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ディズニー アトラクション物語 イッツ・ア・スモールワールド

「世界一幸せな船旅」
そんなキャッチコピーがついています、
イッツ・ア・スモールワールド!
あの独特の愛らしい世界観と
平和へのメッセージが素敵です。

このアトラクションが最初にできた場所は
意外にも、
ディズニーランドではありませんでした。
それは、1964年のニューヨーク万博。
その万博がちょっと変わった形態で
開催されたことに深く関係しています。
今回はそんなお話を記していきますね!


1964年のニューヨーク万博は
ニューヨークの権力者であり主催者である
ロバート・モーゼスが、
博覧会国際事務局(BIE)の定めたルールを
守らなかったために公式な認定がおりず、
BIE加盟国には参加の取りやめが
推奨されるかたちになってしまいました。
そのため、各パビリオンは
独自に出展してくれた国と、
あとはアメリカ中の州と民間企業で
受け持っていくことになります。

ウォルトはその、ロバート・モーゼスから
制作依頼を受けて
「これは他所のお金で
新しい技術を試せるチャンス!
あわよくば万博の終了後はディズニーランドに
もってこられないかな?」と考え、
大喜びでその依頼を受けたのだそうです!

その中で紆余曲折、ディズニーと合意し、
スポンサーになってくれたのが
この1州と3社。
①イリノイ州
②フォード・モーターカンパニー
③ゼネラル・エレクトリック
④ペプシコーラ

それぞれ
①ミスター・リンカーンとの偉大なひととき
② フォード・マジックスカイウェイ
③カルーセル・オブ・プログレス
そして、
④イッツ・ア・スモールワールド
を、作り上げたというわけ。

これは制作が決まった順。
最初は①②③のみの予定でした。
これだけでも忙しい状況です。
その後から、出展を決めたものの
内容は白紙だったペプシコーラが
ディズニーを頼って電話をかけてきたのですが、
最初にその電話を受けた部下は
ウォルトに話を通さないまま、
「既に手一杯だから無理」と
断ってしまいました。

しかしその後、ウォルトと
当時のペプシコーラの取締役、
ジョーン・クロフォード(なんと元女優さん!)が
パーティーで偶然出会し、ジョーンが
「ライドを作っていただけなくて残念ですわ」と
話しかけたことで事態が発覚。
そう、なんとあの時の電話は
ジョーンさんだったのですね。笑
それでウォルトはやっぱり、
その依頼も受けてしまったわけです!

ウォルトがスタジオのイマジニアたちに
「もうひとつ受け持ちたい」と話すと、
もうみんな白目。
「さすがにどう考えても無理です、
間に合うわけがない」と言われますが、
ウォルトは
「ここは私の会社なんだ、
なにをやるかやらないかは、私が決める!」と。
…みんな、どう思ったでしょうね?
うちのボスめちゃくちゃだなと思ったのかな。
でも、それでこそ!って思ったのかな。

そうしてペプシと正式に合意。
その時点で、万博まではもうあと9ヶ月。

ペプシは慈善事業に
たくさん貢献している会社でした。
この万博で得た利益も、
ユニセフに寄付することに決めていたのだそう。
「世界各国の子供たちが平和を歌うライド」
というテーマも、ここから着想を得たのかな?
かなり早い段階から決まっていたみたいです。

一番の要、お人形の監修に抜擢されたのは
メアリー・ブレア!
メアリーは不思議の国のアリスや
ピーターパンなどの
コンセプトアート(映画の雰囲気を決めるためのイラスト)を担当していた女性。
その絵本のような愛らしい作風から、
ウォルトに抜擢されました。
当時既に退職していたのに
呼び戻してまでのご指名だったそうですよ!

