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読書感想文(あるいは反省文) 「不完全主義」 オリバー・バーグマン 1/3

序章:この記事はある意味、私の反省文である


生産性向上を追い求めるあまり、かえって時間が足りない……
という矛盾に陥ってはいないだろうか。

そう、これは自称ライフハッカーである私の話だ。

これは「効率化の罠」と呼ばれる現象である。
時間術を極めようとすればするほど、時間がないという感覚が強まるという逆説的な結果を生み出す。
効率的にタスクをこなせるようになればなるほど、やるべきこととストレスは以前より増えていくのだ。

成功者であっても、その内面は同じ不安を抱えているという。
「成功者の大半は、生産性に縛り付けられた、不安障害の塊」という言葉があるが、これは現代の苦悩を象徴している。

また、周囲が完璧な知識を持っているのに、自分だけはどこか足りないという不安を抱くインポスター症候群も、この生産性信仰の影として存在する。
本当は能力がないのにできるふりをして、周囲を騙しているという感覚に、多くの人が密かに苦しんでいるのだ。

ライフをハックする男こと私自身も、よりよい理想の生活が実現可能だと信じて日々学んだり計画を立てたり実行したりしてきた。
だが現実はうまくいかないことのほうが多く、それを努力不足、能力不足だと自らを責めることも多々あった。

私たちは、いつか来るはずの「人生が順調に進む日」を追い求め、人生の主導権を握ろうと絶え間ない努力を続けている。
しかし、この努力こそが、かえって人生から生きている実感を奪い去っているのではないだろうか。

生産性オタクとして新しいライフハックを見つけても、三日と続かないのは、本書で引用される社会学者ハルムート・ローザの言である「現実はもっと制御可能になり得るし、そうなるべきだという現代人の誤った信念」に囚われているからだ。

この重苦しさから心を自由に解き放つ鍵、それがオリバー・バークマンが提唱する「不完全主義」である。


不完全主義とは、人生の困難を完璧に解決しなくても良いのだと認めること

から始まる、根本的なパラダイムシフトである。
これは、自身の有限性を受け入れ、すべてをコントロールしようという隠れた目論見を手放した先に待っている変化の物語だ。

人生はコントロールできず予測不能、だからこそ面白いのだという根本的な視点の転換。
不完全主義は、何かと世知辛い現実を前向きに受け入れ、今を生きるための積極的な哲学となりうるだろうか。

この記事ではそれを考察していく。



第一章:絶望の哲学—理想の人生は永遠に来ない


「完璧な人生」という幻想の終わり


私たちが日々を忙殺され、それでもなお生産性向上を目指す根底には、一つの根深い幻想が存在する。

「うまくやれば、解決策さえ見つかれば、人生が順調に進み始める」

という希望に似た幻想である。

私たちは、いつかやるべきことがすっきり片付き、心機一転新たな人生を始められる日が来ると信じている。
しかし、オリバー・バークマンは、この幻想を冷徹に否定するのだ。
そんな日は、永遠にやってこないのだ、と。

私たちは理想を追い求めながらも、その過程でこんな疑惑に囚われる瞬間が数多くあるはずだ。

「こうなりたいと思い描いた人生は、この先もずっと手に入らないのではないか」

バークマンは、その問いに対し、逆転の鍵となる恐ろしい答えを突きつける。

「YES、そんなものは絶対に手に入りらない」

この「絶望的な」事実を認めることこそが、不完全主義の第一歩であり、現状から抜け出すための逆転の鍵である。

私たちは、理想の生活という名の蜃気楼を追い続ける努力こそが、自分を苦しめている元凶だと気づくべきなのだ。

私自身も、この感覚は頭では理解できるものの、実際にその「理想」とどう付き合っていけばいいのかという問題に、現在進行形で直面している。

理想の生活、理想の人生を完全に忘れ去るのが最良なのか、それとも、たまにダメ元でなにか行動を起こす程度に留めるのが賢明なのか。
「理想の生活が実現可能だと思っているから努力している」という私の根幹を、この問いは揺さぶる。

