読書感想文(あるいは反省文) 「不完全主義」 オリバー・バーグマン 3/3
はい、前回、前々回からの続きです。
第三章:実践!肩の荷を降ろす「不完全主義」の9つのアクションプラン
B. まず動くための技術 【行動】
私には「計画だけ立てて行動しない」という傾向がある。
むしろ「計画だけ立てるのが好き」まである……。
この悪癖から脱却するためには、不完全なままで歩き出すための具体的で巧妙な技術が必要になるだろう。
アクション4. 「最初の15分を始める人」になる
「やれる人になる」ための長期的な自己変革プロジェクト(勉強や入念な調査や自己啓発等)は、肝心な「怖いこと」に手をつけなくて済むための言い訳にすぎない。
この悪癖を断つためには、「最初の15分を始める人」になる必要がある。
まず「それをやれる人になる」という不必要で逆効果な目標を捨てる。
その代わりに心から大切に思うこと、あるいは手がつけられずにいるタスクを一つ選び、わずか15分だけ、そのことに手をつける。
今日から始める。
それだけだ。
私も、文章の書ける人間、音楽ができる人間など、「やれる人間」になることを目指してきたが、状況が少しでも改善しはじめたのは「準備」をやめて「とりあえず始めた」からだった。
今後はこの事実にもっと自覚的になり、「やれる人」ではなく「やった人」になることを目指すべきだと痛感している。
最善を尽くさなくてはならないと考えず、限りある時間をまずまず悪くない方向性で使うために、今日何か一つ行動する。
完璧な準備後のスタートなど目指さず、不完全なまま歩き出すしかないのだ。
アクション5. 「恐怖の現場検証」3分ルール
見たくない問題やタスクと仲良くなるために、まず心理的にそこに「行ってみる」ことを著者は勧めている。
長期間放置されたタスクや、取りかかることに恐怖を感じる物事に対し、気力を振り絞る、あるいは自然に対策したい気分になるまで待つというアプローチは現実的ではないからだ。
そこで実践するのが、「恐怖の現場検証」3分ルールだ。
まず、自分が恐れている物事について、「どの程度の行動なら実行できるか」を正直に自問してみる。
そして、その答えが「とりあえず状況を確認する」という最小の行動であるならば、それを3分だけ実行する。
たとえば、たまった資料のタイトルを眺める、ファイルを開くだけ、作業場の写真を見るだけでも良い。
これは、「物置を片付けたいのならば、まず物置に行きなさい」という教えに基づく。
状況を確認し、観察する。
そこで片付けを開始する必要はない。
(無論、開始したい気分になったのならばそうすればいい)
ただ現場に行き、状況を感じ取れというこのルールは、怠惰な私でも一歩が踏み出せる、極めてハードルの低い行動技術である。
この小さな行動が、やがて大きな行動に共鳴を引き起こすのだ。
アクション6. 「10個アイデア出し」で内なる品質管理者をクビにする
質の高いアウトプットを生み出そうと考えるから、私たちは苦痛を感じる。
私達の心の中にいる「内なる品質管理者」は隙あらば登場し、あらゆるアウトプットという行為を邪魔してくるのだ。
この「内なる品質管理者」をクビにする最も現実的で、人間らしい方法が「量を目標にする」ことである。
執筆やクリエイティブな活動において、良い作品を生み出そうという意識を捨て、アウトプットの量に焦点を当てるのだ。
本書にあるアイデアで私が取り入れたいと思った習慣は、「毎日ノートにアイデアを10個書き出す」ということだ。
質は問わない。
なんでもいいから10個、アウトプットのアイデアを考える。
おもしろいのは、アイデアが10個思いつかない時こそ、その倍である20個を考えてみることだというヒントだ。
量を追求することで、内なる品質管理者が介入する隙を与えないのだ。
質へのこだわりから解放されるために、量をこなすことによって結果へのこだわりを和らげるのである。
C. 時間とタスクの緩やかなシステム 【管理】
無限のタスクリストと、避けられない邪魔を、どうシステムとして処理していくか。
ここでも必要なのは、完璧なシステム構築ではなく、「だいたい毎日やる」という緩やかなルールと、現状を受け入れる柔軟性なのである。
アクション7. 「お品書きリスト」の運用
私たちは、やることリストをすべて終わらせるのが不可能であると知っていながら、リストが完了しないことに対する自己嫌悪といったような生産性の負債を抱えてしまいがちだ。
この負債感を払拭するため、リストの本質を転換させる必要がある。
それが、
「やることリストを選択肢の並んだメニュー(お品書き)と捉える」
という発想の転換である。
タスクリストを「お品書きリスト」と再定義する。
すべてを終わらせるのは無理だと認識した上で、レストランに入ったときのように「今日はこの中から、どれをやりたいか」を選ぶ。
