読書感想文(あるいは反省文) 「不完全主義」 オリバー・バーグマン 2/3
はい、前回からの続きです。
第二章:行動原理の転換—不完全な行動の起こし方とトレードオフ
「やれる人になる」から「やった人」になる
「効率化の罠」にハマる人は、常に「やれる人になる」ための準備期間を設けようとする。
私たちは「やりたいことはいつか完璧な自分になったらやろう」と先延ばしをするのである。
例えば、瞑想をしたいのならばただ瞑想をやればいいのに、なぜか瞑想家になる準備(座る場所の確保や瞑想用音楽のプレイリスト作成など)に勤しんでしまうのだ。
この先延ばしの最たる例が「事業家になるための長期的な自己変革プロジェクト」であると著者は言う。
つまり長期的な勉強や念入りな事前調査ばかりに時間を掛けてしまうということ。
なぜなら、このような長期計画は、肝心の怖いこと、つまり「実際に事業を始める」という行動に手をつけなくて済むための、自分への巧妙な言い訳になるからだ。
私自身の経験からも、この事実は裏付けられる。
文章の書ける人間、音楽ができる人間など、理想の自分を追い求めてきたが、状況が志す前よりわずかでも良くなったのは、それらの準備や能力が整ったからではない。
単純に、文章書きや弾き語りを「やったから」だった。
今後、私たちはこの事実に自覚的になり、「やれる人になる」という不必要な目標を捨て、「やった人」になることを目指すべきである。
限りある時間をまずまず悪くない方向性で使うために、今日何か一つ、わずか十五分でいいから、そのことに手をつける。
最善を尽くさなくてはならないと考えず、不完全なままで一歩を踏み出すことが重要なのだ。
トレードオフを受け入れ、代償を支払う
経済学者トーマス・ソウェルは、「解決策などない。トレードオフがあるだけ」だと述べた。
これは人生における選択すべてに当てはまる真実である。
私たちは何かを選択するたびに、何かを諦めている。
しかし、その諦めを「代償」として正面から受け入れることを避けているのが常だ。
何かを「しなくてはならない」という状況は、実は「それをしなかった場合の代償を払いたくない」と言っているのと同じなのである。
「その結果を引き受けさえすれば、何をどうしようと自由なのだ」
という言葉も紹介されていた。
私たちは、その代償を引き受ける自由と責任から目を背けている。
選択を迫られたときに問うべきは二つだけだ。
その代償は何か?
それを支払う価値はあるか?
たいていの代償は、「だから何?」と開き直ることで、簡単に受け入れることができるというのが著者の意見だ。
しかし、このことをあまり真に受けすぎると、自分の怠惰さ、いい加減さ故に生活が崩壊しかねない」という恐怖感も現実として存在する。
これは、自由であることのめまいがするような責任に直面したくないという、ジャン=ポール・サルトルが言う「密かな慰め」に逃げ込んでいる状態なのだという。
この恐怖感を緩和するため、まずは小さな選択から、結果を引き受ける訓練を始めるべきだろう。
選択した結果と、他の選択肢を除外した結果を同時に引き受ける。
この覚悟を持つことで、私たちは一歩ずつ、自由の責任に慣れていくことができる。
個人的には「これを選んだんだから仕方がない」「あれを選ばなかったんだからしょうがない」とさっと諦めて前に進むこと、と言い換えられると思う。
未来のことは、未来に任せる
私たちは、未来をなんとかコントロールしようと、過度に計画を立て、焦りを感じる。
しかし、ストア派の哲学者マルクス・アウレリウスは『自省録』の中で、「未来に怯えるな。いざとなれば、今使っている理性という武器で同じく立ち向かえばいいだけ」だと諭した。
未来を完全に予測し、完璧に計画しようと焦るよりも、困難が訪れても対処できるという自信をこそ培うべきである。
私たちはいつだって、ただ次の瞬間だけを考えればいい。
「ということは常に『勉強』が必要ということか」と思われる人もいるかも知れない。
私もその一人だ。
だがここで言う「勉強」は、無限の知識を詰め込むことではない。
それは、困難が訪れた際に、すぐに対処法を「調べられる」スキルや、目の前の事態を論理的に分析する「理性」を指している。
情報が無限に入手できるかのような錯覚に陥る現代においても、当然すべてを得ることは不可能である。
必要なのは、なんでもかんでも知識を蓄えたいという衝動に抗い、今この瞬間に必要な情報を、目の前の奔流からすくい取る感覚だ。
未来のことは未来に任せ、今この瞬間に、不完全な状況下で、理性という武器を使って対処できる能力を信頼することこそが重要なのだ。
第三章:実践!肩の荷を降ろす「不完全主義」の9つのアクションプラン
