違和感から考える|#04仕事に追われて、考える余力がなくなっていた
長時間労働の是非を語りたいわけではない。
ただ、気づいたら
「余力がゼロに近い状態」が続いていた、という話。
時間を減らした、というより、
余力を戻そうとした。
その変化について、静かに振り返ってみる。
1|長く働くことの正しさと、現実
これは、
仕事の時間を短くするべきだ、という話ではない。
長く働けば良いわけではない。
それはもう、多くの人がわかっていると思う。
長ければ長いほど、非効率になる。
集中力も落ちるし、判断も鈍る。
理屈としては、たぶん正しい。
でも同時に、
「そうは言っても」という現実があるのも、よくわかる。
2|8時間で切り上げると決めた日
時間が伸びてしまう理由は、ちゃんとある。
人数の割に、仕事量が多すぎて終わらない。
どうしても勤務時間が長くなってしまうことは、ある。
休み前などは、
キリの良いところまでやらないと、
休み明けに、また同じ山を登るところから始めることになる。
会議もない。
電話もこない。
人も少ない。
ようやく邪魔がなくなった時間帯になって、
自分が抱えている業務に取りかかれる、という日もある。
全部、わかる。
自分も、やったことがある。
それでも、今は
1日8時間くらいで、切り上げるようにしている。
早く切り上げれば、
残業して進めるより、
仕事の進みは遅くなるかもしれない。
それでも、いったん仕事から離れる。
3|余力ゼロの生活が奪っていたもの
別の視点に触れたり、
新しい考え方を知ったり、
ただ、何も考えずに過ごしたり。
そういう時間は、
後回しにされがちだけれど、
実はとても大事だった。
仕事だけに追われていると、
新しいインプットをしたほうがいいと思っていても、
その気力が、そもそも湧かない。
調べたほうがいい。
学んだほうがいい。
視野を広げたほうがいい。
頭ではわかっているのに、
余力がなくて、できない。
仕事をして、寝て、起きて、また仕事。
そこに家事も入る。
それだけで一日が終わってしまって、
他のことをする気力は、
ほぼ残っていなかった。
悪循環だな、とは思っていた。
でも、
この状態のままでは、
新しいことを取り入れて状況を変える、
その最初の一歩すら踏み出せない。
今振り返ると、
長く働いていた、というよりも、
余力が常にゼロに近い状態だった、
というほうが近い気がしている。
4|余力が戻ったとき、体に起きたこと
意図的に、
そういう生活を「頑張って」続けてみている。
すると、不思議なことに、
仕事の日に体調が悪い、ということが
ほとんどなくなった。
以前は、
片頭痛がしたり、
夕方になると目の奥が痛くなったり、
腰に鈍い重さを感じたり。
今は、あっても気づかないくらいの、
ごくわずかなものだ。
何かが整っている。
座りすぎない、という物理的な理由もあるだろう。
でもそれだけではなくて、
気持ちの面でも、
いいバランスにあるのだと思う。
5|空気が変わった、と言われた
最近、周りから
「雰囲気が違うね」と言われたことがあった。
今のほうが良い、と。
誰かに迷惑をかけていたわけではない。
ただ、以前は、
少し重たい空気をまとっていたのかもしれない。
自分では普通に働いているつもりだったけれど、
余力のなさは、
たぶんどこかに滲んでいた。
6|正解ではなく、今の実感として
正解を押し付けたいわけではない。
長く働く必要がある時期も、
そうせざるを得ない状況も、確かにある。
それでも、
いろいろやった上で、
今はこう感じている、という話だ。
時間を短くした、というよりも、
余力を取り戻した。
その結果として、
仕事も、体調も、
少しずつ整ってきたのだと思っている。

▼このnoteについて
仕事や卓球、日常の違和感の中にある
「判断の瞬間」を分けて考えています。
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