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「みんなやっているから…」で自分を殺す(精神的/物理的)社会の終わらせ方 —— 旧態依然とした日本の『教育』(と称するが実は管理・洗脳そして人権侵害)から、あなたの、私の、『誇り』を取り戻す

「みんながやっているから」
「みんな〇〇だから」
「みんな…」

 日本社会で息をするように飛び交うこの言葉。
 あなたも、この言葉の前に思考を停止させられ、自分の本心を飲み込んだ経験はないでしょうか。

 先日、noteで
『「みんなやってるから」で思考を止める社会に僕は馴染めなかった』
と、集団の中での孤独や、同調圧力への切実な違和感を綴られている方の記事を拝見しました。
「自分は同調製造マシーンになっていないか?」
「マジですか?」
…というその方の鋭く真摯な問いかけに、私は深く共感するとともに、一つの明確な答えを返したい衝動に駆られました。

 あなたが感じたその違和感は、完全に正しい。
 なぜなら、その日本中に蔓延する「みんなと同じ」を強要する空気は、自然発生したものではなく、「学校教育という名の旧態依然とした管理システム」によって意図的に、そして暴力的に植え付けられたものだからです。

 歴史を振り返れば、昔の日本(そして国や権力者といった『持てる者』たち)は、一斉に同じ方向を向き、疑問を持たずに命令に従う「均質な労働力」を求めていました。
 一斉授業はそのための最も効率的な洗脳の場でした。

 しかし、時代は進歩しました。
 新聞やラジオから、インターネット、スマホ、AIへと技術は爆発的に進化し、本来なら「一人ひとり違うこと」にこそ価値があり、個人の存在意義が輝く時代になっており、そういった形での子どもたちに対する個人を尊重していく導き方も可能になってきています。

 それにも関わらず、教育の現場はどうでしょうか。

 時代に合わせたアップデートは一切放棄され、未だに「みんなで一斉に同じことをする」ことが絶対の正義とされています。
 そこから少しでもはみ出せば、「枠に収まらない子」「不良」「普通じゃない」と徹底的に人格を否定される。
 これはもはや教育ではありません。
「普通」という理想像に強制的に押し込める、強い者による人権侵害です。

 この呪いのせいで、どれだけ多くの子どもたちが「自分には価値がない」と思い込まされ、自信を失っているでしょうか。
 日本の若者の自己肯定感の異常な低さ、そしてそれを原因と見るには余りにも悲しすぎる自殺率の高さ、さらにはそれらによる国力の低下と失われた30年以上の年月……これらすべての根源に、この「進歩を拒んだ教育制度」があります。
 現場の教員の方々すらも、実質定額(というより実際には「低額」かも?)働かせ放題という異常な労働環境の中で疲弊し、個々の子どもにきちんと向き合う余裕をシステムによって奪われている被害者なのです。

 では、この国や権力者に都合の良いだけの「管理体制」から、私たち自身や、後に続く子どもたちを守るために、今何ができるでしょうか。

第一に、日常の中で「みんな」という言葉を無効化することです。

 子どもや周囲の人が「みんなが言うから」と口にした時、「みんなって誰? それより『あなた』はどう思うの?」と問い返し、主語を「私」に取り戻す対話を重ねること。

第二に、枠にはまらないことを全力で肯定することです。

 学校という狭い箱の中で、あなたの子どもさんが「普通じゃない」と言われていたのなら、「あなたが異常なのではない。箱のサイズが時代遅れなだけだ」と大人が、親が、はっきり伝えてあげること。
 フリースクールでも、ネットのコミュニティでも、自分が自分らしくいられる場所は必ず他にあると教えること。

第三に、システムを変えるために「私たち」が声を上げることです。

 疲弊する現場の教員の方々を責めるのではなく、この理不尽な制度を放置している国や文部科学省に対し、選挙や日々の発信を通じて「これ以上の人格破壊を許さない」と意思を示すこと。
 勝つべきは、既存の権力ではなく、あなたや私、そしてこの日本に住む沢山の日本国民、主権者です。

「みんながやっているから」という思考停止の呪文は、もう終わりにしましょう。
 あなたは、他の誰とも違うからこそ素晴らしい。
 その独自の誇りと人格を胸に、私たちは新しい時代を、自分の足で歩いていきましょう。