見出し画像

前提がズレるとき|#03なぜあの人は軽く言えて、私は軽く言えないのか

同じ「やりたい」という言葉なのに、
どうしてこんなにも重さが違うのだろう。

誰かの宣言に違和感を覚えた日から、
自分の中の「言葉の基準」を考えるようになった。

これは、正しさの話ではない。
ただ、重さの違いに気づいた、というだけの話。


1|「自分のアイデンティティは──」と言い切る人

「自分のアイデンティティは──」
そう言い切る人に出会った。

強いな、とか、羨ましいな、というよりも、
ただ、その意図が知りたくなった。

それは自分を保つための言葉なのか。
周りにどう見られたいかの位置取りなのか。
それとも、未来の自分への宣言なのか。

言い切る、という行為そのものに、
少しだけ引っかかった。

そしてふと、思った。
私は、宣言していないのだろうか。

2|宣言していない、つもりだった

私は「私はこういう人です」とは、あまり言わない。

けれども、

これは引き取らない、とか。
ここまではやる、とか。
こういう考え方をする、とか。

会議の場でも、日常のやり取りでも、
気づけば線を引いている。

結果的に、立ち位置は取っている。

形式が違うだけで、
やっていることは同じかもしれない。

ということは、
意図せずに宣言をしている可能性があるのでは、と
考えた。

3|私にとっての「やりたい」の重さ

もう一つ、気がついたことがある。

私は「やりたい」と言うとき、
だいたい8割くらい固めている。

軽い興味は、いくらでも湧く。
面白そうだな、くらいの感覚なら、毎日のようにある。

でも、そのままでは口にしない。

少し調べる。
現実的かどうかを見る。
いまの優先順位に照らす。

手帳を開いて、時間の余白を眺めたりもする。

それでも残ったものだけ、言葉にする。

だから、私の中では
「やりたい」は、
ほとんど実行前提の言葉だった。

同じ言葉を、もっと軽く使う人がいることに、
うまく馴染めなかったのも、無理はない。

重さの基準が違っていただけなのだと思う。

4|言葉は、順番待ちに入る

軽く言えない理由も、ここにある。

私は、言葉にしたものを
順番待ちのリストに入れてしまう。

「やりたい」と言った瞬間、
意識する対象になってしまう。

スルーすればいいだけとはわかるのだが、
どうも頭の片隅に残り続けていて、
いつやるのか、と
静かにせっついてくる。

仕事でもそうだが、
タスクが溜まっている状態は好ましくない。
未処理が増えるのも、落ち着かない。

だから、軽く言えないのだ。

私の中では、
言葉は、未来の時間を少しだけ予約する行為
なのだと思う。

5|驚かなくなるまで

でも最近は、少し変わった。

人それぞれ、
「やりたい」の割合が
違うだけかもしれない。

そう整理できたとき、
少しだけ驚かなくなった。

2割の「やりたい」もある。
それは優先順位の前の言葉だったり、
これから広げるための言葉かもしれない。

私はそれを、
勝手に8割の「やりたい」として
受け取っていただけだった。

重さの基準が違うだけ。

そう考えると、
見えてくるものが少し変わった。

6|いまの私の「言葉の重さの基準」

宣言しているかどうかより、
どう扱っているか。

私の中では、
言葉と行動の距離は、あまり離れていない。

でも、それに固執しているつもりもなく、
不都合なら、変えるだけだと思っている。

ただ、いまの私には、
いまの「言葉の重さの基準」があるようだ。

そんなことに、いまさら気がついた。


 

▼このnoteについて 
仕事や卓球、日常の違和感の中にある
「判断の瞬間」を分けて考えています。

▼ はじめての方へ


いいなと思ったら応援しよう!

みね村|違和感をほどく (^^)