私は、本書を読んでいる途中で、この考え方を即時採用し、実行に移した。
その結果、かなり気持ちが楽になった。
若干、生産性も上がった感触がある。
このアクションは非常に有益であり、私からもおすすめできる。
タスクリストは、「やらなければならないことのリスト」ではなく、「やっていいことのメニュー」である。
この認識の転換一つで、私たちは自由な意思決定者としての主導権を取り戻すことができるのだ。
アクション8. 「機械的完了日」の導入
「タスクリストは永遠に終わらない」という現実と、「始めたことは終わらせなければならない」という原則は一見矛盾している。
しかし現実的に、始めたことを終わらせないまま新しいことに着手するのは、実際には状況をどんどん悪くする。
そこで、「機械的完了日」を設定する。
これは、機械的に未完了の仕事をひたすら完了させる日を設定すること。
重要なのは、「未完了の定義をどんどん小さくしていっても良い」という点だ。
タスクを完璧に終わらせなくてもいい。
その代わりに、「手を付けたらOK」などというように完了の定義を拡大、すなわちゆるくするのだ。
あるいはとりあえずタスクリストから消してしまうという方法でもいい。
つまりゴールポストを自在に動かしてしまうのである。
どうしても完全に完了しなければならないタスクは、時間を決めて集中してやるしかない。
すなわちこの「機械的完了日」は、私たちを生産性の負債から救い出し、喜んでいいはずの成功を一種の罰に変えてしまう悪循環を断ち切るための有効な手段となるのだ。
アクション9. 「3時間の聖域と緩やかな午後」
通常、普通の人間が知的労働を効率に行える時間について、バークマンは1日3〜4時間がベストであると主張する。
この知見を、タスク管理システムに組み込む。
まず、状況が許す範囲で、毎日3〜4時間の「聖域」の時間を確保し、その間は誰にも邪魔されないようにする。
この聖域の時間は、「この時間がきたらとにかくやる」というルールを適用し、集中して取り組む。
それ以外の時間は、無理に計画的に過ごそうとせず、日々の雑多な混乱を受け入れることにするのだ。
丸一日すべてを計画的に過ごそうとして、結果そうならないことに落ち込むという悪癖は、そもそもそれが不可能なことを認識していなかったためである。
邪魔は絶対に入るのだ。
この前提で、自分の時間の半分を計画的に、残り半分は邪魔が入っていいように緩い計画を立てる。
邪魔を遠ざけようとするよりも、邪魔が入るのを許容した方が、実はうまくいく。
この懐の広い開かれた意識こそ、豊かな創造性につながるのだ。

終章:不完全なままで、今ここにある人生を生きる
いつだって問題はある
不完全主義の核心は、この短くも深遠な一文に集約されている。
「問題がすっかりなくなる日なんてない。だから、問題をなくそうと、必死に奮闘しなくてもいい」
私たちは、目標を達成するまで、人生の楽しみをお預けにする必要はない。
夢を叶えてから楽しう生き始めるのではなく、夢を追いながら人生を存分に生きればいいのだ。
手放すべきは、計画そのものではなく、計画が実現するまでは人生を楽しめないという思い込みなのである。
「今あるこれが人生だ。これが最終的な本番なのだ」
という事実から導かれる結論は、心の安定を目指して努力すべきではないということである。
事態は逆で、心の安定をゴールではなく出発点に置く必要がある。
まず現状を受け入れ、不完全なままで心の安定を手に入れられると考えるのだ。
だが「不完全主義」もまた完璧には実行できない
私たちは、完全主義は人間には不可能だと知った。
そして、皮肉なことに、不完全主義もまた完璧には実行できないという事実がある。
私たちは、背負いきれない荷を下ろしても、気がつけばまた背負っている。
それでいいのである。
重要なのは、そのたびに荷を下ろせばいいという自覚を持つことだ。
不完全なままで、まずは一歩踏み出そう
不完全主義が私たちに残す最終的な教えは、余計なことは考えず、とりあえず何かやってみろ、ということである。
私たちに無駄な戦いから降りていいのだ。
何も克服できなくても、そのままで人生を生きていい。
まっさらなスタートという幻想を捨てて、今できる大事なことを一つだけやってみる。
そんな小さな行動が、不完全な人生に共鳴を引き起こす。
この記事で紹介した9つのアクションプランは、その一歩を踏み出すための地図である。
完璧を目指すのではなく、ただ今日、その地図から「お品書き」を一つ選んで実行する。
人生という旅は常に努力と困難を伴うが、不完全なままであっても、取り組むべきは今ここにある現実だけである。
背負いきれない荷はおろしてしまおう。
気がつけばまた背負っているだろうが、そのたびに、もう一度、荷を下ろせばいい。
ただそれだけだ。
