『裸の聖書』55. 初期キリスト教の百の分派から無原罪の御宿りの教義まで -1
こんにちは、もんぱちです❣
真実を知る手がかりの一助として、『裸の聖書』を翻訳し拡散しています
宗教って昔から政治的な生臭さが絶えない
神と民の間に立つといわれる聖職者
神だと思っている存在が神じゃなかったら?
神だと思っている存在が強大な力を持つ支配者だったら?
宗教間で信仰の違いから虐殺ってどう考えても政治的
聖職者を聖人と呼ぶのは、無理があるよね?
前回の記事はこちら↓↓↓
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初期キリスト教の百の分派から無原罪の御宿りの教義まで -1
今日でもなお、一部の信者がカトリックの『無原罪の御宿り』の教義を、マリアがイエスを処女懐胎したことと誤解している可能性はあるのだろうか?
この疑う余地のない『信仰の真理』の導入は、実は疑惑の原罪に関係している。ローマ教会によれば、実際、すべての人間はアダムとイブから受け継いだ汚れをもってこの世に生を受ける。そして、キリストの母だけは生まれたときからその汚れを持たなかったとされる。メシアの地上での使命のために、神は処女マリアを『罪のない聖なる器』とし、唯一の神の子が人となった者を『ふさわしく完全な状態で子宮に宿す』ことを望んだとされている。
言及されている出来事は2千年前にさかのぼるが、マリアに関する教義はごく最近のもので、1854年12月8日にピウス9世によって教皇勅書『イネファビリス・デウス』によって初めて宣言されたものだ。

それ以前は、聖母の懐胎は決して『無原罪』とはされていなかった。
この教義が導入されてから4年後、いわゆるルルドの奇跡的な出現の報告があった。『小さな』女性の姿が、若い文盲の少女ベルナデット・スビルーに洞窟で現れた。
彼女は『わたしは無原罪の御宿りである』と名乗ったとされている。
マウロ・ビグリーノはこの話に異議を唱える。彼は、歴史的資料に基づき、14歳のベルナデットがその姿を指すのにオック語の『アケロ』(文字通り『そのもの』)という言葉を使用していたと強調する。
無原罪の御宿り?
何というタイミングだろう!その教義がちょうど定められた直後の出来事だ。
よく知られているように、この話が引き起こした騒動によって、若きベルナデットはネヴェールの修道院に身を隠し、わずか35歳で亡くなった。
彼女の言葉が新しいマリア崇敬を発展させるために適切に『修正』されたのではないかという強い疑いがある。

福音書では、ナザレのマリア(あるいはガマラのマリア)はほとんど言及されていない。彼女が『神の母』の地位に高められるには、431年のエフェソス公会議まで待たねばならない。
その瞬間から、ピウス9世による教義の宣言まで、1500年もの歳月が経過した。
ビグリーノの立場は明確である。創世記に原罪が存在しないのであれば、無原罪の御宿りの教義を宣言によって定める必要が一体どこにあったというのか?
多くの神学者も、今回ばかりはビグリーノに同意している。少なくとも、2016年にミラノで開催された4時間以上に及ぶ円卓会議の参加者の多くは、ビグリーノに同意した。要約すれば、教義によってわたしたちに提示された原罪は、聖書には何の根拠もないという点で彼らは一致した。エルサレムのフランス聖書学校のドミニコ会の釈義によれば、アダム人は罰としてガン・エデンから追放されたのではなく、むしろ予防措置として追放されたという。つまり、罪を犯したからではなく、彼らが独立して子孫を増やす方法を発見したことから、時間の経過とともに問題となり、管理が難しくなることを恐れたからである。
しかし、こうした開かれた現代神学の認識は、伝統的な宗教指導者の牙城とはまったく別のものである。
その歴史的な深みも本質も、漫然と眺めているだけでは捉えることはできない。こうした信仰は時間をかけて積み重なり、徐々に公式化されてきたものだ。たとえば、いわゆる死後の世界など、完全な捏造としか思えないものもある。ダンテ・アリギエーリの詩的作品は世界的に賞賛されており、わたしたちはその基礎となる古くからのカトリックの神学体系を当然のものとみなしている。しかし実際には、『神曲』の舞台となる3つの次元の1つ—中央の過渡的なもの『煉獄』—の起源はそれほど古いものではない。罪を清めるためのこの形而上学的な場所はグレゴリウス大帝の発明であり、わずかに紀元593年にさかのぼる。

