昭和、男もつらかった 27 幼少期③
(「幼少期」②より直接続く)
昭和初期の鹿児島の農村地帯。昭和3(1928)年生れの二夫(つぎお。父)を含む一帯の子供たちの過ごし方について述べた(①、②)が、疑問に思う読者もいるかもしれない。
子どもたちは幼稚園(あるいは保育園)には通わなかったのか?
答えは明確に「通わなかった」である。なぜなら「幼稚園はなかった」からだ。
二夫が育った小さな町、「平成の大合併」で市となる前の町・市来町(いちきちょう)に幼稚園ができたのは昭和40(1965)年のはずだ。この物語を書いている二夫の娘・二三四(わたし)が生まれた数年あとのことだ。。
あくまで「はず」なのだがわりとはっきり言えるのは、その年に町立の幼稚園が開設され、二夫の長男、つまり二三四の兄・カズアキが「初めての幼稚園児たち」として入園したのだ、とあとあとまで聞かされたからである。
幼稚園は当初年長組だけの1年制で、二三四が入園する昭和42(1967)年に年少クラス(いまなら年中クラスに相当)ができて2年制になり、二三四は初代の「年少さん」として入園した。年少クラスに「まで」通う子供はまだ少なく、年長クラスに上がったとき一気に「おともだち」の数が増えたものだった。
二三四自身の体験で言えば、ずっとあとになってツレのお父さんが戦前にちゃんと幼稚園に通っていたと聞かされてとても驚いた。この人は東海地方の県庁所在地で昭和5(1930)年に生まれたのだが、「うち」の町では昭和40年代にやっと幼稚園ができたのに、戦前庶民の子供が幼稚園にふつうに通っていたなんて、とびっくりしたのだ。
つまり二夫のふるさと(二三四のふるさとでもある)は、戦前はもちろん戦後にかけてもそれほど幼児教育が進んでいなかった地域だったのだ。
ちなみに旧町立(現市立)市来幼稚園の公式サイト(と言っても市のサイトの一部)を調べても、その他の幼稚園関係のサイトを見ても、「沿革」に相当する情報は皆無で、いつ頃創設されどんな歴史があるのかがまったくわからない。こういう面を見ると、幼児教育を重要視しているとはちょっと思えない、と二三四は少し寂しくもある。
