昭和、男もつらかった 40 人当たりのいい子供

 昭和初期、鹿児島の農村で生れ、農民としてこの地で82歳の生涯を全うした二夫(つぎお。父)の物語である。

 一人っ子で、近所のいとこや地域の「兄(あん)さん」たちにくっついていた二夫は、昭和9(1934)年の春尋常小学校(小学校)へ上がった。二夫が通った学校の沿革当時の学制などについて述べ(調べ)、学校生活のイメージの手がかりを得ようとしてきたが、二夫を中心とする児童たちの輪郭ははっきりしないままだ。

 が、前項で述べたおり当時は男女別クラスだった。男児だけのクラスはさぞ元気があっただろう。そんな中で二夫はどんな子供だったのだろうか。

 娘の二三四(わたし)が知る限り、大人になってから――正確には父親になり娘が物心ついてから――の二夫は、ものすごく簡単に言えば、外面(そとづら)がよかった。誰に対してもにこやか、というより人懐こく、おしゃべりが好きで、人が喜ぶことが大好きだった。

 人の性質は子供の頃と基本的には変わらないはずだ。自分の子供時代を振り返れば、多くの「大人」はこれに同意するだろう。二三四ももちろんそうだ。そして二三四は二夫、つまり父親との共通点をずっと感じてきたから――それは往々にして疎ましくもあった――、二夫が「どんな子供だったか」は、二三四自身の子供時代を思い出せばかなり想像できるのだ。

 二夫の「人が好き」な性質は、一人っ子だったことと切り離せないだろう。周囲は常に、大人か自分より年上の子供ばかり。その中では大事にされただろう。大人の言動を観察し、年上のいとこや「兄さん」たちの失敗や成功の事例を学べば、「どうすれば嫌われないか」「失敗しないですむか」の対策は子供なりに立てられる。つまり、対人関係において器用になるのだ。

 勉学においてもそうだっただろう。勉学は「31 文字を覚える」で述べたようにいとこたちの教科書を借りて学習内容を「先取り」できた。初等教育程度なら、クラスの中でも相当「できる」子供だっただろう。

 そうやって、人当たりがよく、勉強ができる男子児童ができあがっていったはずだ。そしてそのことは、高齢出産で一人息子を産み、育てている母親のハル(祖母)にとっては、このうえない誇りだったことも想像に難くない。

 もっとも、二三四の性格が二夫に似ているとしても、男女の違い、跡継ぎの一人息子と「いずれ嫁に出る(とされた)ふたり兄妹の下」の違いなど、相違点も多々ある。二三四が測り知れない懊悩も、喜びもあっただろう。

 その辺りを少しでも掘り下げられないかと思ったのも、この「昭和、男もつらかった」を綴っている動機のひとつである。

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