

 一つの言葉が、これほど多くの表現に変わっていくとは思っていなかった。

 私が作ったのは、言葉だけだ。

 文化を作ったのも、参加してくれた人たちだと思っている。


⑪未来

 私は「なんのはなしですか」を、文芸発信の総合表現エンターテインメントだと説明している。そして、ミッションが示す通り「なんのはなしですか」を誰もが参加できる創作ジャンルにするために動いている。そのために、やりたいことが二つある。

 本屋さんや、セレクトショップ、喫茶店など街なかの暮らしの一部に、

「なんのはなしですか」というジャンルとしての棚を作ることだ。

 例えば、「なんのはなしですか」の棚ができたとする。

 そこには、上手い文章だけが並ぶわけではない。むしろ、何を書いていいか分からずに書いたものや、意味があるのか分からない文章が並ぶ。

 悩んでいるだけの育児書や、何を言っているのか分からない素人の哲学や名言集、失敗した仕事遍歴集や、ティッシュ字の図鑑でもいい。

 オモチャでもいい。
 グッズでもいい。
 イラストでもいい。
 試してみたい商品でもいい。

 それでもいい。

 それがいい。

 なぜなら、それが創作の入口だからだ。

 評価される前の表現が並ぶ場所。

 完成されていない言葉が許される場所。

 それがあることで、人は、はじめて書き出すことができる。

 文化としての記録は、すでに通信として残している。

 流れてしまいがちなSNSの記事も、「なんのはなしです課」通信として、その変遷をすべて見ることができる。

 私たちが創作してきた文化を、誰が見ても楽しそうだと思える見える形にしたい。

 そして、

「参加してみよう」

「表現してみよう」

 そう思えるジャンルとして確立させたい。

 それは、死ぬまでには無理かもしれない。それでも、文学にはならなくてもいい。

 正解のいらない、創作の入口として根付いてくれたなら、それでいいと思っている。

 楽しさと好奇心の螺旋で出来た文化は、形を変えながら、その時いちばん楽しい方法で人に伝わっていくはずだ。

 どこにでもある日常を、

 どこにでもいる人たちが楽しむ入口でありたい。

 そこから先は、先人たちが道を作ってくれている。

 プロになる人もいる。
 有名になる人もいる。

 いつか成功した誰かが、

「なんのはなしですかがあったから、創作を続けられた」

「路地裏出身です」

 そう胸を張って言ってくれたら嬉しい。

 そして、すでに評価されはじめているクリエイター達も少しずつ出てきている。

 ここにいる人たちは、原石だと思っている。プロの作家の作品を楽しむのは、多くの場合、素人だ。素人が面白いと思わなければ、物事は広がらない。文化にはならない。

 その素人たちが、こんなにも好奇心の渦を作って遊んでいる。

 私自身が書いた「なんのはなしですか」の記事は、200本にも満たない。全体の数から見れば、1%にも満たない。

 私以外の人たちが、真剣に遊んでいる。

 それこそが、文化の始まりなのだと思う。

 何が面白いのか。

 何が面白くないのか。

 その基準は、誰にも決められない。だから私は、すべてを受け入れる。それぞれの人に、それぞれの創作の入口があるからだ。

 楽しむことを知った人は、表現の幅が広がる。孤独の中で戦ってきた人たちが、楽しみ方を知ることは、何も間違っていない。

 そしてもう一つ、夢がある。

「なんのはなしですか」を教材にしてほしい。

 読書感想文が書けない。だったら、「なんのはなしですか」と書いてみればいい。文章が書けないのなら、絵だっていい。歌でもいい。

 否定せずに、書かれたもの、描かれたもの、表現されたものを、みんなで受け止める。表現されたもののどこが面白いのかをみんなで考える。その土台を創る。それだけで、創作の入口になると思っている。

 誰かに何かの表現のバトンを渡すことも、大事な創作の一つだ。

 五年前。

「#なんのはなしですか」というタグは存在しなかった。

 今では、

・記事 2万件以上
・参加者 1000人以上
・通信 55通
・一回の参加者 約150人
・五日間の回収期間の投稿 約400記事

 一つの言葉から、これだけの創作が生まれている。

#なんのはなしですか
コミュニティ成長データ

 しかも、この文化は一時的な流行ではない。通信を重ねるごとに、新しく参加する人が現れ続けている。遊びながら広がった創作文化が、五年かけて積み上がってきた。

 これは、誰か一人の成功ではない。

 一つの言葉を面白いと思った人たちが、遊びながら作ってきた結果だ。

 私が広げたわけではない。

 この言葉を面白いと思った人たちが、それぞれの場所で育ててくれた。

 もし、この言葉が本物の文化になるのなら。その瞬間を、きちんと見届けたい。

 そして、この文化は完成しない。

 完成した瞬間に、入口ではなくなってしまうからだ。

 だからこそ、未完成のまま広がり続ける。

 私は、賞を受賞するよりも、賞になるような人生を歩みたい。

 誰のどんな日常にも、物語がある。

 くだらなくてもいい。役に立たなくてもいい。楽しいは、必ず存在する。好奇心があって、笑えて、気づけば誰かが主役になっている。

 私は、そんな表現が好きだ。

 そこに笑いと幸せがあるならば、それは最高の創作だと思っている。

 まだまだ遊び足りない。もっと遊べる。もっと楽しくなれる。もっと色々な人へ、笑いながら届けることができる。

 私は、それを本気で信じている。

 だからこそ、あなたの「なんのはなしですか」を、いつでも待っている。

 ここまで書いてきたことは、

 noteの街の私と、路地裏の住人たちによる、五年間の壮大な「なんのはなしですか」という創作だ。

 だから、次はあなたの番だ。

 書きたくなったら、「なんのはなしですか」と書けばいい。

 それだけで、はじまる。

 


参考資料

そして、ティッシュ字。受賞して欲しい↓↓

見出し画像 Motto
統計協力  フジ笑八コ(ぱちこ⭐︎)


 今日まで関わってくれたすべての人へ。

 心から感謝します。出会っていただきありがとうございます。

 これから出会う人たちへ。

 いつでもここ路地裏にて、ワケのわからない住人たちと共に、ご参加をお待ちしております。

なんのはなしですか

いいなと思ったら応援しよう!

コニシ木の子🍄クラファンは8.31まで🐙次回回収は8.24から8.28まで🛸 いただいたお気持ちは「なんのはなしですか」に関連する活動に使わせていただき、人に会いに行ったり、呑んだり、遊んだりとそれをまた記事にして有効に活用させていただきます。