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「タダほど高い『義務教育』はない」〜従順な奴隷を量産する日本の学校制度と、私たち自身の魂を救い出す『新たな学び』の設計図〜【連載7回中第1回】プロローグ 〜この国の「息苦しさ」の正体〜



あなたは今、喜びを持って生きていますか?そして、自分のことが好きですか?

 突然ですが、この記事を読んでくださっているあなたに問いかけたいことがあります。

 今の日本社会で生きていて、「心からの安心感」や「将来への希望」を持てていますか?
 そして何より、「自分自身のことが好き」と、胸を張って言えますか?

 おそらく、多くの方々が言葉を詰まらせるのではないでしょうか。

 給料は上がらないのに増え続ける社会保険料と税金。それに追い打ちをかけるような物価高。
 SNSやニュースを開けば、誰かの小さな失敗を徹底的に袋叩きにする誹謗中傷があふれ、他人の不幸は蜜の味とばかりに足を引っ張り合う殺伐とした空気。

 そして何より悲惨なのは、これだけ豊かな(はずの)国であるにもかかわらず、若年層の死因のトップが「自殺」であるという異常な現実です。
 大人たちでさえ日々の生活に疲れ果て、自分を尊重できず、「自分が嫌い」という虚無感を抱えながら、ただ肉体的に死なない程度に生きている。

 この国には、明らかに「生きづらさ」という名の重い病が蔓延しています。

 私たちはなぜ、こんなにも息苦しい社会を作ってしまったのでしょうか。
 なぜ、一人ひとりが固有の価値を持つ、かけがえのない人間であるはずなのに、自信を持って生きることができないのでしょうか。

 その答えは決して「あなたの能力が足りないから」でも、「努力が足りないから」でもありません。

 原因はもっと根深く、そして残酷なところにあります。
 それは私たちが幼少期から、人によって期間に違いはありましょうが概ね約12年間にわたって強制的に受けさせられてきた「学校教育という名の洗脳システム」に他なりません。

「人間」を殺し、「規格品」を量産する工場

 一応「義務教育は無償」と定められており、また最近始まった「高校無償化」と共に、私たちはそれを当たり前の権利であり、恩恵であるかのように信じ込まされてきました。
 しかし私は、大人になった今だからこそ、断言します。

「タダほど高いものは無い」という言葉が、日本の教育制度ほど見事に当てはまるものは他にありません。

 学校教育(と称するもの)の現場では、個人の固有の事情や、一人ひとり違う人間としての存在価値が、真っ向から否定されます。
「みんな同じ」という一定の枠に、暴力的なまでに強制的に嵌め込まれるのです。

 それは、人間としての自我が形成される最も重要な時期に、十数年にもわたって執拗に行われます。

 違いは徹底的に排除され、列から乱れる者は許されない。
 やがて子どもたちは全員が同じ足幅でを揃え、同じ「」を求め、あらかじめ用意された枠内の「同じような」を持つように飼い慣らされていきます。

 この「型」にうまくまれなかった子どもたちは、自分の人格を肯定できずに苦しみ、それがこの国の、余りにも痛ましい若者の自殺率の高さへと直結しています。
 一方で、一応形式的にでも型にまることができた「普通」の子どもたちはどうなるか。
 彼ら彼女らは、個別の事情で型にまれない者や、型に嵌まらない者に対して憎悪を向け、攻撃するようになります。

「私は/俺は、こんなに我慢して『普通』に合わせているのに、あいつだけ違うのは許せない」

…という、いじめる側の、正当と信じて疑わない言い分。

 これこそが、学校内で、そして場合によっては社会でも起こる「いじめ」と呼ばれる現象の正体です。

 日本の学校「教育」は、「人間」を育てているのではありません。
 社会で波風を立てず、ただ誰かの言いなりになって定年まで働く「規格化された奴隷(働きアリ)」を量産しているのです。

奪われた「私」を取り戻すために

 このような「教育」に毒されて育った子どもたちが、そのまま大人になり、今の日本社会を形成しています。

 他人の個性を真っ向から否定し、「普通」という言葉を暴力的に振りかざす大人たち。
 自分自身を尊重できないからこそ、自分と意見が違う他人を即座に人格否定してしまう大人たち。
 国会で「権力者の権力を制限するための憲法」を堂々と軽視や無視するような政治家がそのトップに立ってそういう言動を国会で繰り返しても、それを本気で怒る気力すら奪われている国民。

 今の日本社会の数々の不条理、生きづらさ、人間らしくなさは、すべてこの日本の「学校教育の成果」として厳然と存在しています。
 その意味で、日本の学校制度は取り返しのつかないほどの大きな失敗を犯して来ており、なおかつ今現在も犯し続けており、実質「行けばその人の今後の人生にとってかなりの害となる」という残酷な現実があるのです。

 しかし、絶望してここで思考を止めてはいけません。

 今現実にこの国に生きる私やあなた、そして、これからを生きる子どもたちは、この呪縛に対してどうしていけばいいのでしょうか?
 あんな「教育」という名の洗脳の被害に遭ってしまった私たちは、どうすれば自分自身を取り戻せるのでしょうか?

 この連載では、日本の学校制度が私たちから何を奪い、社会をどう歪めてきたのか、その「洗脳の手口」を一つひとつ解き明かしていきます。
 そして最終的には、この狂ったシステムから「自分自身と子どもたちを救い出し、人間としての尊厳を取り戻すための具体的な方法」を、皆さんと一緒に考えて行きます。

 私たちは「誰かのための歯車」ではありません。
 誰もが、他に代えの効かない存在です。

 次回は、学校教育がどのようにして私たちに「普通という暴力」を植え付けたのか、その狂気のメカニズムに迫ります。

次回・第2回へ続く