「このままじゃ、うちの子も…?」登園拒否の息子と、暴言を吐いた小学生
少し前に、
トラウマの入口のような体験をした。
あまりのショックに、ほぼ毎日更新していたブログを1週間更新する事ができなかった。
それほどのショック体験だった出来事には、やっぱり色々な気付きがあったので、あれから2週間が経ち、少し落ち着いて来た今、あの件を自分なりに考察してみる事にする。
4歳の我が子に暴言を吐いた小学3年生の彼は、我が子と非常に似ている特徴があり、他人事とは思えない出来事だった。
今回は言われた方だけど、いつ我が子が言う側に回るかわからない。
私は望まない【我が子の未来の可能性のひとつ】を目の当たりにした事にショックを受けていたのだと思う。
もちろん、本当にそうなってしまう訳ではない。
でも、
【信じきれていない自分】がいるからこそ、こんな出来事が起こったのだと思う。
我が子はこの2月頃から半年弱、幼稚園を登園拒否しているのだけれど、彼も小学校が嫌で行きたくないと思っていて、、、
でも、親に教室まで付き添われて何とか毎日通っている。
習い事は色々なものを週4でしていて、以前、スイミングにも行っていたが、行きたくないのを親に受け入れてもらえず、そこから半年〜1年くらいは通わされて、ようやく辞める事が出来た。
かたや我が子は、週1のスポーツクラブに入ったものの、1ヶ月で行かないと言い出したので、何回かお休みさせて、揃えた道具がまだピカピカで勿体ないと思ったが、
我が子は言い出したら徹底しているし、その意思が曲がることは無いと知っているので、残念ながらもそのまま退会する事にした。
共通点としては、学校も、習い事も、行ったら行ったで楽しそうにやっているという事。
親からも楽しんでいるように見えるし、先生からもそう言われる。
しかし、本人達はもう行きたくないと言う。
彼と我が子の違いは
一番身近な親という存在に
自分が伝えた意思を尊重してもらえているか?
ということ。
親は自分の経験から、損得や、未来の不安を考え、良かれと思って子供の意思を受け入れない。
そこに悪気なんて全く無い。
無いどころか、コレこそが我が子の為だと思っている。
その判断に良いも悪いも無く、その親を選んで生まれて来たその子と、その親が経験すべくして経験している現実の共同創造であり、
その経験から色々な事を学ぶ為に今世家族となっているので、そこに問題は無い。
今回、こんな出来事を私の現実として、目の前で見せてもらったという事の意味は、
私は息子の意思を尊重して、幼稚園に行かせようとしないという選択をして来た事、間違いではなかったんだ。
という、気付きの為だったのだと思う。
ということは、これで良いと思っている自分の中にも【本当に幼稚園に通わせなくて大丈夫なのだろうか?】という不安があった。ということ。
だからこそ、それを揺らがない決意、【確信】とする為に、自分の現実に創造したという事なのだろう。
小学生の彼は、望まない我慢を続けた子がどうなるか?を体現して見せてくれた、魂の導き手だったということ。
子どもの意思を尊重するって、口で言うほど簡単な事じゃない。
そこにはいくつもの葛藤があり、周りからの目や、将来に対する不安、色々なものがある。
でも、いつも私は息子が笑顔でいられる方に舵を切るように努めてきた。
その判断基準はあながち間違っていないような気がする。
親はもの凄くショックを受けた今回の出来事だったけれど、暴言を吐かれた息子はそんな事全く気にしているそぶりもなく、
毎日のように「お兄ちゃんに会いたい」「また一緒にカービィやりたい」と言い、
自宅でカービィが出来るようにゲーム機も買い、カービィのソフトも買い、自由にカービィで遊べるようになった今も、
2日に1度はまた「お兄ちゃんと遊びたい」と言ってくる。
この一件を通じて、
子どもの【今を生きる力】は、親が感じた【過去の痛み】までも癒す力があるという事を知った。
今を生きるという事のパワフルさと、息子の存在そのものに、、、
そして私と関わる全ての人に、、、
今日も感謝‼️