「ちなみに、正教会のキリスト教徒はいまだに煉獄の存在を全く信じていない」とビグリーノは指摘する。
教会の歴史を研究している人なら、司祭の独身制が教皇グレゴリウス7世によって1079年に初めて導入されたことをよく知っている。
十字架そのものの崇敬は、わずか3世紀ほど前に始まったにすぎない。
カタリ派の人々は十字架を軽蔑していた。彼らは十字架を、恐ろしい拷問を美化するような不氣味な誇張だと考えていた。
「父を吊るしたロープを崇めるか?」というのは、彼らがカトリック教徒に挑戦するために用いた典型的な挑発の一つだった。
しかし、現代の学者はカタリ派を(異端ではあるが)立派なキリスト教徒とみなす傾向にあるが、彼らはイエス・キリストを聖書の『偉大な父』の子だと本当に信じていたのだろうか?決してそうではない。彼らにとって、ナザレと旧約聖書の神性との間には何のつながりもなかった。
13世紀初頭のアルビジョア十字軍による虐殺の後、1184年のヴェローナ会議で早くも設立された聖なる異端審問所は、カタリ派の絶滅を確実にした。彼らの二元論的異端はヨーロッパ全土に広がり、バチカンの道徳的かつ現世的な権力を脅かす危険性があった。
カタリ派は旧約聖書の神学的枠組みに正面から攻撃を仕掛け、その全てを否定した。
どの『父なる神』を指すのか?聖書の節からは、カトリックの全能かつ全知の主、天と地の創造者と、暗くアーリマン的な起源を持つ『異邦の神』の両方が浮かび上がる。
カタリ派にとって、天の父は旧約聖書には全く存在しなかった。
では、イェホシュア・ベン・ユセフ(イエス)とは誰の子だったのか。
中世の異端の語り手たちは、『もし彼が十字架上で死んだなら、彼は神ではなかった』としばしば繰り返したが、これはアリウス司教が以前に唱えた偉大な異端であり、それによれば、子の神性は父のそれよりも本質的に劣っていたのだ。
「キリストは十字架で死んだのではなく、ただそのように見えただけだ」と、中世のドケティズム(ギリシャ語で「見える」という意味)の信者は主張した。彼らはカルヴァリでの死が偽装だったと考えた。

これらの矛盾した信仰は、2つの点を物語っている:それは、ヨーロッパ・地中海の文脈におけるキリスト物語の文化的影響の大きさと、数多くの解釈の多様性が生まれたことである。
これらは単なる微妙な違い以上のものだった。380年のテッサロニカの勅令—皇帝テオドシウスがキリスト教を唯一の合法宗教と宣言した—をはるかに超えて生き延びた。
そう、だがどのキリスト教か?
ただ一つ、公式なものだけだ。それは325年、コンスタンティヌスが推進したニカイア公会議で生まれたものだった。これは、皇帝によって認定された最初の明確なローマの教義だった。
他のキリスト教はどうなったのか?
非常に多くの宗派があった。ビグリーノは、彼のエッセイ『神々と半神々』の中で、その多くの宗派を挙げている。これは彼がこれまでで唯一、ユダヤのメシア的ラビ、イェホシュア・ベン・ユセフの物語を多角的に再構築することに重点を置いた作品だ。
わたしたちは彼をあまりにも簡単にイエス・キリストと呼ぶ。古代において彼が誰であったのかはっきりしていたと当然のように考える。
それはまったく真実ではない。実際、初期のキリスト教徒は数十の宗派に分かれており、しばしば互いに激しく対立していた。

例えば、反ディコマリア派とフォティニア派にとって、イエスはヨセフとマリアの普通の息子であった。
アポリナリオス派はイエスに人間の魂があるとは信じなかった。カルポクラテス派にとって、イエスはわたしたちのような人間だったが、特別な力を持っていた。一方、モノフィシ派(単性論者)にとって、キリストの人間性は単に表面的なものだった。
これらはすべて鏡のような、あるいは相反する立場である。
ニコライ派はイエスの神性を完全に否定し、エビオナイトもまた彼の処女懐胎の信憑性を退けた。
何世紀にもわたって明らかに非常に初期の崇拝形式に結びついていた信仰には、儀式的なものも含め、無数の形があった。これらはすべて、後に真正な福音主義の理想とみなされるものにさえ従っていなかった。
415年、テオドシウスが引き起こした反異教の氣風による恥ずべきテロ的な凶暴さの中で、エジプトのアレクサンドリアの新プラトン主義学派の名高い(女性)指導者、哲学者ヒュパティアをためらうことなく虐殺したのは、キリスト教のパラバラニ僧侶たちだった。
ニカイア信条の正統教義が、初期キリスト教の多様な異端の影響をまだ完全に抑え込めていなかったことを示している。初期のキリスト教団は、ほぼすべての点で互いに激しく対立していたのだ。
最初の数世紀のホモウシアン(同質派、Homousians)にとって、父と子が同じ本質を持ち、子は父と『同質』だと信じていた。
ほぼ同じ名前の潮流であるホモイウシアン(類似本質派、Homoiousians)の信奉者たちはこれに同意しなかった。アリウス派の信奉者たちと同様、彼らは子が父に「類似」しているだけだと主張した。

しかし、アノミアンにとっては、父と子は似てもいなかった。
最も急進的な立場の一つはセベリアン・キリスト教徒のものだった。彼らは旧約聖書を否定し、キリストの復活さえも否定した。
これらすべては、宗教思想が、いったん安定した権力構造によって神学的基盤として利用されると、教義の押し付けによって結晶化することになるのだが、実際には万華鏡のように様々な信念、解釈、示唆から生じることを理解するのに役立つだろう。
福音書の主人公の伝記についてはどうだろう?
今日でいうところの「微調整」が、複雑な議論を通じて行われた。これらの熟考は数世紀にわたり続き、段階的な意思決定のプロセスを経て、主人公の決定的かつ最も衝撃的な行為—復活—の絶対的な信頼性を認める決定も含まれた。
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初期キリスト教の百の分派から
無原罪の御宿りの教義まで-2へ続く**********************************************************
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