製造業向け|同じ一時間でも、判断が多い仕事は人を疲れさせる
ある日は、組立作業を一時間ほど手伝った。
部品を取り、位置を合わせ、決められた順番で取り付けていく。終わる頃には少し汗をかいていたが、目の前には完成した製品が増えている。
体は疲れている。
それでも、仕事をした実感は分かりやすかった。
別の日は、ほとんど机から動かなかった。
図面を開き、現場から聞かれたことに答える。営業から来た納期の相談を考え、材料の変更が可能か確認する。その途中で別の部署から声をかけられ、先ほどの図面を閉じて違う案件を見る。
気づけば一時間が過ぎていた。
完成した物は一つもない。
歩いた距離も、たぶんトイレまでの往復くらいである。
それなのに、こちらの方が妙に疲れている。
同じ一時間なのに、ずいぶん重さが違う。
私は以前、この疲れをうまく説明できなかった。
答える前に、仕事を頭の中へ戻している
現場から来る質問は、短いものが多い。
「この材料で進めていいですか」
「ここは図面通りで大丈夫ですか」
「先に作ってしまっていいですか」
言葉だけを見れば、はいか、いいえで答えられそうに聞こえる。
実際には、その前にいろいろなことを思い出している。
この製品はどこで使われるのか。
変更すると仕上がりに影響しないか。
以前、似た案件で何が起きたのか。
納期や金額はどうなっているのか。
一度別の仕事へ移っていれば、頭の中から案件を取り出すところから始まる。
図面を見直し、メールを探し、相手がどこまで知っているのかも考える。
判断そのものは数秒でも、そこへ戻るまでに少し時間がかかる。
本棚から一冊の本を出すのではなく、押し入れの奥から段ボールごと引っ張り出しているようなものだ。
やっと中身を思い出した頃に、別の質問が来る。
今度は、違う段ボールを開ける。
これを何度も繰り返していると、机に座っているだけなのに頭の中だけ引っ越し作業になる。
決めた後にも、少しだけ残る
判断は、答えを出したら終わりとは限らない。
「その方法で進めてください」
と伝えたあとも、本当に問題がないかが少し気になる。
予定通り納まるだろうか。
後工程で困らないだろうか。
何かあった時に説明できるだろうか。
作業する人は、答えを受け取れば先へ進める。
決めた側には、その先の結果がついてくる。
特に、図面や条件が十分にそろっていない仕事では、完全な正解が見えないまま選ばなければならない。
止めれば納期が遅れる。
進めれば手戻りになるかもしれない。
どちらを選んでも、何かが残る。
こういう小さな迷いは、予定表には載らない。
一つずつは大きな問題ではないので、自分でも忘れたつもりになる。
ただ、頭の片隅には少しずつ残っている。
夕方になると、その小さな荷物が思ったより増えている。
判断が集まる人は、暇そうに見えることがある
作業している人の忙しさは見えやすい。
機械が動いている。
製品が並んでいる。
人が行き来している。
一方で、考えている時間は外から見えにくい。
パソコンの前に座り、図面を見ながら黙っている。
見た目だけなら、顔をしかめているだけである。
それでも、その人のところへ質問が集まる。
「あの件はどうしますか」
「こちらを先に進めてもいいですか」
「この判断は誰に聞けばいいですか」
分かる人へ聞くのが一番早いので、自然と同じ人へ話が集まってくる。
一件ずつは小さい。
五分もかからず答えられるものも多い。
しかし、その五分の中で仕事を読み直し、影響を考え、責任の位置まで探している。
時計の上では五分でも、頭は何度も別の場所へ連れていかれる。
そのため、判断する立場の人が疲れている時に、
「今日は何をしていたのですか」
と聞かれると、少し答えに困ることがある。
細かなことをいくつも決めた。
けれど、それらを並べても大きな成果には見えない。
一日中働いていたのに、説明すると五行くらいで終わってしまう。
私も、進んだ量だけで一日を見ていた
工場では、完成した数量や作業時間を気にする。
予定より進んだのか。
何台できたのか。
どこまで終わったのか。
これは必要な見方である。
私も、形になった物や動いた工程を中心に一日を見ていた。
そのため、ほとんど進んでいない日に疲れていると、
「今日はたいしたことをしていないのに」
と思うことがあった。
自分の集中力が落ちているのか。
仕事の進め方が悪いのか。
年齢のせいなのか。
机から動いていないのだから、疲れる理由が見当たらない。
しかし、振り返ってみると、そういう日は何度も仕事を切り替えている。
製作方法を考え、納期を答え、人の配置を決め、見積条件を確認する。
同じ一時間でも、一つのことを続けていた時間ではない。
細かく切られた時間の中で、そのたびに違う責任を持っていた。
それなら疲れるのも当然だと思うようになった。
体を使う疲れとは違う。
休憩して椅子に座っても、すでに座っているのであまり変化がない。
少し理不尽である。
時間が同じなら、負担も同じなのか
仕事の負担は、時間で計られることが多い。
一時間の作業。
一時間の打ち合わせ。
一時間の見積もり。
表に書けば、すべて同じ一時間である。
けれど、決められた手順を進める時間と、正解のない選択を何度も繰り返す時間では、中身が違う。
もちろん、どちらが大変だと比べたいわけではない。
同じ姿勢や動きを続ける仕事には、体への負担がある。集中を切らさず品質を保つ難しさもある。
ただ、判断が多い仕事の疲れは、結果だけを見ていると拾われにくい。
何も作っていない。
数字も増えていない。
予定表にも残っていない。
それでも、その人が決めなければ、いくつもの仕事が止まる。
見えにくいからといって、負担がないわけではない。
判断を減らすことが目的ではない
仕事をしていれば、誰かが決めなければならない。
責任のある立場なら、避けられないことも多い。
私は、判断する仕事をなくしたいわけではない。
気になっているのは、同じような質問が何度も同じ人へ戻っている状態である。
前回も迷ったことを、今回も最初から考える。
誰が決めるのか分からないため、分かりそうな人へ持っていく。
本来なら現場で決められることまで、責任者のところへ上がってくる。
これが積み重なると、立場の高い人ほど大きな問題を考えているとは限らなくなる。
小さな判断に一日を細かく切られ、本当に考えなければならないことが後ろへ残る。
その状態で、
「管理する人は先を見て考えてほしい」
と言われても難しい。
先を見る前に、今日の細かな分かれ道を全部案内しているからである。
時計は、時間の重さまでは測ってくれない
最近は、誰かが疲れている時、働いた時間だけでは分からないことがあると思っている。
何時間作業したのか。
それだけでなく、その間に何度仕事を切り替え、いくつの答えを求められたのか。
判断の結果を、どこまで背負っていたのか。
同じ一時間でも、まっすぐ進めた一時間と、分かれ道ばかりだった一時間では、終わった時の疲れ方が違う。
見た目には、何も進んでいない日もある。
それでも頭の中では、止まりそうな仕事をいくつも先へ送っている。
一時間は、誰にとっても六十分である。
ただ、時計は長さを測ってくれても、その時間の重さまでは測ってくれないのだと思う。
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