腰の激痛が教えてくれた、“愛”と“コントロール”の境界線
以前、トラウマの入り口体験をブログに書いて、
そこからの気づきを更にブログに書いたんだけど
実は、そのトラウマ体験をした翌日から、起き上がるのも、椅子から立ち上がるのも精一杯になるほどの痛みが【腰】に出たの。
別に無理な姿勢をしたわけでも無いし、激しい運動をしたわけでもなく、思い当たる節が全く無い。
そんな原因不明な時、私はいつもスピリチュアル的に考えるようにしていて、
この時も、これは何の合図かな?って考えてみたの。
昨日、あの時、私は何を感じて、何を考えて、どんな行動をしたんだっけ?
こんな激痛を自分の肉体にもたらすだなんて、、、
私は絶対にやっちゃいけない事を無意識にやっていた、もしくは、やろうとしていたはず。
それを振り返ってみたときに、ひとつ思い当たる節があったの。
私ね、その小学生のママが19時頃に帰ろうと言った時、その息子は「まだ帰りたくない!」と言っていて、
ママが困るかな?と思って、私も「ママもう帰るってさ!」と、軽く声掛けをした時に、
その子の目が裏返ってしまうんじゃないか?と思うほど、強烈に私の事をにらんで来たから、
帰るのは今では無いんだな・・・と思ったんだけど、
それプラスで、
その子のママは、パパの事と、試験勉強中で特進クラスに入りたい息子さんの食事の事を気にしていたんだけど、
それまでの話の中で、
今、主人と仲が悪くて、、、というか、
今まで稼ぎ頭のご主人の事を尊重しすぎてというか、尽くしすぎてというか?
それが恨みや呪いに変わってしまっている状態だという事を話していたし、
1人で海外旅行に行きたい気持ちをご主人に話したら、すごい稼ぐ割に財布の紐がキツイご主人に全否定されて、物凄い不満みたいな事を言っていたから、
「(家族の世話をする事というか、パパに迷惑をかけない事を)手放せる?」って聞いて、まだ我が家にいてもらう事を促したんだよね。
でもさ、それって実は、無意識に
良かれと思って「彼女のことをコントロールしたい自分」が顔を出していたってことなんじゃ無いかな?って思ったの。
私があなたの1番の最善の道を知っているって。
自意識過剰で傲慢な私。
上から目線な私。。。
でも実は私は今、思い通りにならない息子の子育てを通じて、そんな他者をコントロールしたい自分を手放すという課題に取り組んでいるような気がしていて。。。
調べてみたの。
そうしたらやっぱり、
腰 = 支える・背負う・土台・
「責任」の象徴
スピリチュアルな観点でよく言われるのは、
「誰かの問題を自分が背負おうとしたとき」や
「自分の道と他人の道の境界線が曖昧になったとき」に、腰に痛みが出やすいんだとか。
まさに私があの日したのは
⸻
彼女の人生の“重さ”まで、自分が引き受けようとした。
⸻
って事なんだと思う。
パパのご飯、
試験勉強中の子ども、
彼女自身の疲れや不満、
彼女が無意識に背負っている“人生の荷物”に対して、
「ちょっと、ここで降ろしていっていいよ」
「まだいてもいいよ」
「わたしが受け止めるから」
「あなたが軽くなるお手伝い、私は出来るよ」
って、
お願いされてもいないのに、勝手に、良かれと思って踏み込んだって事。
それは、私の彼女に対する愛であったかもしれないけれど。。。
でも、今、私は気づく時なんだと思う。
愛とコントロールは紙一重であって、
今まで私は他人の荷物まで背負い込む癖があったという事。
そして、今はそこの境界線を超えない事を意識する時期で、
もうひとつ深い段階の愛に移行する時なんだって事。
今回もすごく良い気づきだった。
その事に気づくと同時に、腰の痛みも消えていった。
今回もちゃんと合図を拾って、気づくべき自分の在り方に気づく事が出来たということなのだと思う。
日々の全ての出来事に感謝‼️
