値上げできない会社の弱点は「交渉力」ではない
「価格転嫁率、過去最高の53.5%」。少し前に、こんなニュースが流れました。原材料費も人件費も上がり続けるなか、半分以上の会社がコストの上昇分を取引価格に反映できた、という話です。
でも私は、この数字を裏側から見たくなりました。53.5%ということは、まだ4割以上は転嫁できていないということ。値上げしたくてもできない会社が、それだけたくさんあるんですよね。そして、その「できない理由」は、多くの人が思っているところとは少し違う、と私は考えています。
価格転嫁の「いま」を、数字で見る
まず、現状を数字で整理します。価格転嫁(コストの上昇分を、製品やサービスの販売価格に反映させること)について、中小企業庁が定期的に調査を公表しています。2025年9月の調査結果は、こうでした。
・全体の価格転嫁率は53.5%(前回より約1ポイント増)
・コスト要素別では、原材料費55.0%、労務費50.0%、エネルギーコスト48.9%
・労務費(人件費)の転嫁率が、初めて50%に到達。2022年9月時点では33%でした
(出典:中小企業庁・経済産業省「価格交渉促進月間(2025年9月)フォローアップ調査」)
労務費の転嫁が初めて5割に届いたのは、たしかに前進です。ただ裏を返すと、上がった人件費の半分は、いまも会社が自分の利益から負担している、ということでもあります。
ここに、もう一つ数字を重ねます。東京商工リサーチの調査では、2026年度に賃上げを予定している企業は83.6%。多くの会社が「賃上げはやる」と決めています(出典:東京商工リサーチ「2026年度の『賃上げ』実施予定は83.6%」)。賃上げはする。でも、その原資になる値上げは半分しか通っていない。この差が、じわじわと中小企業の体力を削っているんですよね。
できない理由は「交渉力」ではなかった
では、なぜ転嫁できないのか。「大手が相手だと、交渉力で負けるから」と考える方は多いと思います。たしかに、それもあります。取引の階層が深くなるほど転嫁率は下がり、4次請け以上では「全く転嫁できなかった、むしろ減額された」という会社が約3割(29.5%)にのぼる、というデータもあります。立場の弱さは、確かに壁です。
でも、それだけが原因ではありません。ここに、はっきりした調査結果があります。中小企業庁の「2024年版 中小企業白書」では、商品別・製品別に原価の構成を把握している企業ほど、価格交渉で高い転嫁を実現できている、という結果が示されています(出典:2024年版中小企業白書 図1-4-13)。
逆に言えば、原価計算をしていない会社は、「会社全体で年間いくらかかったか」しか分かりません。すると、「この取引先の、この仕事のコストが、いくら上がったのか」を示せない。根拠を出せない値上げのお願いは、相手からすれば断る理由を探しやすいんです。
中小企業診断士が監修したある解説記事でも、受注のときに「○○一式」という大雑把な決め方をしていると、あとで価格を見直すときに根拠を出せなくなる、と指摘されています(出典:リコー「中小企業応援サイト」価格転嫁コラム)。つまり値上げ交渉で本当に問われているのは、度胸や話術ではなく、「自社のコストを、数字で説明できるか」なんですよね。
原価の正体は「時間」。だから業務を書き出す
では、その「原価」、とくに増え続けている人件費の中身は何かというと、突き詰めれば「誰が、どの仕事に、何時間使ったか」です。
ところが、ここが多くの会社の弱点になっています。「主力の商品を1つ仕上げるのに、全部でのべ何時間かかっていますか?」と聞かれて、即答できる経営者は、実はそれほど多くありません。受注、段取り、製造や作業、検査、事務処理、納品の手配……一つの仕事には、見えにくい工程がいくつもぶら下がっているからです。
ここで、読者のみなさんに質問です。御社の主力商品やサービスは、1件あたり「のべ何時間」かかっているか、数字で言えますか?
もし言えないとしたら、それは経営の力が足りないわけではありません。単に、業務を「書き出していない」だけなんです。
私がおすすめしたいのは、いきなり完璧な原価計算をしようとしないことです。まずは主力の商品・サービスを1つだけ選び、それに関わる工程と、関わっている人を、紙に書き出してみる。「この工程は、だいたい誰が、何分」と、ざっくりで構いません。これだけでも、「あれ、この作業、こんなに時間がかかっていたのか」という発見が必ず出てきます。
たとえば、ある定型作業に1人が1回あたり30分かけているとします。それが月に100件あれば、月で50時間。年間にすると600時間です。かりに時給2,000円で換算すれば、その作業だけで年間120万円の人件費が乗っている計算になります。「工程×時間×件数」で積み上げていくと、これまで「なんとなくの感覚」でしかなかった原価が、相手に見せられる数字に変わっていきます。
おまけに、この書き出しには副産物があります。工程を並べてみると、「この確認、本当に要るのかな」「この手戻り、なくせるよな」というムダが、必ず目に入ってくる。値上げ交渉の準備のつもりが、そのまま業務改善のきっかけにもなるんです。
その書き出しが、やがて値上げ交渉の見積書に化けます。公正取引委員会の指針でも、見積書は労務費・原材料費・エネルギー費と費目を分けて示すことが推奨されていますが、その費目ごとの数字は、工程と時間が見えていなければ、そもそも書けないんですよね。
値上げは「準備」の問題
値上げは、勇気の問題に見えて、実は準備の問題です。そして準備とは、特別なシステムを導入することではなく、「自社の数字を、自分の言葉で説明できる状態にしておく」ことです。
賃上げはこれからも続きます。コストも、当面は下がらないでしょう。だからこそ、交渉のテーブルに着く前に、自社の足元を数字にしておく。今日できる最初の一歩は、主力商品を1つ選んで、その工程を書き出してみることです。そこから、御社にとっての「適正な値段」の輪郭が、少しずつ見えてきます。
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