見えんごとなった、の正体
母のスマホの文字は、一画面に四文字しか入らない。
親切のつもりで直してやったら、一週間後に電話がかかってきた。

実家のスマホは、一画面に四文字しか入らない。
「あ」「り」「が」「と」で終わって、次の画面に「う」が来る。母はそれを、親指で一行ずつめくって読んでいる。短い返事を読むのに、十回くらいめくる。
小さかと見えんけん、大きゅうしとると。母はそう言った。
見せてもらった。たしかに大きい。大きすぎて、何が書いてあるのかわからない。文字というより、模様だった。
設定を開いて、表示サイズを二段階下げた。文字が縮んで、画面に文章がおさまる。ついでに通知音も下げた。あれは家中に響いていて、隣の部屋にいても何が届いたかわかる音量だった。
ほら、これで全部いっぺんに読めるやろ。
母は画面を遠ざけて、近づけて、また遠ざけた。すごかねえ、と言った。それで解決したものと私は思っていた。
一週間後、電話が鳴った。母は用がなくても電話をかけてくるが、その日は声が違った。
楓。あれから見えんごとなってしもうた。
やっぱり小さくしすぎたのだ、と思った。自分の目の基準で人の画面をいじったのがよくなかった。年寄りにとっての「読める」は、私の「読める」とは別物なのだろう。電話口で謝って、次の休みに帰ると言った。
土曜日、坂をのぼって実家に着いた。ふくらはぎが張っている。玄関で汗を拭きながら、上がってすぐスマホを見せてもらった。
画面は普通だった。私が直したままの大きさで、文字もはっきり出ている。試しにメッセージを開いて、母に持たせた。
読めん、と母は言った。
近づけても、離しても読めんと言う。首をかしげながら、私はふと聞いた。眼鏡は、と。
母は、ああ、という顔をした。
そこから家じゅうを探した。仏壇の前、電話台の上、座布団の下、こたつ布団の隙間。膝をついて畳の上を這うので、途中で腰が痛くなった。母は自分の頭の上を触って、ないねえ、と言った。私も念のため触った。ない。
二十分ほど探して、喉が渇いた。麦茶を出そうと冷蔵庫を開けた。
卵のケースの横に、老眼鏡があった。ツルをきちんとたたんで、水平に置いてあった。誰かが意図して置いたとしか思えない置き方だった。
あー、そこやったとねえ。
いつ入れたのかと聞いたら、卵をしまうときだと思う、と母は言った。両手がふさがっていたのだろう。それにしても、扉を閉めるまでに気づく機会は何度かあったはずだ。
眼鏡を布巾で拭いて渡した。母はかけて、スマホを持ち上げ、画面を見た。そして真っ先に、先週こちらが送った写真を開いた。市場で買った枇杷を、皿に並べただけの写真である。それを指で広げて、大きくして眺めていた。
文字を直すのに三分かかった。眼鏡が見つかるまでに二十分かかった。
帰り際、眼鏡屋に寄ろうと言った。予備をもう一本作っておけば、片方なくしても困らない。母はもったいなか、と言った。もったいなかと言いながら、フレームの色を三十分かけて選んだ。
結局、赤にした。
これなら冷蔵庫に入っていても見つかる。そう言うと、母は入れんもん、と言って笑った。

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