「完璧な人生は手に入らない」という哲学的な絶望を受け入れたなら、次はその絶望を出発点として、具体的な行動原理へと転換させる段階に入る。
不完全主義が単なる諦めの思想でないことは、この実践的なアクションプランの多さから明らかになる。
ここでは、本書から得られた知見と私の経験と知識を基に作成した9つのアクションを、【心構え】【行動】【管理】の三つのテーマに分けて解説する。
これらは、肩の荷を物理的、心理的に下ろすための具体的なツールとなるだろう。

A. 心の安定を出発点にする 【心構え】
心の安定をゴールではなく出発点に置く。
これが不完全主義の中心となる考え方である。
環境を整えたり、邪魔な雑用をすべて片付けてから安定を手に入れようとする態度は逆効果となる。
なぜなら、何度も書いている通り、片付けるべきタスクは事実上、無限だから。
まずは現状を受け入れ、今のままでも心の安定は手に入るという認識を持つのである。
アクション1. 「夢の棚卸し」と別管理
私たちが苦しむ大きな原因の一つは、「理想の完璧な人生」が実現可能だという誤った信念である。
この幻想は、努力の原動力となりつつも、現実がうまくいかない時の「努力不足、能力不足」という自己否定へとつながり、苦しみの源となる。
そこで実践すべきは、「夢の棚卸し」と「別管理」だ。
まず、「こうなりたいと思い描いた人生」の要素を全て書き出す。
そして、そのリストに対し、「この理想は永遠に手に入らない幻想である」という現実を確認する。
次に、このリストを「元理想リスト」として隔離する。
これは、理想を完全に忘れ去ることを意味しない。
完全に忘れる必要はない。
理想を追いかけることは人生を存分に楽しむための優れた方法の一つであるからだ。
手放すべきは、その計画が実現するまでは人生を楽しめないという思い込みの方である。
隔離されたリストは、エネルギーを奪われる対象ではなく、「たまにダメ元で行動を起こす程度で良いもの」へとその性質を変える。
私たちは、理想が実現しなくても、今この瞬間の人生を存分に生きればいいのだから。
アクション2. 「代償の棚卸し」で開き直る
「これをしなくてはならない」という強迫観念は、その結果を引き受けたくないという密かな逃げである。この思い込みは、自由であることの責任から逃れるための「密かな慰め」にすぎない。
この慰めを打ち破るために行うのが、「代償の棚卸し」である。
まず、「これをしなければどうなるか」の結果を恐れているタスク、特に仕事や家事など生活が崩壊しかねないという恐怖を伴うものを一つ選ぶ。次に、それをやらなかった場合の代償を具体的に書き出し、自らに問いかける。
「その代償は何か。それを支払う価値はあるか」
たいていの代償は、突き詰めて考えれば「だから何?」と開き直れば済むレベルのものである。
ただし、怠惰な自分にとって「真に受けすぎると生活が崩壊しかねない恐怖」も現実としてある。
そのため、まずは小さな選択からこの訓練を始めるべきだ。
選択した結果と、他の選択肢を除外した結果を同時に引き受ける。
このシンプルな選択の責任を自覚する訓練こそが、私たちにめまいがするような自由を与え、行動を身軽にするのだ。
アクション3. 「楽しもうと頑張らない」一期一会の精神
私は旅行やイベントといったものがあまり好きではない。
いけばいったで、やればやったで楽しめることは楽しめるのだが、感じるストレスの方が微妙に大きいと感じてしまう。
このように楽しいはずの体験にストレスを感じる傾向は、決して私だけのものではないというこの本からの情報は、驚きと同時に安心を与えてくれた。
うまくいった体験を「失うまい」として、逆にそれが苦痛になるパラドックスは、多くの人が抱える傾向だというのだ。
言うまでもなく体験は大事だ。
だが体験ばかりを溜め込もうとする態度、つまりイベント中のあらゆることを動画に、静止画に、そして脳内に刻み込もうと必死になることには意味がない。
この「体験をため込む意味がない」という問題に対処するのが、「楽しもうと頑張らない」という姿勢である。
茶道における「一期一会」の考え方を採用するのだ。
すなわち、移ろいゆく時の儚さが体験の価値を生み出すという考え方だ。
楽しもうと頑張らなくてもいいし、今この瞬間に感謝しようと意識する必要もない。
体験から何かを得ようと頑張らない方が、おのずから没頭でき、その場にいる人たちと深くつながることができる。
知識を蓄えなければという衝動に対しても、同じことが言える。
読書の目的は道に情報を詰め込むことではなく、読書を通じて自分が変容したり、感性が培われることにある。
楽しもう、学ぼうと頑張らず、ただ目の前の体験に、今この瞬間を楽しむために必要なものとして、開かれた意識で注意を向けるべきなのだ。

以下次号。最終回。
