昭和、男もつらかった 55 野良から帰る

 昭和初期、鹿児島の農村で生れ、農民としてこの地で82歳の生涯を全うした二夫(つぎお。父)の物語である。

 昭和15(1940)年、父親の吉太郎(祖父)の反対を母親のハル(祖母)が押し切って進学した高等小学校で二夫は元気に学ぶ一方、学校から戻るとすぐ家の田畑へ行って両親を手伝った

 当時の農業はなにごともお天道様次第、どんなに忙しくても日が暮れれば作業はそこまで。薄暮の薄明るさを頼りに未練たらしく作業を続けることもあったが、いずれ真っ暗になる。よほど月が明るいとき以外は諦めて家に帰るしかない。二夫は荷車を引き、吉太郎はそれを後ろから押して歩いて帰った。

「おっかん、いまじゃった」
(おかあちゃん、いま帰りました)
夕餉の支度のために男たちよりひと足早く帰ったハルに二夫が声をかける。
「ちゃんの足ょ洗(ある)てやらんか」
(おとうちゃんの足を洗ってあげな)
二夫は裏の井戸で水を汲み、吉太郎の足にざあざあとかけると、吉太郎はタワシ代わりに荒縄を結んだもので汚れたところを擦った。

 風呂はめったに「立て」(わかさ)ない。大量の「焚っもん」(焚くもの)つまり薪が要るからだ。べつに二夫の家だけでなく、当時の農村、に限らずおそらく都市部を含むほとんどの庶民の家では、毎日風呂に入るなどということはなかった。

 ふだんは濡れた手拭いで体を拭くだけである。吉太郎は汚れた着物を脱いで、使い込んだ手拭いで体を拭き、ふだん着――と言っても浴衣のような単衣だが――に着替えた。明日もまた田畑に出るので、汚れた着物は物干しざおに掛けて乾かすだけだ。

 二夫も吉太郎に倣う。高等小学校の理科ではときどき「衛生」について勉強した。そこには体や家の中を清潔にする必要性や、石鹸、なければ灰汁(あく)で汚れを落とす方法も教えている。学校でたまに石鹸を使うこともある。が、何につけ支出を嫌う吉太郎は石鹸を「買う」ことが気に入らない。

 二夫も水で手足を洗うが、汚れが気になるときはかまどの灰を少し掬ってこすりつけてみる。水だけよりも少しは汚れが落ちる気がした。それにこの方法は、ハルはもちろん近所の女性たちがみんな、茶渋や羽釜の汚れを落とすときやっている方法でもあった。

「あん衆(し)ゃ学校も行たちょっきゃれんて、どこで習(なる)やったたろかい」
(あの人たちは学校にも行かれてないのに、どこで習われたんだろう)
二夫は呟きながら濡れた手足を手拭いで拭った。

いいなと思ったら応援しよう!