私の記憶を、誰かに預けてみたら
「あなたの恋愛談を、短編恋愛小説にします」
そんな企画があった。
面白そうだと思った。
自分の恋愛を、 自分ではない人が書いたら どんな風に見えるんだろう。
そんな軽い気持ちで、 昔の話を渡した。
出来事だけを、 箇条書きで。
・マッチングアプリで出会った。
・お互い、恋人になるつもりはなかった。
・最初に会った日、 二時間ほど話した。
・その後、毎日のように電話するようになった。
・決まった時間に話して、 「おやすみ」と言って眠る。
・そんな関係になった。
・恋人ではないのに、 生活の一部になっていた。
・二人だけに通じる世界があった。
・けれど、 その関係には名前がなかった。
・最後まで、 恋人にはならなかった。
そこまで書いて、渡した。
しばらくして、 書き手さんから返事が来た。
「最後は、まわりまわってハッピーエンドに変更してもいいですか? それとも、最後まで恋人にならなかった、で終わったほうがいいですか?」
丁寧な質問だった。
私は、少し考えて、 こう答えた。
「煮るなり焼くなり、お任せします」
なんだか、 楽しみな気持ちの方が大きかった。
自分の記憶が、 誰かの手の中で、 どんな形になるんだろう。
しばらくして、 小説が届いた。
読みながら、 何度か手が止まった。
「今日、ちゃんとご飯食べた?」
そう聞いてくる場面があった。
これだ、 と思った。
特別でもなんでもない、 その一言。
でも、 毎日そう聞かれることの、 あの安心感。
私しか知らないはずのものが、 知らない人の文章の中で、 ちゃんと息をしていた。
「おやすみ」
「また明日ね」
その繰り返しも、 そのまま在った。
私は、 自分の記憶を渡したつもりだった。
でも実際には、
自分でもうまく言葉にできなかった あの日々の温度を、
誰かが代わりに、 文字にしてくれていた。
そんな感覚だった。
自分の話を、 自分の言葉でしか書けないと、 どこかで思っていた。
でも違った。
誰かに託した瞬間、
記憶は、 もう一人の書き手を得て、
自分だけのものから、
二人で見る景色に変わった。
小説になった私は、 私であって、 私だけのものではない。
それでも、
あの「今日、ちゃんとご飯食べた?」の一文に、
確かに、 あの頃の私がいた。
渡してよかった、 と思う。
自分の記憶を、 一度、 誰かに預けてみる。
そんな経験は、 そう何度もない。
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