ミシュナ『Peah』の法理体系 第2回:落ち穂(leket)の帰属を巡る境界線上の法理――通常作業の定義と「不確かなleket」におけるmaasrot(十分の一税)免除の是非
*ミシュナ「Peah」4章10~11節を精読し、leket(落ち穂)の法理を解説。「とげが刺さる」不可抗力、手の内外・鎌の内外の境界線、蟻の巣の中の穀粒の帰属先(ミシュナによる穴の中の位置基準説とエルサレム・タルムードによる色基準説)を検証。
権利を得る者に挙証責任がある原則(hamotzi mechavero alav hareaya)の例外とmaasrot免除の是非に迫る。
前回の振り返り:口伝律法ミシュナ『Peah(ペアー篇)』における救貧法理体系
前回は、口伝律法ミシュナの第1部「Zeraim(ゼライム)」に含まれる「Peah(ペアー篇)」の核心的な法理を解説した。主な内容は以下の通りである。
【1】救貧法理の三位一体構造
トーラ(レビ記・申命記)を法源とする、貧しい人々のための3つの基本原則が示されている。
①peah(ペアー)
収穫の際、畑の隅の作物を刈り取らずに立ったまま残しておく義務。なお、文字通り「隅以外は貧しい人に残してはならない」という意味ではない。
②leket(レケット)
収穫中に手から落ちた2粒以下の穀粒を、拾わずに残しておく義務。
③shichchah(シフハー)
収穫や運搬の際に、畑に忘れたり刈り忘れたりした束を取りに戻らずに残しておく義務。
【2】「尺度なき徳目」とトーラ学習の絶対性(「Peah」1章1節)
ミシュナは、トーラにおいて具体的な分量や回数が指定されていない徳目を列挙している。
①尺度がないもの
peah(ペアー)の量、bikkurim(ビックリーム)の量、三代祭りの参詣の回数、親切な行為の数、トーラ学習の程度である。
②報いと優位性
父母への敬意や親切などは「この世」と「来るべき世」の両方で報いを受けるが、トーラ学習はこれら全てを合わせたものに匹敵するほど重視される。
トーラを学んで初めて善行を正しく行えるという知性的研鑽の重視を反映しており、パウロが「世の無学な者」を選んだとするキリスト教的思想(コリントの信徒への手紙一1章27~28節)とは対照的である。
【3】peahの分量規定(「Peah」1章2節)
トーラの次元では分量が未指定であるが、ミシュナは実務的な最低義務量を定めている。
①60分の1
収穫物の少なくとも60分の1をpeahとして残さなければならない。
②配慮するべき要素
畑の大きさ、周辺の貧しい人の数、そして農夫自身の心の広さ(気前の良さ)に応じて、この割合を増やすことが推奨されている。
【4】peahの対象となる作物の5要件(「Peah」1章4節)
どのような作物にもpeahの義務が生じるわけではなく、以下の5つの条件をすべて満たす必要がある。
①食物であること
人間が日常的に食べるもの。
②守られていること
私有地で栽培されているもの(無主地は対象外)。
③土から養分を得ていること
地面に根を張るもの(キノコなどは除外)。
④一度に収穫すること
全体が同じ時期に実り、一斉に収穫するもの(時期がずれるイチジクなどは除外)。
⑤長持ちすること
長期間の保存に耐えるもの(傷みやすい野菜などは除外)。
これらの要件に該当する代表例として、穀物や豆類が挙げられる。
以上の内容に不安を感じる方は、下のリンクから確認して欲しい。
◉ミシュナ『Peah』の法理体系 第1回:レビ記・申命記の3つの救貧原則(Peah[ペアー]・leket[レケット]・shichchah[シフハー])とミシュナ『Peah』1章におけるpeahの義務対象規定
https://note.com/mishnah/n/nd54f4bac688e
leket(落ち穂)の定義と通常作業における不可抗力の除外(4章10節)
今回はその続きである。口伝律法ミシュナ「Peah」4章10節から引用する。
leketとは何であろうか?刈り入れの時に落ちてしまったものである。もし収穫している間に、ひとつかみ刈り入れ、またはひとつかみ引き抜き、とげが彼に刺さって穀粒が落ちてしまうなら、それは所有者のものである。
ここでは收穫の途中、通常の作業中に手から落ちてしまったのではなく、突然の出来事で落ちてしまった場合、それはleketに該当しないことを言っている。
具体的には「とげが彼に刺さって穀粒が落ちてしまった状況」を挙げている。この場合、地面に落ちた穀粒は所有者のものである。
以下、続きの箇所はこの視点をより明確にする。
「手の内側・鎌の内側」と「後ろ側」に見る所有権の境界線
もし手の内側から、鎌の内側からであるならば、貧しい人のものである。しかしもし手の後ろ側、鎌の後ろ側であるのなら、所有者のものである。
leketと見なされるには、通常の作業において落ちたものとならなくてはならない。「手の内側から、鎌の内側から落ちる場合」とは、下のように起きた場合である。
①農夫が片手で作物をつかむ。
②他方の手で鎌を入れる。
③手の内側、鎌の内側の刃から穂が落ちる。
このようにして落ちた穂は、通常の作業において落ちたものと見なされ、leketとして貧しい人のものになる。
他方で「手の後ろ側、鎌の後ろ側から落ちる場合」とは、例えば下のように起きた場合である。
①農夫は作物をつかんでいない。
②鎌の外側の刃があたり、穂が落ちる。
このようにして落ちた穂は、通常の作業において落ちたものと見なされず、農夫のものである。
この議論の続きは以下の通りである。
境界線上の解釈を巡るラビ・イシュマエルとラビ・アキバの対立
手の先から、鎌の先からであるなら、―ラビ・イシュマエルは言う、「貧しい人のものである。」しかしラビ・アキバは言う、「所有者のものである。」
この部分は「手の内側から、鎌の内側から落ちる場合」でもなく、「手の後ろ側、鎌の後ろ側から落ちる場合」でもない場合である。
