違和感から考える|#05選択肢を並べる前から、腰が重くなっていた理由
考えればいいだけのはずなのに、
その入口に立つ前から、気持ちが重くなっていた。
できないわけではない。
ただ、考える前から何かを背負っていた。
思考が止まっていたのではなく、
思考に役割を載せすぎていた話。
1|選択肢を並べる前から、腰が重くなる
最近、生活の中のある用事を前にして、
「そろそろ考えないと」と思った瞬間に、
もう気持ちが重たくなっていることに気づいた。
調べる気になれない。
考えを整理するところまで、たどり着かない。
対価や評価が発生する仕事の話ではない。
仕事なら、たぶん、やる。
いやでも何でも、必要なら手を動かす。
そうではなくて、
誰に言われたわけでもないけれど、
放っておくわけにもいかない、
生活の中のあれこれの話だ。
2|考える前から、先の工程を背負っていた
不思議だった。
本当は、
選択肢を並べること自体は、できるはずなのに。
よく見てみると、
私が意識していたのは
「考えること」そのものではなかった。
選択肢を出す。
理由を考える。
その先にある、
どれを選ぶか
実際に手を動かすこと
その結果を引き受けること
そこまでを、考える前からまとめて想像していた。
だから、
選択肢を並べる“入口”に立つ前から、
腰が重くなっていたのだと思う。
3|本当に考えられない状態なのだろうか
ここで、少し立ち止まった。
私は本当に、
考えられない状態なのだろうか。
それとも、重たいところまで
一気に考えようとしているだけなのだろうか。
「どうするか」を考える前に、
問いを少しだけ小さくしてみた。
最終的な判断ではなく、
「どんな可能性がありそうか」だけ。
4|どこまでなら、負担なくできるのか
そうやって分解してみると、
意外なことに気づいた。
選択肢を並べるところまでなら、できそうだ。
理由を整理するところまでなら、
そこまで気持ちは重くならない。
実行や決断を含めなければ、
思考は、完全には止まっていなかった。
これは、私にとって大きな発見だった。
5|重たかったのは、思考ではなく役割だった
考えること自体が嫌だったわけではない。
怠けたいわけでもない。
ただ、思考に、
「決める」「動く」「引き受ける」
という役割まで、最初から載せていた。
生活の中のことは、
終わりも基準も、はっきりしない。
誰かに任せるわけでもなく、
判断も実行も、自然と自分に戻ってくる。
だからこそ、
入口から重たくなってしまうのだと思う。
6|可能性を探るだけなら、思考は動き出す
決めなくていい。
正解を出さなくていい。
今すぐ動かなくていい。
可能性を探るだけなら、
気持ちの負荷は、ずっと小さい。
思考は、
未来を固定しない状態なら、
まだちゃんと動いてくれる。
7|思考の入口を、重たくしすぎていた
考えられないのではなかった。
考える前提に、
重たい役割を置きすぎていただけだった。
選択肢を出すところまで。
可能性を並べるところまで。
そこまででも、
思考は十分に意味を持っている。
今は、そんなふうに考えている。
▼このnoteについて
仕事や卓球、日常の違和感の中にある
「判断の瞬間」を分けて考えています。
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