昭和、男もつらかった 36 昭和初期の学制
昭和初期、鹿児島の農村で生れ、農民としてこの地で82歳の生涯を全うした二夫(つぎお。父)の物語である。
二夫が尋常小学校(以下、小学校)へ上がる頃まで話が進んだところで、当時の学校教育全体の制度はどんなものだったかを確認してみたい。
図は文部科学省ホームページの「学制系統図」から転載した。「大正8年」とあるが、その次は戦時中の昭和19年、その前は明治41年なので、二夫が小学校へ入学した当時の学制は基本的に本図に基づいているはずだ。

図の通り「尋常小学校」の前には幼稚園があり、状況によっては3年制だ。この場合の「状況」とは親の経済力、教育への考え方などだが、そもそも幼稚園などない地域も多く、二夫たちが育った町に幼稚園がなかったことは「27 幼少期③」で述べたとおりである。
義務教育期間は6年。その先どうするかは、本人の希望や能力もあっただろうが、多くの庶民の家庭では「さらに学費が出せるかどうか」あるいは「より高等な教育の必要を親が認めるかどうか」で決まった。そして、多くの子供は義務教育を受けただけで社会へ巣立っていく――というのが庶民層での常だった。
いずれにせよ、小学校を出てからどうするか、どうなるかなど、入学したばかりの二夫には到底あずかり知らぬことであった。
《図出所》文部科学省>白書・統計・出版物>白書>学制百年史資料編>学校系統図(第6図)
