ガパオは、ハーブの名前だった
六月八日はガパオの日らしい。
ガパオというのは、てっきり料理そのものの名前だと思っていた。ところが調べてみると、タイ語でホーリーバジルというハーブのことを指すのだそうだ。日本で「ガパオ」と呼んでいるあの皿は、正しくは「ガパオで炒めたごはん」くらいの意味になる。料理の名前ではなく、香りの名前だった。
へえ、と思った。思ったのだが、皿が運ばれてきた瞬間、その豆知識はどこかへ消えた。
ひき肉の上に、目玉焼きがのっている。白身のふちは茶色くちりちりに揚がっていて、まんなかの黄身だけが、信号無視みたいにつやつやしている。私の目は、もうそこしか見ていない。香りの名前がどうとか、ホーリーがどうとか、頭にはひとつも残っていない。あるのは黄身だけだ。
黄身を箸で割る。とろりと出てきたものが、ピリ辛のひき肉にからんでいく。ひと口食べて、舌の真ん中あたりがじんと痺れた。辛い。けっこう辛い。額の生えぎわに汗がにじむのがわかる。
辛いのに、手が止まらない。これがいちばん不思議なところで、辛いと感じている部分と、もっと食べたいと思っている部分が、どうやら別々に動いているらしい。汗をかきながら、私はスプーンを動かし続けた。
気がつくと、皿は空になっていた。
バジルの葉が何枚のっていたかも、覚えていない。あれだけ感心したホーリーバジルの話も、結局ひとくちも味わっていなかった気がする。私が味わったのは、辛さと、黄身と、汗だ。香りは、たぶん鼻の奥を一瞬通り過ぎただけで、黄身に押し流されていった。
ちなみに私は、本当においしいものはカロリーがゼロだと信じている。これは科学ではなく、信仰に近い。黄身のからんだひき肉ごはんを汗をかきながら食べたあの時間に、カロリーという概念は存在しなかった。なかったことにした、というのが正確なところだが。
まあ、そういうことにしておく。ガパオがハーブの名前だという知識は、また来年の六月八日に思い出せばいい。たぶん来年も、皿が来た瞬間に忘れる。
漫画は新宇佐美式で描きました

いいなと思ったら応援しよう!
記事を読んでくれてありがとうございます。気が向いたら、チップで応援していただけると、次の漫画やエッセイを描く力になります。