しかし、この矛盾を抱え続けることこそが、不完全主義の核心であり、次の行動へとつながるエネルギーとなるのだという。

なぜなら、完全に諦められないからこそ、私たちは「不完全な状態での挑戦」を続けるしかないからだ。

タスクリストは「無限」であるという現実


私たちは、タスクを処理すればするほど、リストが短くなるどころか逆に増えていく、というパラドックスに日常的に直面している。

この問題に対し、不完全主義はさらに冷徹な事実を突きつけるのだ。
私たちが絶対にやるべき仕事や雑用のリストは、単に膨大なのではない。
それは「無限」に増殖するのだと。

テクノロジーや効率化ツールが進化するほど、私たちの視野は広がり、関心は広がり、社会からの要求も増え続ける。
タスクリストは、私たちが人生をかけても終わらせることはできない、宇宙のように際限のない存在なのである。

したがって、タスクリストを終わらせるのは、困難なのではなく、不可能である。
私たちは、この冷徹な事実をまず受け入れなければならない。


これは私の経験上においても、これは極めて切実な問題だ。
タスクリストがきれいさっぱり完了することはまず不可能となんとなくわかっていながらも、このリストがないと次に何をすべきかわからず身動きができないという現実がある。
やるべきことを一つも達成しないわけにはいかないからだ。

私たちはタスクリスト、すなわちやるべきことリストを捨てられない。
不完全主義は「このリストを全部完了させるのは不可能という現実を引き受けるしかない」という結論付けている。

リストを完全に消し去るのではなく、その本質を理解し、その無限性を引き受けること。
この認識こそが、私たちが生産性の負債から逃れるための唯一の道となる。


この「無限性を引き受ける」という言葉を私は、「諦める」と言い換えたい。
現実を受け入れたうえで「諦める」のは、ポジティブな行為だと私は考えるからだ。


「廃墟の真ん中で遊ぶ」という境地


理想の人生は手に入らず、タスクリストは無限である。
この「絶望」を受け入れた先に現れるのが、「廃墟の真ん中で遊ぶ」という境地である。

NYTのコラムニストであるサシャ・チェイピンが提唱するこの考えは、自分を取り巻いているのがもう修復できないガラクタの世界であるということを認めることだ。
すべてが完璧には程遠く、しかも崩壊しているかもしれない。

しかし、この修復不能な人生を、それでも「やっていくしかない」という爽快な気づきがそこにはある。


私見として、この「廃墟の真ん中で遊ぶ」というイメージには、実に腑に落ちるものがあった。
まさに肩の力が抜けるような開放感がある。

だが同時に、「本当に廃墟のままでいいのか?」という疑問も湧いてくる。
不完全主義は、努力や創造を放棄しろと言っているわけではないはずだ。

この疑問こそが、不完全主義の誤解を解く鍵となる。
不完全主義は、すべてを簡単に諦めて怠惰に過ごせというニヒリズムではない。

私たちは、良い人生を送るためには、果敢に行動し、新たなものを生み出し、他者に影響を与えることも必要だと知っている。
不完全主義が手放せと言っているのは、それらの行動自体ではなく、

「人生の全てをコントロールしようという隠れた目論見」

である。

「人生を廃墟のままにしておいていいのか?」という問いへの答えは、「廃墟を完璧に修復しようとするな」だ。

努力の方向性を、「無限のタスクリストをゼロにすること」や「到達不可能な理想を完璧に実現すること」から、「今ここにある現実の中で、不完全なまま最も価値ある行動を選ぶこと」へと変える。

これが、不完全主義が示す、前向きな「努力の方向性の転換」である。
私たちは修復できないガラクタの世界で、それでもなお、果敢に遊び、創造し続けることができるはずなのだ。



以下次号。



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