昭和、男もつらかった 24  母親はやさしいばかりでなく…⑤

「母親はやさしいばかりでなく…」④より直接続く)
 からで述べたとおり、幼い頃の二夫(つぎお。父)はいつも母・ハル(祖母)といっしょだった。ハルは二夫にやさしいだけでなく、農作業も家の切り盛りも人並み以上、文字も読め算術もできた。

 田畑でとれた野菜や手作りの味噌醤油の行商で、ハルは家計を支えた。というより、家計はハルが稼ぐお金で回っていたと言っていい。

「食もいもんなわが家(え)ぃあっとに、おっかんはないごて、きしか目をこらえて、銭(ぜん)をば取いけ行っきゃったっどかい」
(食べるものは家にあるのに、かあちゃんはどうして、つらい思いをがまんして、お金を稼ぎに行くんだろう)

 とまでしっかり考えたかわからないが、幼い二夫はぼんやり疑問に思った。農家だから食べ物にはとりあえず困らないはず。家族がたくさんいるのにもっと狭い畑しかない家はたくさんあるのに。

 いつものようにハルが採れたての野菜を籠に載せ、もうひとつの籠には二夫を載せ、天秤棒を担ごうとしたとき二夫は訊いた。

「おっかん、また銭(ぜん)もろけ行っと?」
(かあちゃん、またお金をもらいに行くの?)
「よぉ、わいが学校ぃ上がれば、本やら帳面やらいっでね。靴(くっ)も買(こ)てやらんならよ」
(そうだよ、お前が学校に上がれば、本やらノートやらいるからね。靴も買ってやらないとね)
「ちゃんな、銭をくいやれんと?*」
(とうちゃんはお金をくれないの?)
「ちゃんのた、ぢだを買(こ)銭じゃっで*」
(とうちゃんのは、土地を買うお金だからね)

  そうか、使い道が違うと出所も違うのかな。

 二夫は両親、というか夫婦には役割分担があることをなんとなく理解した。大きなお金は男が、小さなお金は女が管理するのだ、と。もっとも大きなお金に小さなお金も含まれているのがふつうで、吉太郎とハルの場合その出所から分かれている点で、ほかのほとんどの家と大きく違っていた。

 そんな「家のことは女(妻)任せ、むしろ女が自分でなんとかやりくりすべき」という家風のようなものは、しぜんと二夫の思考様式のなかに根付いていくのだった。

*鹿児島弁。
この「ちゃんな」は本来「ちゃんは」であるが、度々述べているように短縮を好む鹿児島弁では「ちゃん」の末尾のn音が「は(わ)」の母音aに直接続いて「な」に変化している。田舎の人、子供など、語彙の少ない話者ほど短縮の傾向が強いように感じる(もちろんせっかちな人でも)。
同じく「ちゃんのた」も、本来は「ちゃんの と は」である。この場合の「と」は、人や物の代わりに使われる準体助詞だ。

《参考》鹿児島弁ネット辞典>と

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