落ち方という観点からすると、境界線から落ちているのだから、判断が分かれている。
ラビ・イシュマエルはleketと見なし、ラビ・アキバはleketとは見なさない。halachah(ハラハー)はラビ・アキバの見解である。
このような規定を見ると、「律法を守ることは形式主義である」というような批判は、場合によっては浅薄なものであることが分かる。
本箇所の掟は、所有者の権利と貧しい人の権利を画する為の規則なのである。形式主義云々を語るテーマではない。
次節に進む。
蟻の巣の穀粒帰属:ミシュナによる穴の中の位置基準説とエルサレム・タルムードによる色基準説(4章11節)
蟻の巣について、―もし穂の間にあるのなら、所有者のものである。もし刈り入れする人たちの後ろであるなら、上のものは貧しい人のもので、下の方は所有者のものである。
この節は蟻の巣の中に穀粒が見付かった場合の判断について言っている。
大きく分けると2つの場合があり、2番目の状況については、更に2つの場合に分かれる。
(1)まだ刈り入れ作業が始まっていない場合
まだ刈り入れ作業が始まっていない段階で、蟻の巣の中に穀粒があるなら、所有者のものである。なぜなら刈り入れ作業によって落ちた穂でないことは確実だからである。
(2)刈り入れ作業が終わった場所の場合
①蟻の巣の中の上の方にある穂
貧しい人のものである。なぜなら作業の途中で落ちた可能性があるから。
②蟻の巣の中の下の方にある穂
農夫のものである。なぜならまだ作業が始まっていない段階で落ちた穂を、蟻が運んだものと見なされるから。
ミシュナではこのように書かれているが、エルサレム・タルムードには蟻の巣の中の位置よりも、穀粒の色の方が基準になるという見解が示されている。
収穫作業は穀粒が乾燥し、緑から白に変色した後に行われる。
従って蟻の巣の中の位置が上であろうと下であろうと、穀粒の色が白ならば、貧しい人に与えられなくてはならないとし、緑の場合、まだ成熟しておらず、作業前に落ちた可能性が高いから、所有者のものとする。
「疑わしいleket」における民事原則と救貧法理の衝突
この点ラビ・メイルは次のように言っている。
ラビ・メイルは言う、「それは全て貧しい人のものである。なぜなら疑わしいleketは、leketと考えられるから。」
通常、権利の帰属が明確でなく、争いが生じた場合、「hamotzi mechavero alav hareaya」(利益を得る当事者が自らに権利があることを証明しなくてはならない)という原則がある。
しかしpeah、leket、shichchahの場合、「貧しい人に帰属するのかどうか確かでないものは、貧しい人のものである」という原則がある。
そこで2つの原則が衝突するのだが、後者の原則が優先するとされる。ラビ・メイルはそのことを言ったのである。
「不確かなleket」におけるmaasrot(十分の一税)免除の是非
ただ、ここでもう1つの問題がある。peah、leket、shichchahはいずれもmaasrotを取り分ける義務はない。
maasrotについては以前に学んだが、祭司へのterumahやレビ人へのmaaser rishonなど、収穫物から取り分けるべきものの総称である。
不確かな方は、下のリンクから各種のmaaserの規定を確認して欲しい。
◉聖別と奉納の法理:ミシュナが解き明かす「祭司の取り分(matanot kehunah:マタノット・ケフナ)」と聖なる生活秩序の全貌
https://note.com/mishnah/n/nb10ab99a02a4
さて、貧しい人の権利であるleketなどは、maasrotを取り分ける義務はない。
ではそれが本当にleketであるのか確かではないleketはどうなるのだろうか?それは上記の原則によって貧しい人のものになるとしても、maasrotも免除されるのだろうか?
この問題について、農夫が不確かなleketを貧しい人へ残さなくてはならないのと同様に、貧しい人も不確かなleketはmaasrotを取り分けるべきという見解が提示されている。
しかし異論もあり、不確かなleketも完全にleketであり、maasrotを取り分ける必要がないという見解もある。
今回の内容は以上である。
(この記事は、旧約聖書の最高権威モーセ五書[トーラ]と口伝律法[ミシュナ]及びその膨大な参考書の研究に基づいています。日本語圏における聖書学の再構築を継続し、さらなる『掃除』を推し進めるための研究費として、志ある方のご支援をいただければ幸いです)
シリーズ目次は以下からご覧になれます。
◉【シリーズ目次】ミシュナ『Peah』法理研究
https://note.com/mishnah/n/n2d88667d1089
本記事周辺の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【全体目次Vol.1】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事リスト(No.1〜No.200)
https://note.com/mishnah/n/nf0de8c6c7334
全記事の時系列目次は以下からご覧になれます。
◉【時系列総目次】ミシュナと旧約聖書・新約聖書:全研究記事インデックス
https://note.com/mishnah/n/nd780d32f266c
(ミシュナの構造による目次は以下からご覧になれます)
◉ミシュナの部(seder)に基づく全記事の目次
ミシュナは生活と信仰の全領域を「種子」「祭日」「女性」「損害」「聖物」「清浄」の6つの部(セデル)で網羅している。各記事を法典本来の分類に配置し直すことで、2,000年前の「律法の現場」における聖書の背景をより明確に提示する。
