前提がズレるとき|#04誰も判断していないスレッドは、なぜ進みがゆっくりなのか
情報も意見も揃っているのに、
なぜか進んでいないように見える場がある。
判断していないのではなく、
判断が見えない。
その違いだけで、
体感のスピードは変わるのかもしれない。
1|判断が見えないと、進んでいないように感じる
たまたま目に入った社内のスレッドがあった。
自分の担当でもなければ、関係部署でもない。
完全に外野の立場だった。
ただ、読んで数分で、ある感覚が残った。
このスレッド、進みがゆるやかだ。
急いで決めなければならない話だということは、一目で分かる。
情報も揃っているし、意見も出ている。
それなのに、
どこか、前に進んでいる感じがしない。
2|判断していない、というより、判断が見えないない
最初は、単純にこう思った。
判断しない人がいるんだな、と。
でも、読み返しているうちに、
少し違う気がしてきた。
意見は出ているし、
考えていないわけでもなさそうだ。
ただ、
判断が言葉として置かれていない。
「〜したほうが良さそうですね」
「その方向でよろしいでしょうか」
丁寧で、やわらかい言葉は並んでいる。
でも、
どこにも「ここまで考えて、こうする」
という線が引かれていない。
判断がない、というより、
判断が見えない状態に近い。
3|判断軸をすり合わせる、という進め方
一方で、自分の仕事の進め方を振り返ってみると、
少し似ていて、
でも違うところがあることに気づいた。
判断軸をすり合わせながら進めていくうちに、
結果的に、
その判断がそのまま採用されることが多い。
強く断定するわけでもないし、
「私が決めます」と前に出るわけでもない。
ただ、
この線で行く、という芯だけは、
言葉として置くようにしている。
4|断定した言葉が、置かれているかどうか
こうして並べてみると、
あのスレッドで起きていることと、
自分の進め方は、
形だけ見るとよく似ている。
合意を取りながら進めている。
誰かが強く断定しているわけではない。
それでも、感じ方はまったく違う。
なぜだろう、と考えて、
ようやく一つの違いに行き着いた。
判断しているかどうか、ではなかった。
判断していることが、
断定した言葉として置かれているかどうか。
この違いで、
スピードも、手応えも、安心感も変わる。
断定は、強さの話ではない。
位置の話だ。
ここまで考えた
この線で行く
次はこれをやる
それが言葉として置かれると、
そこまでの内容がピン留めされて、
話は積み上がっていく。
5|判断が「溶ける」場と、「透ける」場
もしかすると、あのスレッドでは、
判断を言葉で書かないだけで、
「そう決めたよね」という流れが、
すでに共有されていたのかもしれない。
長く一緒に仕事をしていれば、
前例や文脈で通じることもある。
言葉にしなくても、
進められる場があるのも、確かだ。
ただ、外から見た私には、
その判断がどこにあるのか分からなかった。
進んでいるはずなのに、
進んでいないように感じた。
わかりにくさは、
理解不足なのかもしれないし、
構造の問題なのかもしれない。
断定が置かれない場では、
判断は溶けていく。
誰かが考えていても、
どこに判断があるのか分からない。
一方で、
断定を強く主張しなくても、
判断軸が言葉として置かれていれば、
判断は透けて見える。
見えないことと、存在しないことは、同じではない。
6|外野で、判断を差し込まなかった理由
あのスレッドに、私は何も書かなかった。
言おうと思えば、言えた。
自分なりの結論も、すでにあった。
でも、全部を差し込んでしまったら、
場は考えなくなるかもしれない。
判断を置く練習の機会を、
奪ってしまうかもしれない。
そう思って、外野に留まった。
ただ、黙っていたからといって、
何も感じなかったわけではない。
進め方を考え、共有し、
疑問が残らないように整える。
そうしているうちに、
話は自然と前に進んでいく。
そのやり方を知っているからこそ、
判断が見えない場に出会うと、モヤっとする。
完全に引き取る立場ではない。
でも、完全に無関心でもいられない。
この中途半端さが、
判断が消えていく構造を、
余計に気にさせるのだろう。
7|判断は、言葉の形をしている
判断を表に出さないことと、
判断を持っていないことは、まったく別だ。
判断は、
言葉として置かれたとき、はじめて共有される。
あのスレッドの違和感は、
判断がなかったからではなく、
判断が言葉の形をしていなかったからなのかもしれない。

▼このnoteについて
仕事や卓球、日常の違和感の中にある
「判断の瞬間」を分けて考えています。
▼ はじめての方へ
いいなと思ったら応援しよう!
(^^)