読む人も書く人も #創作大賞感想
昨年の文フリだっただろうか。やっとお会いすることができた。…と言っても、僕は相変わらずの気後れ癖を存分に発揮して、自己紹介は終盤になったけれど。立ち上がったら、すっくと音がしそうだなと思いながら、その穏やかな表情に、この人が書いているのか…と思ったものだ。
僕の読み手としての姿勢は断続的ではあるけれど、時々読むと、ちゃんと元気がもらえる。お土産保証付きの書き手といえば、300作読む男、野やぎさんである。
おかげさまで、今年も紹介していただいた。
生活を彩る、活力をいただきます!するようなルーティン。滋味深くて、ゆったりとした時をお裾分けしてもらえるようなエッセイです。〜略〜
嬉しい。僕自身が、活力が欲しいぜ…と思って読んでいるし書いている部分もあるから、よもや与えられることができていたなんて…と感激した。その節は、ありがとうございました。
外見や主観はどうあれ、単純に年齢などで考えれば、野やぎ氏と同じ”おじさん”カテゴリに入る僕としては、この投稿は何度か読んでいる。(その割に、スキが遅くてスミマセン)わずかな時間に、言葉を決めて発さないとならないなんて、やっぱり喋るのは苦手カモ。
”ぜんぶ”シリーズでは、お試しサイトならぬ”お試し家族”総出で楽しんでいる様子が見られて良い。ノリのいい家族と、乗りたくなる企画、というわけだ。麦茶もちゃんと味が違うんだよね(当たり前)。麦茶、我が家は水出しタイプを毎日常備してるわよ。
応募期間の終盤に投稿された記事は、うっかり電車で読み始めて、これは!と気がついて画面を閉じてしまった。もっと落ち着いて、一字一句を手で拾うように読まねば、そんなふうに思った。大切な大切な、友人との記憶を分けてくれる作品。
写真の中で生きている人を思うと、涙が堪えられない。あぁ、なんてことをしてしまったのだろうという後悔も、とても苦しい。
ある時、僕の友人が久しぶりにSNSに投稿したから、「おっ!久しぶりじゃん、元気かな?」と軽いノリで読みにいったら、しばらく投稿していない間に、大切な家族が亡くなっていたという報告だったことがあった。
友人本人が亡くなったわけではないが、家族の大切さをそれこそ毎日感じている今だからこそ、その辛さや衝撃は計り知れないほど大きなものだと想像したし、それを乗り越えてきていた友人がとても強いと感じたことがあった。
自分だってそうだけれど、本当に何が起こるか分からないし、まして命の長さなんて誰にも分からないんだと、分かっているつもりで、ついつい見過ごしたふりをしているんだよなぁと、改めて感じている。
書くことで心の重さが軽くなるのだったら、それを読むことで書き手が救われるのだったら、僕は読み手であることを嬉しく思う。
300作読んだ野やぎ氏、その1%分でも読んで書くことができてよかった。
いつもありがとうございます。
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最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
いただいたチップは、モンブラン研究費用や子どものおやつ代にします(笑)