「タダほど高い『義務教育』はない」【連載第2回】「みんな同じ」という暴力 〜狂気の工場としての学校教育〜
「人間」はどこで「規格品」というブツにされるのか
前回の記事では、この日本社会に蔓延する「生きづらさ」や「自分が嫌い」という虚無感の根本原因が、私たちが「受けて」きた学校教育の洗脳システムにあるとお伝えしました。
今回は、その洗脳が具体的にどのように行われているのか、学校という場所の「本当の姿」を解き明かしていきます。
皆さんは、小学校に入学したばかりの頃を覚えていますか?
最初は誰しも、好奇心に満ち溢れ、好きなものも嫌いなものも、考え方もバラバラの「個性の塊」だったはずです。一人一人が固有の個性と特性と興味と事情を持ち、それにこそ誰しもが人間としての存在価値がありました。
しかし、学校という門をくぐった瞬間から、その価値は真っ向から否定されます。
チャイムが鳴れば一斉に席に着き、前へ倣えで列を乱さず整列し、決められた制服やランドセルを身につける。全員が同じ教科書を開き、あらかじめ国が用意した「たった一つの正解」だけを暗記させられる。
そこにあるのは「あなたはどう思うか/感じるか?」という個人の尊重ではありません。
「集団のルールにいかに適応するか」「空気を読んで波風を立てないか」という、人間性の管理です。
かつて、日本の高度経済成長期において、このシステムは機能しました。なぜなら、国家と企業が求めていたのは、ベルトコンベアの前で文句を言わずに正確な作業をこなす「均質な工場労働者」だったからです。
しかし、時代は進み、個人の創造性や人間らしさが求められる今になっても、この「規格品を量産する狂気の工場」の稼働は止まっていません。
「普通」という概念が牙を剥くとき(「いじめ」の本当の構造)
人間は本来、一人一人が全く違う生き物です。それを無理やり「一定の枠」に強制的に嵌め込めば、当然そこには凄まじい歪みと摩擦が生じます。
幼少期から高校卒業までの最も重要な人格形成の時期に、「みんなと同じでなければならない」と10年以上も叩き込まれた結果、子どもたちの心には何が起こるでしょうか。
まず、その型に嵌まれない子どもたちは、「自分はダメな人間なんだ」と自分を責め、自分の人格をきちんと自覚できずに苦しむことになります。
日本の若年層の異常な自殺率の高さは、まさにこの「枠からこぼれ落とされた絶望」こそが真の原因です。
では、一応形式的にでも型に嵌まることができた「普通」の子どもたちは幸せでしょうか?
いえ、そうではありません。彼ら彼女らもまた、自分の本当の欲求を殺し、我慢を強いられている被害者です。だからこそ、その抑圧されたストレスは、黒い憎悪となって他者へ向かいます。
「自分たちはこんなに我慢して『普通』をやっているのに、あいつだけ勝手な事をやっている。許せない」

これが、学校社会で「いじめ」と呼ばれる現象の正体です。
いじめは単なる子ども同士のケンカではありません。
型にはまらない者や、固有の事情で型にはまれない者を「異端者」として排除しようとする、システムが生み出した必然的な防衛反応(攻撃)なのです。
そして恐ろしいことに、この教育に毒されて育った者たちは、大人になっても他人の個性を認めません。
「普通はこうだ」「常識で考えろ」という概念を、本人も気づかないうちに暴力的に使い、自分と意見の違う他人を「その人は自分とは別の人間である」「その人の生きてきた歴史がある」という想像力も持たずに即座に否定します。
日本社会に溢れる誹謗中傷や、足の引っ張り合いは、この学校「教育」という場の教室で作られた「『普通』という牙」が大人になってから剥き出しになった姿、つまりこの国の学校教育の成果なのです。
「義務教育は無償」の恐ろしい罠
日本の義務教育は「無償」とされています。教科書も配られ、授業料もかかりません。そして最近の「高校無償化」を含め、私たちはこれを、国からのありがたい恩恵だと思い込まされてきました。
しかし、もう一度冷静に考えてみてください。
「タダほど高いものは無い」という昔からの教えが、これほど見事に当てはまる事例は他にはありません。
なぜ、国は莫大な税金を使ってまで、子どもたちに無償で教育を施すのでしょうか?
それは決して、一人ひとりの子どもに「自由で幸せな人生」を送らせるためではありません。
国にとっての無償教育とは、「扱いやすく、疑問を持たず、思考停止で税金を納め続ける従順な労働力(実質的な奴隷)を育てるための初期投資」なのです。
あなたが無料で受け取った教科書や授業の代償として、国に差し出したものは何でしょうか。
それは、あなたの「個性」であり、「自分で考える頭」であり、「自分自身を好きでいられる心」です。
つまり、「あなたそのもの」「あなたの『魂』と言うべきもの」を、他者に差し出し献上してしまったのです。
これほど高くつく取引は、他にはありません。
国は意識してこの「教育」と称する制度を維持し、肉体的には死なない程度に生かさせながら、一人一人の心に対する許しがたい殺人を継続しています。
その結果が、これだけ不当に税金や社会保険料を搾取されても、誰もまともに声を上げられない従順な国民の姿です。
人間が人間として生きていくことを許さない、この国家による管理システム。
その支配は、実は「教師」や「先輩」という絶対的な権力構造を通して、私たちの精神のさらに奥深くまで刻み込まれています。
次回は、日本国憲法の理念すらも否定する、学校現場の「先生」「先輩」という異常な身分制度と、その犠牲となっている現場の教員の方々の真実に迫ります。