そしてそのお人形のたちの衣装を担当したのは
アリス・デイヴィス。
彼女はオーロラ姫のドレスなど、
衣装デザインを担当してきたデザイナー。
世界中の民族衣装を調べ、
本物と同じ布を取り寄せ、
忠実に仕上げたそうです。

それからそれから…
忘れてはいけないのは、あの歌!!
タイトルがそのままアトラクション名になった、「イッツ・ア・スモールワールド」です。
この曲はシャーマン兄弟という
ディズニー専属の音楽家兄弟が
作ってくれました。
メリー・ポピンズの音楽なども
手がけた人たちですね。

最初のアイデアとしては、
各国の国歌を流すことになっていたのですが
それがなんとも最悪だったそうで。笑
建物の中で全ての歌が反響してしまい、
イマジニアいわく
「ただの騒音だった」。笑
そこでウォルトが
「各国の言葉に翻訳しやすい、
シンプルで覚えやすい曲」という注文で
シャーマン兄弟に頼んだ結果、
この曲に仕上がりました。

流石に水路とボートについては
アロー・ディベロップメントという
遊園地のライド作りに特化した会社に
外注していますが
そちらもなかなか、
苦労して仕上げてくれたみたいです。
だって、なんせ前例がない。
国道101沿いに実物大の模型を作って
シュミレーションしたんだとか。

そんなこんなでなんとか間に合った
ニューヨーク万博!
結果はちゃんと大成功しました。
演出、クオリティもさることながら
一時間に3000人以上のお客さんを捌ける
回転率も画期的でした。
当時としては異例の数だったそうですよ。

さて。万博で成功をおさめたなら、
ここからがウォルトのお待ちかね、
ディズニーランドのアトラクションとして
お迎えすること!!
東海岸から西海岸へ、みんなで凱旋です。

ここで新しく課題になったのは、
アトラクションの外観。
万博ではペプシの看板のついた
シンプルな白い箱、
入り口に"風の塔"と呼ばれるモニュメントが
あるだけでしたが、
パークではそうはいきません。
ここでまた呼ばれたメアリー・ブレア。
そうして彼女は、
正面に不思議なお顔が揺れる、
世界中の建物が幾何学模様でデザインされた
あのアイコニックな外観を、提案します。

ところがウォルトは最初、
この案があまり気に入らなかったようで
(どうしてでしょうね?
調べたけどわかりませんでした。)
「何か別の案を試してみない?」と
言ったそうです。
ウォルトのこの言い方は、即ち殆ど
「気に入ってない」という意味だったそうで。
するとメアリーは
あっさり退職してしまったそうです。本当に。
二度目の退職でしたが、
今度はもう二度と戻らなかったそうです。
(これも…どうしてでしょうね。)

その後、外観はどうなったかというと
結局このデザインを採用し、
ローリー・クランプという、万博会場前の
風の塔をデザインしていた方が引き継ぎ、
からくり時計の要素を足して
完成させました。

こうしてようやく、現在に続く
イッツ・ア・スモールワールドとして
1966年にオープンとなったわけです!!

ちなみに、①②③のアトラクションについても
①はアナハイムのパーク、
②はアナハイムを経てフロリダのパーク、
③も断片的にですがアナハイムのパークに
現在でも、残っています!

きっと、制作の現場は
しっちゃかめっちゃかだったんだと思います。
その間パークは殆どほったらかしだったし、
スタジオの中だって、
もはや作ったものを置いておく場所もなく
できたものは天井に吊るして
保管していたそうです。
聞く分には面白いですが、
実際に想像したらカオスですよね。笑

でもその分ちゃーんと結果を出してくるのが、
ウォルトのすっごいところ!
全ては彼の目論んだ通り。
万博期間どころか、その後何十年も
世界中の人々を楽しませ続けているんだもの。


そんなディズニーの歴史が詰まった
イッツ・ア・スモールワールド。

可愛いだけじゃないよ!
癒されるだけじゃないよ!
いや、そんな風に、
素直に楽しむのも良いけどね。
背景を考えるとまた、一層親しみが湧いて
愛着が増す気持ちがしています。

そして少し飛躍しますが…
世界情勢が激しく揺らぐ状況にある現在。

あのアトラクションが歌うように、
綺麗事だけでは回らない世界だけど
少しでも良い方向に向かいますように。
It's a small world after all
"結局、小さな世界なんだから!"


読んでくれてありがとう!
良かったら、こちらもどうぞ。

「ディズニーアトラクション物語 カリブの海賊」
↑今回と同じ要領でカリブの海賊についても書いています!

「ウォルトとレモンパイ(レシピ付き)
↑ウォルトさんが好きだったレモンパイのお話。

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